ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】ー「プロ野球が始まりました!」

最近は、毎日、プロ野球の実況をテレビとラジオで聞いています。

無観客でのプロ野球の観戦は初めてですが、新聞を読みながら聞いていると、ボールやバットの音が聞こえて実況がよく理解できます。

 

アンパイアの声もよく聞こえます。最初は無観客ならどうなのかと思いましたが、無観客でも結構楽しめますね。

 

プロ野球は7月に入ると、以前と同じように観客を入れて開催するようですね。野球場に多くの人が集まるとコロナ感染が増えないか心配になります。

 

しかし、いつまでも無観客では球団の経営も成り立たなくなるので、一日も早く観客を入れる必要があります。今年は開幕がコロナで3カ月ほど遅くなったので、年間の試合数は大幅に減るようですね。

 

私は春に巨人の選手がコロナに感染したことが明らかになった段階で、今年は開幕ができないと心配しましたが、何とか無観客でもスタートできて、ホッとしました。

 

私は子供の頃から、長嶋さんのファンでしたので、今でも巨人のことが気になります。私は兵庫出身なので、阪神のことも気になります。現役のときは、私の周りは阪神ファンばっかりでした。

 

今年の開幕戦は、この巨人と阪神の試合でした。巨人が3連勝でした。阪神ファンの人はガッカリしたでしょうね。

 

巨人は、開幕で4連勝をしました。新聞によると、過去のデータに従うと、開幕4連勝したチームは、優勝の確率が75%というデータが出ているようです。それによると、今年の優勝チームは早くも巨人に決まったことになりますね。

 

巨人はその後も順調に試合を進めています。これに対して、阪神はこれまで7戦して1勝6敗となって、苦しい状況に追い込まれています。過去のデータによると、阪神の優勝確率は何%になるか心配ですね。

 

今年もプロ野球が始まりました。以前は、夏の夜の楽しみといえば、夜、自宅で食事をしながらテレビでプロ野球を観戦することでした。夏の夜は家族でプロ野球のナイター中継を観るのが楽しみでした。

 

ビールを飲みながら、ナイターを観るのが一番の楽しみでした。好きなチームが勝っていると、冷えたビールがいつもよりおいしく感じたものです。私は冷えたビールを枝豆をおつまみにして、プロ野球を観戦するのが習慣でした。

 

私は巨人が勝ったり、ファンの長嶋さんが活躍したりすると、その夜は安心してよく寝ることができました。私は朝起きると、朝刊のスポーツ欄を開いて昨夜の結果を確かめるのが楽しみでした。

 

私の子供の頃は、長嶋さんや王さんなどスーパースターがたくさんいましたので、プロ野球を観ると、ワクワクとしたものです。ところが、近年は私は知らない選手がほとんどで、以前のように、ワクワクすることがなくなったように思いますね。

 

最近は、アメリカの大リーグもたくさんニュースに出ています。日本の選手が大リーグで活躍しているニュースを聞くと、うれしくなりますね。

 

日本人の選手が大リーグの中心選手として活躍するなんて、夢のようなことでしたね。それが今や日本人選手が多く大リーグで活躍していることを聞くとは、日本の野球はすごいと思いますね。

 

ある記事では、野球ランキングでは、日本がアメリカを抜いて1位という記事が出ていました。すごいですね。

 

これから暑い夏が続きますが、夜になるとナイター中継を観るのが楽しみです。

 

プロ野球、バンザイ!!」

 

 

2020.6.26.(金曜日)午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「夏休みの思い出」

今年も、あとわずかで7月になります。

早いものですね。7月になると、夏休みのことが思い出されますね。

 

今年の夏休みはコロナのために、学校の休校が長く続いたために夏休みは2週間から20日程度になると新聞に出ていました。子供達にとって、今年の夏休みはわずかでかわいそうですね。

 

私の子供の頃は、夏休みは1カ月以上もありました。7月も後半になると、私達は夏休みでどうして遊ぶかばかり考えていました。

 

