ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【神戸通信】―ポートピア博覧会のこと

今日も薄曇りの天気です。

 

雨は降っていませんが、空を見上げれば灰色の雲が広がっています。

風があります。洗濯物が風で揺れています。陽は射してきません。

薄暗くて鬱陶しい日です。気分も沈みがちになります。気温はそれ

程低くはないように思います。ストーブをつけなくても寒く感じま

せん。外の空気を吸うため座敷の窓を開けて空気を入れても寒く感

じませんでした。

 

暖冬が今日も続いています。外の風景を眺めても薄暗い冬の気配が

広がっています。色のない灰色の世界です。わずかに色があるのは

庭に咲く山茶花と赤と椿のピンクだけです。明るい色の花を見ると、

ほっとします。少し、気持ちが明るくなります。

 

今朝、目が覚めると、まだ暗いのにカラスの鳴き声が聞こえてきま

した。カラスが鳴くと、朝だと思います。カラスが鳴くときは、曇

り空でも雨は降りません。カラスが今日は騒がしく鳴いています。

「朝だ、朝だ!」と鳴いているように聞こえます。

 

「カラス鳴き 夜明けを告げる 冬の朝 歩樹」

 

最近は、昔のことをよく思い出します。何故かよくわかりませんが、

それだけ歳をとった言う事でしょうか。先日は神戸ポートピア81

博覧会のことを思い出しました。1981年のことでした。山を削っ

て海を埋め立てた海上都市・ポートアイランドの街開きを記念して

開催した博覧会でした。日本で開催した初めての地方博覧会でした。

 

開幕すると全国から予想をお幅に上回る来場者が神戸の街に押し寄

せました。正確にはよく覚えていませんが、会期中に予想を大幅に

超える2000万人に近い来場者があったと思います。神戸の街が

人で溢れました。賑やかでした。

 

私は、商工会議所で地域イベントや地域プロジェクトの担当をして

いました。博覧会については、神戸の街にこられた人を温かくもて

なす「ウェルカム・神戸」運動を展開するキャンペーンを担当しま

した。そのために会議所が中心になって関係業界に呼び掛けて「ウェ

ルカム・神戸実行委委員会」を組織しました。商店街、ホテル、旅

館、交通機関等関係業界を網羅したオール神戸の組織でした。

 

その実行委員会で、おもてなしの研修会の開催、おもてなしのハン

ドブックの作成、ポスターやステッカーの掲出等の事業を実施しま

した。すべてが初めてのことばかりなので、手探りでやりました。

私は不安で一杯でした。夜もよく眠れないと事もありました。しか

し、当時は神戸の街が一番元気のある時でした。運動を呼びかけれ

ばどの業界も「やろー!」言って積極的に協力してもらいました。

 

その当時は、どの企業も神戸の街の為に人肌脱ごうという雰囲気が

ありました。神戸の街挙げて博覧会を成功させようと言う機運があ

りました。神戸が一番、結束力がある時でした。神戸の街全体が盛

り上がっていました。私は毎日、徹夜に近い状態でした。それでも、

しんどいとは思いませんでした。むしろ楽しかった事を思い出しま

す。

 

今思えば、博覧会の時が、神戸の一番活気があるときでした。全国

の街が神戸に一目を置いていました。神戸の街は先進的な街づくり

のモデルとして注目されました。ポートピア博覧会の成功は、その

後の地方博覧会の先駆けとなりました。神戸の街が一番輝いた時期

でした。

 

博覧会の跡地にファッションタウンとコンベンションセンターが建

設されました。神戸の経済活動の拠点に発展しました。今からわず

か35年前のことです。あの時は私も若かったです。神戸の街の将

来に希望を持っていました。神戸に勤務している事が自慢でした。

 

その後、神戸が大震災に見舞われて、長期にわたって停滞するとは

夢にも思いませんでした。博覧会の時の神戸の輝きを考えると、今

の神戸の元気のなさが残念でなりません。ぜひ、あの時の気持ちを

思い出して関係者が一丸となって神戸の街の発展・活性化に邁進し

てもらいたいものです。

 

神戸の街は、途方創生の先進的なモデルと躍進してほしいですね。

 

神戸よ、もう一度、博覧会の時の進取あふれる精神を思い出せ!

 

2015.12.16 里山 歩樹