ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】―中学校の思い出

今日は曇り空の寒い日です。

 

冬がやってきました。昨日から急に寒くなってきました。冷え込ん

できました。昨夜、部屋の温度計をみると8度でした。今年最低で

す。今朝の新聞を読むと、全国的に冷え込んだようです。北部では

かなり雪が積もったとのこと。神戸の街にも雪が降ったようです。

寒く感じますが、これが平年の温度のようです。暖冬も、そろそろ、

終わりですかね。

 

黒い雲が空を覆っています。雲に隠れて、太陽の陽が射してきませ

ん。薄暗い天気で余計に寒く感じます。足元から冷えてきます。部

屋のガラス戸を開けて外を見るとうす暗い冬景色です。空には黒い

雲が広がっています。空気が乾燥して冷たく感じます。

 

風はないようですが、さむざむとした景色を見ると、物寂しくなり

ます。灰色の庭の中で寒椿がピンクの花を咲かせています。寒空の

中でも、負けずに明るい花を咲かせてくれる寒椿の姿が健気に見え

ます。

 

「寒空に寒椿咲く 健気なり 歩樹」

 

今日は、私の中学生の時の話をします。私は、幼稚園と小学校は地

元の多田の学校に通っていました。自宅から2キロ以上も歩いて通っ

ていました。普通は中学校も隣接する多田中学に行きます。友達も

ほとんどが多田中学に行きました。ところが、私は、母の薦めで大

阪の学校に行きことになりました。梅田にある「関西大倉」という

学校です。

 

この学校は高校もありました。中学に入ると自動的に高校までいく

事が出来ました。母は、私が高校入学試験で苦労するのを避けるた

めに「関西大倉学園」をすすめたようです。その代わり、中学の入

学試験がありました。当時の関西大倉は、いわゆる進学校ではあり

ませんでした。商業高校でした。卒業してから、松下幸之助さんが

中学の卒業生だと知りました。

 

自宅から通うと2時間ぐらいかかりました。朝早く起きていくのが

つらかった事を覚えています。朝が早いので、朝食が咽喉を通りま

せん。いつも朝食抜きで学校にいっていました。混雑する通勤電車

に揉まれて通っていました。能勢電車と阪急電車に乗り継いで大阪

の梅田までいって、そこから福島にある学校まで歩いて行きました。

30分ぐらい歩きました。中学生には長い距離でした。

 

学校は男子だけです。制服が変わっていて、電車の運転手のような

帽子がトレードマークでした。どこにいても関西大倉の学生だとわ

かります。当時は、鞄は布の黒いショルダーバックでした。個人的

にはあまりかっこよくありません。私は、その制服と鞄が嫌いでし

た。ダサく思いました。

 

学校に着くとすぐにお腹が空いてきます。とても昼まで待つ事は出

来ません。私は、一時間目が終わると、こっそりと弁当を食べまし

た。昼になると学校の売店でパンを買って食べました。学校が終わ

るといつも梅田まで出て、梅田の繁華街の中を歩いて帰りました。

梅田の旭屋の書店によく行きました。その頃は趣味で切手を収集し

ていたので、大阪の中央郵便局によく行きました。

 

時間があれば繁華街の中を見て回って、楽しんでいました。おかげ

で梅田の周りの地理に詳しくなりました。通学でお腹が減るので、

いつものど飴をなめていました。男子校なので学校の中は殺風景で

華がありません。男女共学の学校が羨ましかったですね。大阪の街

の中を歩いている女学生が眩しく見えました。

学校の授業の事はよく覚えていません。古い校舎のことは記憶に残っ

ています。学生は各地から来ていましたので、あまり親しくなる事

もありませんでした。皆、都会の人でした。私のように二時間以上

もかけて通学している人は少なかったです。今となってはつらい通

学も懐かしい思い出です。今から半世紀も前のことでした。今では、

学校は茨城市に移転して、男女共学の進学校になっているようです。

 

時代も変わりました。

遠い昔の事になりました。

 

2015.12.19. 里山 歩樹