私の子供の頃の夏休みを思い出すと、特に記憶に残っているのは、夏休みでは毎日、朝早く起きて、近くの神社にラジオ体操によく行ったことです。確か朝6時にはラジオ体操が始まりました。私は毎日、朝早く起きて、ラジオ体操に行きました。

 

ラジオ体操に行くと、カードに出席した印を押してくれました。私はまだ眠そうな顔をしながらラジオ体操をしたことを思い出します。ラジオ体操には、近所の子供もたくさん来ていました。皆まだ眠そうな顔をしながらラジオ体操をしていました。

 

私は、夏休みのときは1日も欠かさずラジオ体操に出かけました。それが日課でした。ラジオ体操が終わると、家に帰って、朝ごはんを食べました。

 

今は、夏休みにラジオ体操をする習慣は少なくなりましたね。今思えばよく毎日出かけたものだと思います。カードに印を押してもらうために、毎日朝6時に出かけたことがなつかしく思い出されます。

 

あの頃は、本当に、のどかな時代でした。テレビもない時代でしたので、ラジオ体操をした後は、野山で自然とたわむれて遊びました。今では遠い遠い昔の出来事ですね。

 

私達の頃の夏休みの遊びといえば、昆虫とりでした。私は毎日のように、近くの野山に出かけて、虫とりに夢中になって遊びました。私の子供の頃は、野山に行くといたるところに昆虫がいました。

 

トンボやチョウ、カブトムシ、クワガタムシ、カナブンなど、いろいろな昆虫が面白いようにとれました。今の時代は昔のような昆虫が少なくなったようですね。温暖化のせいですね。少し残念に思います。

 

私は夏休みに外に出かけるときは、必ず大きな麦わら帽子をかぶって出かけました。麦わら帽子は暑い夏を過ごすには必需品でした。

 

軽くて、通気性がよいので麦わら帽子は子供達の誰もがかぶっていました。

私は麦わら帽子をかぶって、暑い中を野山を遊び回っていました。

 

子供の頃は、麦わら帽子をかぶって、友達と野山で遊んだことがなつかしく思い出されます。

 

 

2020.6.25.(木曜日)午後1時3分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸のスーパーコンピューター」

昨日は、ひさしぶりにうれしいニュースが届いてきました。

神戸のポートアイランドに建設中のスーパーコンピューター「富岳」がその性能で、世界の1位に輝いたとのニュースです。

 

しかも4部門で1位になって、世界で初めての4冠となりました。神戸は近年はあまりよい話題がなかっただけに、ひさしぶりにうれしいニュースですね。

 

「富岳」の前のスーパーコンピューター「京」については、私は現役時代「京」の誘致に関わったことがあります。当時は、最大のライバルは東北大学でした。

 

最初は東北大学の方が優勢だと言われていましたが、兵庫神戸の官民挙げての誘致活動の結果、神戸のポートアイランドに誘致が決まりました。その建設費は1,000億円でした。

 

神戸のポートアイランドでは震災後の復興プロジェクトとして医療産業都市づくりを進めてきましたが、「京」が建設されたことで、その取り組みも弾みがついて、全国から多くの企業や研究機関がポートアイランドに集積しました。

 

今では約400近くの企業や研究機関が集まる日本最大のクラスターとなっています。雇用人数も1万人を超えたと言われています。

 

数年前に「京」が取り壊され、その後に、「富岳」が建設されました。「富岳」は世界トップの計算速度を誇っています。「京」の数十倍の能力を持っています。

 

このため、内外の研究者が「富岳」を使って研究しようとして、神戸に集まってくるでしょう。「富岳」によって、神戸の街が内外から再び注目されるようになることを私は期待しています。

 

神戸は近年、かつての輝きを失っていました。人口も減少し、企業は東京や大阪に進出していました。ある有名な人は、「神戸はこのままではすたれてしまう」と言って心配をされていました。

