ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】―お袋の思い出

今日はお袋の7回忌の法要を執り行いました。

 

天気が心配でしたが、昨夜、家内と娘が「おばあちゃんは晴れ女だ

から天気はよくなるよ」と言っていた通り、天気は曇り空ですが何

とかもちました。娘は「おばあちゃんのおかげだね」と言っていま

した。本当にそうかも知れませんね。御寺で法要を執り行った後、

近くの料理店で食事をしながら母の思い出話などを出席者と楽しく

会談して楽しみました。

 

母は6人兄弟の末っ子でみんなに可愛がれたようです。母は早く父

を亡くし、女手一つで私達男兄弟3人を育ててくれました。ふるさ

との村に小さな店を開いていました。朝早くから夜遅くまで働いて

いた母の姿が今も忘れられません。母は痩せていて病気がちでした。

私は母がいつか倒れるのではないかと心配でなりませんでした。で

すから、私は中学を出たら働くつもりでいました。

 

然し、母は3兄弟とも大学に進学させるつもりでした。そのため、

休みもなく働いていました。私は日曜日に休める普通の勤め人の人

がうらやましかったです。母は私たち子どものために必死に働きま

した。

 

母は心配性でした。子供の将来のことを心配ばかりしていました。

進学の事、次は就職の事、その次は結婚のこと、私たちが結婚する

事になると家を建設する心配、さらにはお墓の土地の事まで心配し

ていました。ともかく子供のことが心配でならない性分でした。

 

母の御蔭で兄弟3人とも家庭をもち孫も生まれました。私に長女が

生まれたときは本当に喜んでいました。母は生まれたばかりの双子

の女の子をなくしているので女の子がほしかったのでしょう。

 

母は本当に心配性で、寂しがりやでした。私が出かけて少し遅くな

ると、事故でもあったのではないかと心配して玄関に出て待ってい

ました。また、私が旅行で家を空けると「怖いから早く帰ってきて

ね」と必ずいいました。怖がり屋で寂しがりやのお袋でした。

 

気が若くて賑やかな事が好きなお袋でした。何をしても上手なお袋

でした。時に料理は上手かったです。自分は食べずに子供の為にい

つもおいしい料理を作ってくれました。包丁さばきはプロ並みでし

た。また、編物が趣味でセーターを編んで知人によくあげていまし

た。母が作るセーターは皆から大変喜ばれていました。

 

また、刺繍もしていました、人形を作るのも得意でした。私達子供

から見ても凄い人でした。私たちはいつもお母の姿を見て感心する

とともに感謝していました。ともかく見事な人生でした。自分の責

任を全部見事に成し遂げた立派な人生でした。私達の誇りです。7

回忌の法要で昔の懐かしい母の姿が蘇りました。

 

お袋ありがとう。

 

御蔭でみんな元気にやっているのでもう、心配しなくていいですよ。

 

2015.3.15. 里山 歩樹