ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】―父の日の思い出

今日も蒸し暑いですね。

 

ムシムシ、ジメジメしています。体が重たく感じます。どことなく

体がだるく感じます。窓を開けて風を入れていますが、今日は風も

ありません。無風の湿度の高い日です。汗が滲んできます。曇り空

で、陽差しも差してきません。薄暗いので、余計に気が滅入ります。

雨は降っていませんが、天気予報によると今夜から雨になるようで

す。梅雨に入ったので仕方がありません。

 

それにしてもジメジメして気分がよくありません。今日は日曜日な

ので神戸の研究所に勤める息子が久しぶりに帰ってきました。元気

そうな姿を見て安心しました。家内は久しぶりに息子が帰ってくる

ので嬉しそうにしています。娘は東京の家に帰っています。

 

今日、新聞を読んでいると父の日の事が出ていました。6月の第三

日曜日が父の日のようです。母の日の事はよく聞ききますが、父の

日の事はほとんど記憶がありません。以前、娘が父の日にシャツや

帽子をプレゼントしてくれたことがありますが、私が父の日に何か

した思い出がありません。私は小学生の時に父を亡くしました。そ

の為、父と遊んだり、過ごしたりした記憶がほとんどありません。

 

かすかに記憶があるのは、父が働いている姿です。父は川西の小さ

な村で店を開いていました。店では、食料品、雑貨、日用品等何で

も売っていました。村では店は二店しかありませんので、村の生活

には欠かせない存在でした。その為、朝早くから夜遅くまで休む事

なく働いていました。

 

母によると父は子供の事が大好きで、よく子供の話をしていたよう

です。だけど忙しく子供達と遊んでやれないのを、大変、気にして

いたようです。母はよく、父は頭の良い人だった言っていました。

私の顔を父に似ているとよく言っていました。

 

私が父の事で覚えているのは、大阪の病院に父を見舞いにいた時の

ことです。父は私に会う事を楽しみにしていたようで、私が行くと

大変喜んでくれました。面会時間ぎりぎりまで私と楽しそうに話を

していました。病院は阪大病院でした。当時は川西から阪大病院ま

では遠くて、度々行く事は出来ませんでした。父は子供達が来てく

れる事を毎日楽しみに待っていたようです。

 

面会時間を終わって病院を出ると夕暮れになっていました。自宅ま

では二時間以上かかります。病院の近くには川が流れていました。

空を見上げれば、黒い蝶のようなものがヒラヒラと飛び回っていま

す。コウモリでした。夕暮れの中を沢山飛んでいました。私は父の

事を思い出すと、いつも、コウモリの事を思い出します。

 

小さな子供の私が、母の手を握って、無言で病院の傍の川を見なが

らトボトボと歩いて帰った事が思い出されます。長い道でした。コ

ウモリの飛ぶ姿が不気味でした。次はいつ父に会いに行くことが出

来るのかと考えながら、母の手を握って歩いて帰りました。

 

父は私が帰るのを嫌がっていたと母が言っていました。私は3人兄

弟ですが弟達はまだ小さいので私だけが父に会いに行きました。私

は長男ですので、父は私の事が大変心配していたとよく、母が言っ

ていました。

 

私は、小学生の国語の時間で先生に父の思い出を話しなさいと言わ

れて、何を話せばよいか分からなく泣き出したことがあります。父

は長く病院に入院していましたので、私は父と遊んだ思い出があま

りありません。今思って残念です。

 

今日は、父の日の記事を読んで、何年かぶりに父の事を思い出しま

した。遠い、遠い昔の思い出です。懐かしくも、悲しい思い出です。

悔しい思い出です。私は、阪大病院の帰りに見てからコウモリが嫌

いになりました。コウモリを見ると阪大病院に入院していた父の姿

が浮かんできます。哀しく、悔しい思い出です。

 

皆さんは父の日に何を思い出してプレゼントされますか。プレゼン

トする父がいる人は幸せですね。羨ましいですね。

 

私も父の日には仏殿に綺麗な花か美味しい果物を供える事にします。

きっと父も喜んでくれることでしょう。

 

2016.6.11. 里山 歩樹