 

かつて神戸は、日本の都市の中では一番「ブランド力」があった街でした。商品の名前に「神戸」をつけるとよく売れるので、多くの企業が「神戸」の名前を使用していました。

 

ところが、今は残念ながら「神戸」という名前の「ブランド」にはかつてのような輝きが感じられません。そのため、神戸で生まれた企業の中でも本社機能を東京に移す企業が増えてきました。

 

神戸には登記上の本社は置いていますが、社長を始め役員や本社機能はすべて、東京に移してしまった企業があります。それだけ、神戸に立地するメリットがなくなったと言えます。

 

神戸を代表する川崎重工神戸製鋼所にしても、神戸とともに東京本社を置いて、社長以下の役員のほとんどは東京本社です。神戸は、本社には一人しか役員が在籍していないと聞きます。

 

神戸が元気なときは、神戸の企業は本社を神戸において発展してきました。神戸に立地することは、企業イメージを高めることになりました。

 

それが、いつのまにか神戸のブランド力がなくなって、神戸生まれの企業も東京などに移っていきました。私はかつての神戸の街の輝きを知っているので、近年の神戸の元気のなさが残念でなりませんでした。

 

今、日本では都市のブランド力では、京都と福岡が一番高いと言われています。内外の企業が日本の都市で一番注目するのは、京都、福岡と言われています。

 

以前は、神戸は外国企業にとってはもっとも評価が高い都市でした。そのため、神戸には、早くから世界的企業が日本本社を神戸に設立していました。

 

その代表が、P&Gとネスレです。P&Gもネスレも、神戸の三宮の都心に本社機能を置いています。神戸は世界的企業にとっても、「ブランド力」のあった都市でした。

 

ところが、その神戸のブランド力も近年は陰りが見えています。神戸生まれの企業でも、発展すると東京に移っていきます。私はそれが残念でなりません。

 

そんなときに聞いたのが、「富岳」が世界一になったニュースです。これで、神戸の街の名前は再び全世界に知られることでしょう。優秀な研究者や研究機関が神戸に集まってくることが期待されます。

 

神戸ではこの「富岳」を最大限に活用して、新しい技術やビジネスを創出していってもらいたいものです。神戸は街挙げて「富岳」の活用を考えていってもらいたいと考えます。

 

神戸に一大チャンスが訪れました。

 

神戸を「スパコンの街」として、全世界にアピールしていってほしいですね。

 

「富岳、ガンバレ!」

 

 

2020.6.24.(水曜日) 午後12時25分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「夏の水泳」

今日は真夏のような天気になりました。

リハビリで外に出ると、外はカンカン照りです。空を見上げれば、雲一つない青空が広がっています。時々吹いてくる風が暖かく感じます。

 

今日は、関西では30度を超える真夏日になりました。このような暑い日になると、子供の頃に、よく泳ぎに行ったことを思い出しますね。

 

私の子供の頃は、どこにもプールのようなものはありませんでした。従って、泳ぐというと家の近くの池や川でした。水泳と言えば、池か川で泳ぐのが普通でした。私は暑い夏になると、よく近くの塩川に泳ぎに行きました。

 

子供の頃は、塩川には清流がとうとうと流れていました。子供が泳ぐには丁度よい深さでした。塩川の中には所々で滝つぼがあって、その滝つぼでは、私はよく飛び込みをして遊びました。

 

私は、よくもぐって、魚をとりました。当時は川の水はきれいでした。水の中をもぐっていると、いろいろな魚が泳いでいるのが見えました。

 

私は山の中にあった池にも、よく泳ぎに行きました。池の水は、流れがないので、場所によっては水の温度が違いました。

 

池の中に入ると、水草に足を取られておぼれそうになったことがあります。当時は、池で泳いでおぼれる子供もいました。私は、母親からは池では泳がないように言われていました。

 

