今日は青空が広がっています。
秋らしいすがすがしい日になりました。窓を開けると乾いた空
気が入ってきます。少し冷たく感じますが気持ちよく感じます。
昨夜も気温が下がって寒くて目が覚めました。私が住んでいる
川西地域では山間部に行くと、神戸や大阪の街に比べると2、
3度は低くなりますので朝晩は寒く感じます。
私は昨夜は夜具の上にウールのベストを着て寝ました。日も短
くなりました。朝も6時になってもまだ暗く感じます。逆に夕
方は5時になると陽が陰って暗くなります。秋がだんだんと深
まっていくのを実感しますね。
窓を開けて庭を見るとキンモクセイの甘い匂いが漂ってきます。
わが家ではまだ、アサガオの蔓が青い葉をつけています。さす
がにアサガオの花は散ってしまいました。青空が見えた天気も
夕方から急に曇ってきました。夜にはまた、雨が降りそうです。
私は先週、家族と九州の鹿児島に旅行に行って来ました。その
事はすでにブログで4回にわたって紹介しました。今日のブロ
グでは書き忘れた事を番外編として紹介したいと思います。先
ず、第一は鹿児島の人々の優しい人情の豊かさに触れたことで
す。
私と義母は車椅子で移動しましたが、行き先で多くの人に助け
ていただきました。観光タクシーの運転手さん、航空会社とJR
の職員の皆さん、ホテルの皆さんによくしていただきました。
お陰で快適な旅を楽しむ事が出来まし。人の優しさに触れる事
が出来ました。人情に触れる事が出来ました。
次に感動したのは鹿児島の自然の豊かさでした。私達は観光タ
クシーで市内を移動しました。広い道路の沿線には延々と畑と
山が続いています。家や建物はたまに見る程度でした。車に出
あう事もありません。その広さには驚きました。私は以前行っ
た北海道の事を思い出しました。日本は広いと実感しました。
観光タクシーの運転手さんからは鹿児島の事をいろいろ教えて
頂きました。薩摩は100万石と言われていたが米が取れない
ので実質は70万石程度だったこと。薩摩藩はそれを補うため
琉球を支配下に入れて外国貿易(密輸)に力を入れていた事。
今も金鉱山がある事。鹿児島は御茶畑と竹藪が多い事。鰻とカ
ツオの漁獲量が日本有数である事、初めて聞くことばかりでし
た。
私は鹿児島に行くのは二度目ですが、今回行って見て鹿児島は
南国だと実感しました。道路の沿線の街路樹はサテツやヤシの
ような木ばかりです。南国特有の風景が印象的でした。冬になっ
ても雪は降らないとのことです。
その為、昨年の冬に思いがけない大雪が降って、南国の木々や
花が大きな被害を受けたと言っていました。沿道には今も枯れ
た樹木が残っていました。今の季節はブーゲンブリアなどの花
が咲き誇っているときですが雪の為に花が全滅したようです。
私は鹿児島で縄文杉の話しを初めて聞きました。千年以上の木
ているとようです。最長40年の縄文杉が見つかっていると言
切られたそうです。今は土の中から掘り出した縄文杉をいろい
ろな製品に加工しているようです。
てあります。その大きさにはビックリです。娘が縄文杉で作っ
た箸が売っていると言っていました。勿論今は天然記念物に指
定されていて切る事は出来ません。縄文時代からの杉が今もあ
るとは驚きです。薩摩の国の歴史の古さを思い知りました。
それから薩摩は昔から琉球と深くつながっていて今のその影響
が強く残っているように感じました。薩摩は外国文化の玄関口
言われています。フランシスコザビエルも、鹿児島に上陸した
と言われています。
らも明治維新の立役者ですが。運転手さんによると鹿児島では
やはり西郷さんが最も尊敬されていると言っていました。大久
保利通は明治になると家族を東京に呼んだようですが西郷さん
は最後まで鹿児島で暮らしたようです。西郷さんらしいですね。
鹿児島は自然が豊かで今も日本の人情が残っているように感じ
ました。心が安らぐ旅でした。心配された台風も旅の間はそれ
てくれました。幸運な旅行でした。これも旅行を計画してくれ
た娘のお陰です。
本当にいい旅でした。
娘と家内、鹿児島の皆さんに心から感謝です。
2016.10,12. 里山 歩樹