ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】-草野球の思い出

今日は、午前中は曇りです。

 

時々、晴れ間も見られました。午後からは強い日差しが差してきま

した。真夏の天気に戻りました。今日は、風も吹いています。窓を

開けると温かい風が家の中に入ってきます。風が入ってきても、涼

しく感じません。

 

窓を開けると庭の木からクマゼミの賑やかな鳴き声が聞こえてきま

す。以前、何かの本を読んで知ったのですが、普通、セミは、4年

ほど土の中で成長して、土から出て、羽化すると、わずか7日程で

死ぬそうです。その7日の間に子孫を残すために、必死になって鳴

くと書いてありました。本当にセミの命は短くて儚いですね。そう

思うとセミの鳴き声を聞くと切なくなりますね。

 

セミの本来の姿は地中にいる姿で、羽化した姿は最後の仮の姿なの

かも知れませんね。読んだ本によると、外国のセミの中には7年間

も土の中で暮らすセミをいるようです。暗い地中で何年も過ごした

後で、ようやく明るい太陽の光を浴びる事が出来たと思うとたった

7日で命を終えると考えるとセミが可哀想に思えますね。

 

でも、それは人間の勝手な感情でしかありません。セミは大昔から

そのような生き方をしてきており、セミの生き方を全うしているの

ですからね。わが家の庭や公園の土の中にもセミが生きていると思

うと不思議な気分になります。

 

皆さんは、セミが羽化する瞬間を見た事がありますか。私は我が家

の庭の植木や公園の木の枝でセミが羽化する姿を何度も見ました。

夏の朝早い時刻に庭の植木の枝にセミがとまっています。朝陽を受

けるとセミの背中が割れて白い綺麗な羽根が出てきます。しばらく

するとセミのしろい姿が殻から現れてきます。太陽に光を受けて色

が変わっていきます。

 

いつも見ているセミになったと思っていると、すぐどこかに飛んで

行きました。セミが羽化する光景は幻想的でした。美しい姿に感動

しました。この瞬間もどこかでセミが羽化していると思うと不思議

な気持ちになります。

 

そんな事を考えながら今日も新聞を読んでいると、驚く悲劇が起こっ

ています。このところ暗い事件が多くて嫌になりますね。私は暗い

ニュースを読んだ後は出来るだけスポーツの記事を見るようにして

います。ところがスポーツ面でもあまり楽しい記事は載っていませ

んね。阪神は相変わらず低調です。高校野球の予選も終盤を迎えて

います。

 

野球の記事を読むと、子供の頃の事を思い出します。私達の時代は

スポーツをして遊ぶと言えば野球でした。野球しかありませんでし

た。近くの広場でする草野球でした。道具と言えばバットとボール

だけでした。グローブを持っている友だちは二、三人だけでした。

草がぼうぼうと生えている広場で、数人で野球のまねごとをして遊

びました。

 

いるのはピッチャーとキャッチャーとバッターだけでした。ピッ

チャーが投げたボールをバッターが打つ、それだけでした。あとは、

キャッチボールをして楽しみました。ボールは素手で受けていたの

でよく突き指をして泣いた事があります。ボールが顔や体に当たっ

てあちこちにあざが出来ました。

 

広場にはネットの何もないのでボールをよく失いました。広場は草

むらなのでボールを探すのが大変でした。それでも、真夏のカンカ

ン照りの下で時間が過ぎるのを忘れて草野球に夢中になって遊びま

した。

 

私は、初めて母が皮のグローブを買ってくれた時のことが今も思い

出します。茶色の皮のグローブでした。私は、毎日、オイルを塗っ

てグローブの手入れをしていました。寝る時もグローブを寝床に入

れていました。あの頃はグローブは高くて貴重品でした。私はグロー

ブを友達に見せて自慢していました。

 

近年はスポーツと言えば、サッカーが盛んですが、私の子供の時は

サッカーをする人はいませんでした。時々、近くの運動場で少年野

球の試合を見る事がありますが、その格好はプロ野球の選手と同じ

でビックリします。お揃いの綺麗なユニホームと立派な道具、グロー

ブ、白いボ-ル、ヘルメット、プロテクター。白いべース、バック

ネット等等、もう、完ぺきです。

 

私達の時とは全く違います。私達の時はボールも一つしかなく、汚

れて黒くなっていました。キャッチャーがつけるプロテクトは高く

て買えませんでした。その為に誰もがキャッチャーになるのを嫌が

りました。

 

何よりも本格的な野球ができる広々したグラウンドがありませんで

した。まさしく草むらの中の野球、草野球でした。人数も小さな村

では、9人揃う事はありませんでした。そんな状態でもスポーツは

野球しかありませんでした。暑い夏の夕暮れまで広場でキャッチボー

ルをして遊びました。ボールが見えなくなるまで遅くまで遊びまし

た。帽子もないので日焼けして真っ黒になって草野球を楽しんでい

ました。

 

皆、巨人のマークのついた帽子を被って遊ぶのが夢でした。野球の

本格的なユニホーム着て野球をするのが憧れでした。あの頃は普段

着る服を着て野球をしていました。何もない時代でしたが、今思う

と楽しい時代でした。ボールとバットがあれば十分でした。おおら

かな、のんびりした時代でした。

 

今も、青空の下で黒くなったボールを追いかけた事を思い出します。

遠い、遠い、昔の懐かしい夏の思い出です。

 

2016.7.27. 里山 歩樹