暑い夏の思い出と言えば、やはり、水遊びですね。私は夏休みの日には、毎日のように近くの川に行って、魚つりをしたり水泳をして遊びました。私はあまりに外でばかり遊んでいたので、毎年夏になると、真っ黒に日焼けしました。

 

よく自宅では、冷たい水を入れて水浴びをして、熱くなった皮膚を冷やしました。水風呂に入ると、皮膚が痛く感じました。

 

私は夏にはよく水遊びをして楽しみました。ところが、私は耳が悪くて、毎年夏になると中耳炎になりました。そのため、毎年夏は中耳炎の治療で、病院通いをすることが多かったように思います。

 

そのため、夏は水泳をしては、中耳炎になって病院に行くことをくり返していました。私は大人になってもよく中耳炎になることがあります。子供の頃の後遺症ですね。

 

水泳と言えば、私は神戸に住んでいたときは、家族と一緒に須磨の海水浴場に泳ぎに行きました。神戸には大都会のすぐ近くに、須磨海浜浴場があります。

 

須磨の海水浴場は水がきれいでした。砂場は、2kmもありました。私は子供達と一緒に須磨で海水浴をしたことを、今も懐かしく思い出します。

 

須磨の海水浴場では、「海の家」で食事をしたり、かき氷を食べたりしました。当時は須磨の海水浴場は多くの人でいっぱいでした。須磨の海水浴場も今年はコロナでオープンしていないようです。残念ですね。

 

私は須磨で海水浴をした後は、必ず近くにある水族館を訪れて、イルカなどのショーを見てから帰りました。大都会のすぐ近くに須磨のような海水浴場がある神戸は、素晴らしいと思います。

 

今年も、水泳を楽しむ季節になりました。

私は子供の頃に川や池で泳いだことを、懐かしく思い出します。

 

また、川に水遊びに行きたいと思います。

 

 

2020.6.23.(火曜日)午後2時20分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「父の日」

昨日は「父の日」だったようです。

私はまったく知りませんでしたが、娘がきれいな花にメッセージをつけて、贈ってくれました。それで、初めて「父の日」だと知りました。

 

私は、「父の日」については、あまり知りません。「母の日」のことは、子供の頃から教えられていたので知っていました。

 

「母の日」には、赤いカーネーションを一輪、母に贈った記憶がありますが、「父の日」のことはまったく記憶がありません。そのため、「父の日」だったことも、昨日初めて知りました。

 

娘は、「父の日」のプレゼントとして、小さなひまわりの花を贈ってくれました。娘は、私がひまわりの花が好きなことを知っていたので、小さなかわいいひまわりが飾ってある花束を贈ってくれました。

 

ひまわりは小さい花でしたが、黄色い綺麗なひまわりの花でした。ひまわりの花を見るのは、本当に久しぶりです。

 

ひまわりは、私が好きな花です。私はゴッホのひまわりの絵画も大好きです。ひまわりの花が太陽に向かって、凛として咲いている姿を見ると、元気が出るように感じます。

 

私の子供の頃は、近くの田畑に行くとあちこちで大きなひまわりが咲いていました。ひまわりは太陽に向かって咲いています。私は黄色いひまわりの花が大好きでした。

 

「父の日」のことを私は昨日初めて気づきました。私は小学校のときに、早く父を亡くしたので、残念ながら父のことはほとんど覚えていません。父と一緒に遊んだ記憶はありません。

 

父は川西の田舎で、祖母や母と一緒に、小さな商店を営んでいました。私が父のことで覚えているのは、朝から、夜遅くまで働いていたことです。

 

父は、商品を仕入れるため、自転車で毎日、遠くにある池田の中央市場まで仕入れに出かけていました。その道のりは遠くて、坂が急なことが大変だったようです。

 

私は小さいときに時々、父の自転車を後ろから押すために、父を迎えに行ったことがあります。私の父の記憶はその父が忙しく働いていた姿だけです。従って、「父の日」に父に何かを贈ったことは記憶にありません。

