ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】―誕生日でした

昨日はブログを休みましてスミマセンでした。

 

実は昨日は私の誕生日でした。家内と娘が、誕生日祝いに寿司屋に

夕食を食べに連れて行ってくれました。その為に帰宅が夜になりブ

ログを休みました。ブログを休んだのは久しぶりなので、何かやり

残したようで寝つきが悪かったです。毎日の習慣になっていたもの

を急にやめると、気持ちがよくありませんね。やはり、継続する事

が大切です。

 

私は昨日で68歳になりました。自分ではまだまだ若いと思ってい

るので、改めて68歳と言われると。もう、そんな歳になった事が

信じられない気持ちです。あと2年で70歳です。昔は、70歳と

言うと随分と年寄りのように思いましたが、自分がその歳に近くなっ

てくると実感がわきません。精神は、まだまだ若手です。

 

「誕生日 また一つ増え 元気です 歩樹」

 

寿司屋に行くのは久しぶりでした。いつもは昼に行くのですが、夜

に行くのは初めてでした。ゆったりと過ごす事が出来ました。メ

ニューが冬用に変わっていました。フグやカニ、ブリ、鯛などの旬

のネタが、とても美味しかったです。特に、ブリが美味しかった。

脂がのったブリのトロが絶品でした。

 

店に行って私が誕生日だと知ると、特別に、誕生日のお祝いをして

くれました。私は初め、乗り気ではありませんでしたが、折角の好

意ですので受ける事にしました。先ず、最初の何やら綺麗な飾りの

ついた帽子を被ることになりました。次はローソクのついた特製の

デザートが出てきました。

 

急に店の電気を消して、店長がマイクで私が誕生日であることを紹

介したうえでハッピーバースデイの歌を歌いだします。店員さんも

店のお客さんも一緒になって大合唱です。私は予想もしない出来事

にビックリです。

 

嬉しいやら、照れくさいやら、恥ずかしいやら、複雑な気持ちでし

た。最後には家族揃っての記念写真を取って頂きました。いい記念

になりました。旬のネタの寿司をお腹一杯食べて楽しい誕生日にな

りました。店の皆さんに感謝ですね。

 

私が生まれたのは、昭和22年です。戦後間もない時でした。その

時代は国全体が貧しく、物がない時代でした。テレビは勿論、電化

商品は何もありません。全て人力でした。その頃は子供が遊ぶと言

えば野山と戯れることでした。そんな時代では、誕生日と言っても、

デコレーションケーキなどありません。それどころかケーキなど見

た事もありません。

 

私も記憶にあるのは、母が誕生日に赤飯を作ってくれたことです。

ときには、甘いぜんざいも作ってくれました.美味しいぜんざいで

した。母は小さな店を経営していたので、誕生日には店で売ってい

るドロップやチョコレートを特別にくれました。幼い時は、早く大

人になりたかったので,誕生日が来るのが楽しみでした。誕生日と

言っても普段と変わりませんでしたが、母が嬉しそうにしていた事

が思い出されます。

 

あとから聞いた話ですが、私が産まれた時は、母話はあまり母乳が

でなかったようで、私はよく、親戚の叔母の母乳をもらったようで

す。私は、小さい時は体が弱くて母に大変心配をかけたようです。

それが、今や68歳です。子供の頃は、母は勿論のこと、近所の

人々にも大変、お世話になりました。

 

あの頃は、子供は地域の人すべてが育ててくれたように思います。

のんびりした人情豊かな時代でした。物はありませんが、子供にとっ

ては楽しい時代でした。子供の頃が懐かしいですね。誕生日に、

母が作ってくれた赤飯の味が、懐かしく思い出されます。ぜんざい

も美味しかったなー。

 

今日、新聞を読んでいると、家内と娘が来て、誕生日のお祝いと言っ

てプレゼントをくれました。袋を開けると冬用の服と手袋でした。

おしゃれな商品でした。リハビリに着ていくために買ってきてくれ

た物です。温かい素材で作られています。これで少々寒くなっても

大丈夫です。丁度欲しいと思っていたところでした。リハビリに来

ていくのが楽しみになりました。家内と娘に感謝です。

 

いつも気を遣ってくれてありがとう。

 

本当にありがとう!

 

2015.12.22 里山 歩樹