ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】―土光さんの黒い鞄の思い出

今日も朝からよい天気です。

 

朝早く、目覚めると雨戸の隙間から明るい陽が射しています。家内

が雨戸を開けると部屋の中にあかるい陽が入ってきて眩しく感じま

した。しかし、気温はさらに低くなり、寒さが身に沁みます。寒波

がやってきたようです。

 

昨夜は神戸で恒例の「神戸ルミナリエ」が始まりました。神戸は今

年一番の寒さだったようですが天気に恵まれて21万以上の来場者

で大変、賑わったようですね。神戸の街は、ルミナリエの時期にな

ると寒波が襲来します。不思議です。これまでも会期中によく雪が

降って、震えながら会場に足を運びました。

 

私は「ルミナリエが寒波を呼んだ」と言っていました。ルミナリエ

は神戸の冬の風物詩です。この時から、神戸の街に本格的な冬が訪

れます。六甲山のスキー場もオープンします。雪化粧の六甲の山々

の景色も素晴らしいものがあります。

 

今日はあまりに寒いので、家内が、亀吉を庭で散歩させた後に水槽

にお湯を入れていました。亀吉も温かい温泉に浸かって喜んでいた

でしょうね。

 

今日は、私が、これまでお会いした経営者の中で特に記憶に残った

人の話をします。私は、神戸商工会議所に勤務していましたので、

仕事上、神戸の経営者とはお会いする機会が多くありました。神戸

の経済界をリードされていた経営者に身近にお会いする機会に恵ま

れました。本当に素晴らしい経験をしました。私の人生の大切な財

産です。

 

当時、神戸商工会議所は東京の経団連と定期的に経済懇談会を開催

していました。私はその担当でした。懇談会には経団連の会長、副

会長を始め役員の方が神戸に来られました。私が担当した時の経団

連の会長は、土光会長とそのあとは稲山会長だったと記憶します。

 

 

経団連の会長は、当時は財界総理と言われていました。私がビック

リしたのは、経団連の会長が神戸に来る事になると兵庫県警から警

備にやってきたことでした。会長には東京からSPがついてきまし

た。懇談会の会場の周りには私服の刑事が何人か立っていました。

 

私が、最も印象に残っているのは土光会長です。土光さんは当時、

めざしの土光さんと言われていました。質素な生活を旨として、家

ではめざしを食べられていた事でよく知られていました。宴席が嫌

いな人でした。いつもは懇談会の後に、一部の幹部だけで、花隈の

料亭で懇親会を開くのですが土光会長になってからは宴席は取りや

めになりました。

 

私は担当ですので、会場の隅で土光さんの姿を仰ぎ見ていました。

堂々たる姿に感動しました。この人が日本経済界のトップで、当時、

総理大臣も敬意を払った人かと思うと、その人を傍で見る事が出来

て、感激しました。

 

懇談会が終わっての経団連の方が帰られるときになって、控室に置

いてあった土光会長の鞄を私が持ってお見送りしようとすると、土

光会長が来られて鞄を持とうとされました。私が慌てて「鞄は私が

お持ちさせて頂きます」と言って黒い革の鞄を持つと、土光会長は

「私の鞄ですから私が持ちます」と言って私から鞄を取り上げて

いていかれました。

 

私はビックリしました。重たい鞄は秘書の人が持つものと思い込ん

でいました。実際にトップの人は、ほとんどの人が荷物は秘書に持

たせています。トップは手ぶらが普通です。土光さんの鞄は大変、

重たかったと記憶します。秘書の人に聞くと鞄な中は新聞や資料が

詰まっていると言われていました。車で移動中に読まれるとのこと

でした。今も、あの時の土光会長の言葉と重たい黒の鞄が思い出さ

れます。

 

本当に立派な人でした。

凄い人でした。

 

2015.12.5. 里山 歩樹