 

「母の日」のことはよく覚えていますが、残念なことに「父の日」のことはまったく覚えていません。昨日、娘から「父の日」のプレゼントをもらって、初めて「父の日」だと知りました。

 

私は娘から父の日に、プレゼントをもらって、遠い遠い昔の父のことを思い出しました。父が元気なときには「父の日」はなかったのではないかと思います。

 

私は子供のときは、よく人から、父によく似ていると言われまして、父のことはほとんど覚えていませんが、人から父に似ていると言われるとうれしくなったものです。

 

ところで、外出自粛が解除されて、神戸や大阪では、人がだいぶ戻ってきたようです。新聞を読むと、神戸の南京町には獅子舞が演じられて、多くの人が来ていたと記事に出ていました。大阪の街でもかなり人出が戻ってきたようです。

 

徐々にではありますが、神戸や大阪の街でも日常が取り戻されていているようです。そのせいか、しばらくコロナ感染者がなかった大阪や兵庫では、コロナ感染者がまた出始めました。第2波が来ないか心配になります。

 

人の移動が始まれば、感染者が出ることは覚悟しなければなりません。これからは、コロナとどう共生していくかです。手洗いやマスクに気をつけてこれからも生活していくことが大事ですね。

 

そんな中で、昨日「父の日」のプレゼントを娘からもらいました。思いもしないプレゼントに、私は大喜びでした。娘よ、本当にありがとう。いつも迷惑をかけてごめんね。これからもよろしくね。

 

娘よ、

「昨日は父の日のプレゼントありがとう!本当にありがとう!

 昨日の小さなヒマワリは可愛くて、綺麗でした。

 

 本当にありがとう!!」

 

父より

 

 

2020.6.22.(月曜日)午後12時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「七夕の思い出」

今年も早や7月に近づいてきました。

早いものですね。今年はコロナに振り回されてきましたので、コロナのことに気を取られたために時間が過ぎるのが早く感じますね。

 

いつのまにか春が過ぎ、梅雨の季節になりました。最近は、夜になると激しい雨が降ります。夜中に、激しい雨の音で目が覚めることがよくあります。

 

幸い朝になると雨がやんでいます。雨が降った朝は、少し涼しく感じます。今年もあと少しすると7月になります。7月は昔は一番暑い季節でした。7月といえば、私の子供の頃は、7月7日の七夕のことが思い出されますね!

 

私が子供の頃は、7月7日の七夕のときには、近くの竹やぶに行って、適当な大きさの竹を切ってきて、家で七夕を飾りました。

 

私の子供の頃は、7月7日の七夕の日には、どの田舎の家でも、七夕を家の外に飾っていました。我が家でも、七夕の飾りを作って、竹に飾りつけて、家の玄関に飾りました。私は、大きな竹を取ってきて、大きな七夕を作りました。

 

七夕には、いろいろな色をした飾りを作って、つけました。頼みごとを書いた短冊をたくさんつるしました。七夕のときには、近くの家や商店街に行くと、大きな七夕が飾ってありました。

 

七夕は、終わると、七夕の飾りは家のそばを流れていた塩川に行って、橋の上から流すのが当時の習慣でした。私は橋の上から、七夕を流して、いつまでも流れていく七夕をながめていました。

 

塩川には、たくさんの竹で作った七夕の飾りが流れていて、子供の頃は塩川には豊かな水が流れていましたので、七夕を橋の上から落とすと、水の中をゆっくりと流れていく姿が見えました。

 

今は、川に七夕を流すのは禁じられています。七夕そのものも、飾る習慣はなくなってきたように思います。

 

私は七夕の日は、夜になると、近くの公園に行って、夜空をながめるのが好きでした。真っ黒な空に、満天の空に天の川が輝く姿を見て、感動したものです。

 

私の子供の頃は、夜になると、真っ暗で、空をながめると、満天の空にはキラキラと無数の星が輝いていました。

 

