ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】―ボーナスの思い出

今日も青空が広がり、空気が澄んだよい天気だ。

 

冷たい風が吹いている。気温は低い。日々、寒くなってくるように

思う。空気が乾燥して、鼻がムズムズして、鼻水が止まらない。家

の中を歩いて体を動かす。じーとしていると寒くなってくる。窓際

に行って、窓を少し開けて、外を眺めると青い空に薄く白い雲が広

がっている。雲の合間から穏やかな陽が射してくる。少し風がある。

 

家内が濡れ縁に干した洗濯物が風に吹かれて揺れていました。庭に

山茶花の木が赤い花を一杯に咲かせています。庭のあちこちに赤

い花びらが落ちています。冬で彩が少なくなった庭に赤い花びらが

散って少し賑やかになりました。山茶花は、花は散っても次から次

と赤い花を咲かせてくれます。赤い花を見ると気持ちも明るくなり

ます。

 

山茶花の花を眺めながら、ジーと耳を澄ましました。静かな、静か

な冬の時間が流れて行きます。穏やかな陽を受けていると心が癒さ

れます。冷たい風も心地よく感じます。12月も、早、10日近く

になります。

 

新聞を読んでいると、公務員にボーナスが支給されるようです。サ

ラリーマンになって一番うれしい時期でした。私が就職した頃は毎

年、年2回、ボーナスが出ました。その頃は給与も毎年昇給してい

ました。日本経済が高度成長の時期でした。したがって、ボーナス

も毎年増えて行きました。今年はどれだけ増えるのか楽しみでした。

 

当時は、給与もボーナスも袋に入れて現金でもらいました。袋の厚

さでどのくらい入っているか予想しました。当然、先輩の袋は分厚

く見えました。当時、私達はよく、袋が縦に立つほど、もらいたい

なと話していました。私達の夢でした。私達若い職員の袋は薄っぺ

らかった事をよく覚えています。

 

それでも初めてボーナスをもらったときは嬉しかった事をよく覚え

ています。人生初めてのボーナスにかすかな感動を覚えました。ボー

ナスの支給日は皆、朝からニコニコしていました。

 

5時になったら、職員は早々と退社していきました。その日は残業

する人はいませんでした。私も先輩に連れられて三宮の繁華街に飲

みに行きました。この日はボーナスでふところが温かいので、何件

も飲み屋をハシゴしました。先輩はいつまでたっても帰ろうとしま

せん。そのうちに、終電車がなくなってしまいました。仕方なく、

先輩の家に泊めてもらいました。

 

もう、飲み過ぎてへとへとでした。ボーナスを落とさないか、その

事ばかりを心配していました。ボーナスは最初に母に渡そうと思っ

ていたのに、その日は家に帰れなくなりました。大失敗です。翌日、

定時に退社してボーナスを母に見せると大変喜んでくれました。母

は大事に使いよと言って、袋を返してくれました。

 

その後大学の同窓生にあって、ボーナスの話を聞いてビックリしま

した。ある大手の銀行員でしたがボーナスの額が私の2倍以上あり

ました。私はうらやましく思いました。バブルの時でした。あまり

の格差にぼう然としました。しかし、そんな時代は長続きしません

でした。

 

大銀行も倒産する時代がきました。友人も関係会社に移っていきま

した。それから、失われた20年がやってきました。ボーナスがで

ればよいほうです。出ない会社も沢山ある時代になりました。ボー

ナスをめぐる情勢も大きく変わりました。若い頃の事が夢のようで

すね。

 

あの頃のことを思い出すと懐かしいですね.本当に夢のようですね。

また、ボーナスを袋に入れて現金でもらいたいですね。今は袋には

金額を印刷した紙1枚です。銀行振り込みになって、味気なくなり

ました。あの頃が懐かしいですね。

 

ボーナスが入った袋を持って帰って、家族に自慢顔で渡したいです

ね。

懐かしいよき時代の話でした。

 

2015.12.9. 里山 歩樹