今日の神戸新聞では、1995年の大震災の日の体験談が特集記事
として掲載され、当時の事を思い出しながら、食い入るよう読みま
した。
私は震災の翌日、自宅の川西から、神戸に向かいました。妻の実家
が東灘区にあり、連絡が取れませんでした。震災2日目から一部の
電車が動きましたので、それを待って、リュックに水の入ったペッ
トポトルと妻が作ってくれたおにぎりを一杯詰めて、神戸に向かい
ました。リュックサックは肩に食い入るように重たかった記憶があ
ります。
電車で大阪回りで西宮北口まで行き、そこからは徒歩です。道が分
からないのと、家屋が倒れて通れませんので、やむなく線路を歩い
て行きました。線路の砂利道は歩きにくくて困りました。リュック
が重くて肩が痛くて何度か荷物を投げ出そうと思いましたが、神戸
では水と食べ物がないと思い頑張りました。必死でした。
芦屋近くまでいくと、ほうぼうで火の手が上がり、サイレンが鳴り
響いています。多くの人が大阪の方に逃げてきます。神戸に向かう
の私一人でした。怖かったです。
なんとか、御影の実家までたどり着いて皆の無事を確かめて、事務
所があるポートアイランドにむかいました。遠い道のりでした。余
震が多発して、ポートアイランドに渡る鉄橋が一部壊れており下の
海が見えて大変怖かったです。
朝早く川西の自宅を出て会議所についた時は午後遅くでした。どう
して歩いてきたのか、今考えても不思議です。こんなに歩いたのは
初めてです。
今ではとても歩けませんね。
辛い、苦しい思い出でした。
2014.8.17. 里山 歩樹