七夕の頃に見る夏の夜空は、無数の星が輝いていて、本当に美しいと感じました。今は、夜でも明るいので、子供の頃のように綺麗な星が見えなくなりました。

 

私は子供の頃は、天文学者になりたいと思っていましたので、夜になると、空に輝く星を見るのが好きでした。最近は夜空を見ることも少なくなりました。子供の頃に見た綺麗な夜空の光景がなつかしいですね。

 

7月は毎年暑い季節でしたが、その中で、七夕のときに公園に行って天の川の輝く夜空を見るのが楽しみでした。以前は暑い夏でも、夜になると涼しくなりました。子供の頃の楽しい思い出です。

 

子供の頃は、七夕などのいろいろな催しがあって、折々に風情のあるイベントを楽しむことができました。

 

子供の頃に飾った七夕が、なつかしく思い出されます。

 

 

2020.6.21.(日曜日)午前11時35分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸のファッション産業が危ない」

コロナ不況で、神戸のアパレルを中心とするファッション産業が苦しんでいます。

今日の神戸新聞を読むと、コロナで兵庫県下では14社の倒産が出て、そのうちの7社が神戸のアパレルを中心とするファッション産業だと出ていました。

 

その企業の中には、私もよく知っている中堅のアパレル企業も含まれています。かねてから、コロナでアパレル業界が大変だと気にしていましたが、7社も倒産したと聞き、びっくりしました。

 

神戸は約50年前に全国に先駆けて「ファッション都市宣言」をして、官民一体となって、衣・食・住・遊の生活文化産業全体をファッション産業と位置づけて、その振興に努めてきました。

 

当時は神戸経済は鉄、造船などの重厚長大型産業構造で、不況に弱く、構造不況業種に頼った神戸経済の将来が心配されていました。

 

そこで神戸経済を支える新しい産業として、アパレルをはじめ衣・食・住・遊・スポーツなどの生活文化産業を、神戸の新しい産業として育てていくことになりました。

 

当時は、全国の都市づくりでは新しい取り組みとして注目されました。アパレルを中心とするファッション産業は、今では神戸経済を支える産業に発展しています。そのファッション産業がコロナ不況で苦しんでいます。

 

神戸のファッション産業は、百貨店や店舗で、お客様に対面して商品を売っていかなければなりません。そのため、コロナで対面販売ができなかったことが神戸のファッション産業に大きな打撃を与えています。

 

特に神戸のアパレル企業は、有名な百貨店でほとんどの商品を売っているので、コロナで百貨店が休業したことが大きな打撃となっています。神戸だけでなく、日本では全国的に有名なアパレル企業が苦しんでいます。

 

日本のアパレルを代表するレナウンでも先般破産したと言われています。神戸でも、神戸のアパレルのリーダーであるワールドでも今年は60億円もの赤字が予想されています。

 

ワールドさえ不況に苦しんでいるような状況では、中堅企業や中小企業のアパレル企業の経営は大変だと思います。そのため、早くも7社が倒産しました。これからさらに倒産するアパレル企業が出るのではないかと心配です。

 

コロナで、今、新しい生活様式が模索されています。神戸のファッション産業も、コロナ後の新しい生活スタイルに対応して、新しいビジネスモデルを創造していくことが求められています。

 

聞くところによると、ファッション企業を支援するための中核組織として、約40年前に設立された、公益財団法人「神戸ファッション協会」も、かつて約300社がいた会員が、今では120社までに減っていると聞きました。

 

私は、長く神戸ファッション協会の専務理事をしていたので、大変心配です。

 

神戸でも、もう一度、改めて、これからの神戸ファッション都市づくりの将来像に、官民の知恵を結集して新しいファッション産業を創造していくことが求められています。

 

「神戸のファッション産業、ガンバレ!!」

 

 

2020.6.20.(土曜日)午後3時25分

里山 歩樹 (藪野 正昭)