ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【兵庫通信】―震災20年の記憶

今日の神戸新聞では、1995年の大震災の日の体験談が特集記事

として掲載され、当時の事を思い出しながら、食い入るよう読みま

した。

 

私は震災の翌日、自宅の川西から、神戸に向かいました。妻の実家

が東灘区にあり、連絡が取れませんでした。震災2日目から一部の

電車が動きましたので、それを待って、リュックに水の入ったペッ

トポトルと妻が作ってくれたおにぎりを一杯詰めて、神戸に向かい

ました。リュックサックは肩に食い入るように重たかった記憶があ

ります。

 

電車で大阪回りで西宮北口まで行き、そこからは徒歩です。道が分

からないのと、家屋が倒れて通れませんので、やむなく線路を歩い

て行きました。線路の砂利道は歩きにくくて困りました。リュック

が重くて肩が痛くて何度か荷物を投げ出そうと思いましたが、神戸

では水と食べ物がないと思い頑張りました。必死でした。

 

芦屋近くまでいくと、ほうぼうで火の手が上がり、サイレンが鳴り

響いています。多くの人が大阪の方に逃げてきます。神戸に向かう

の私一人でした。怖かったです。

 

なんとか、御影の実家までたどり着いて皆の無事を確かめて、事務

所があるポートアイランドにむかいました。遠い道のりでした。余

震が多発して、ポートアイランドに渡る鉄橋が一部壊れており下の

海が見えて大変怖かったです。

 

朝早く川西の自宅を出て会議所についた時は午後遅くでした。どう

して歩いてきたのか、今考えても不思議です。こんなに歩いたのは

初めてです。

 

今ではとても歩けませんね。

 

辛い、苦しい思い出でした。

 

2014.8.17. 里山 歩樹