ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【神戸通信】ー「神戸のまぼろしのテーマパーク」

東京ディズニーランドには相変わらず多数の人が訪れているようです。

東京ディズニーランドは、人気が高くて入場者がどんどん増えていくので、次々と拡張して今や世界でも最も大きなテーマパークの一つとなっています。関西でもユニバーサルスタジオに国内は勿論、インバウンド客が多数訪れています。

 

ユニバーサルスタジオでは、今後もスーパーニンデンドーワールドを建設すると報道されています。なんと600億円の経費をかけて新たに拡張するようです。任天堂は海外でも有名なので、外国人の入場者が増えると期待されています。

 

じつは、神戸でも、今から約30年以上前に、東京ディズニーランドに匹敵する大規模テーマパークを建設する計画がありました。テーマパークの名前は、「神戸レジャーワールド(KLW)」でした。日本人が企画、建設する初めてのテーマパークでした。建設地は、神戸のポートアイランド二期の一画に約70haの用地を確保して建設する計画でした。

 

神戸にテーマパークを造って、神戸経済の活性化を図るのが狙いでした。このKLWの建設を提案したのは、神戸に本社がある食品会社「伊藤ハム」の伊藤専務でした。この構想を神戸商工会議所が中心になって進めることになりました。私は商工会議所の職員として、KLW構想の担当になりました。

 

この計画を具体的に進めるための主体として、企画会社を設立することになりました。大規模テーマパークを建設するには、多額の経費がかかります。そのため、企画会社は地元・神戸の企業だけではなく、全国の有力企業に参画を呼びかけました。神戸財界からは、川崎重工川崎製鉄神戸製鋼ダイエー伊藤ハム、ワールド、アシックス、UCC上島珈琲、田崎真珠神戸銀行が呼びかけに応じました。

 

当時の神戸財界の主要企業のほとんどが、参画することになりました。さらに、全国企業として、三菱重工三菱電機日本郵船日本興業銀行など当時の日本を代表する大企業が呼びかけに応じてくれました。

 

企画会社の資本金は21億円でした。企画会社の事務所は、ポートアイランド一期にある神戸商工会議所会館の6階に入居しました。企画会社の社長は、元通産省官僚で松下電器副社長をされていた人がなりました。

 

さらに企画会社の構成は、当時の日本経済を代表する大企業が名前を連ねており、オールキャストの体制となりました。それだけKLW構想への期待が大きかったと言えます。

 

神戸レジャーワールドのテーマは、「マジカルジャーニー」でした。古今東西の歴史上の有名な都市を時空を超えて旅行するというテーマでした。この構想には、作家の堺屋太一氏も大きな期待を持っておられ、色々とアドバイスをしていただきました。企画会社には、出資会社各社からの出向者で構成されました。

 

メンバーは、日本人による初めての大規模テーマパークをつくるということで燃えていました。そのためか、構想作りが急ピッチで進みました。2、3年後にはKLW構想の大枠が決まり、それを具体化した模型(ジオラマ)もできました。できた模型(ジオラマ)を見ると、その素晴らしさに多くの人が驚きました。

 

KLWの基本構想ができて、いよいよ事業主体をどこにするかということが大きな課題になりました。いろいろ議論をした結果、事業会社としてはダイエーにお願いすることになりました。当時ダイエーの中内社長は神戸商工会議所の副会頭をされていました。ダイエーが企画会社が作った基本構想を基に事業の実施計画を策定して、いよいよKLWも建設計画を発表する段階まで来ていました。

 

ところが、その発表の日のことでした。その日の早朝、阪神淡路大震災が神戸を襲いました。大震災は、神戸の都市を壊滅的打撃を与えました。ダイエーも大きな被害を被りました。思いもしなかった大震災がKLW構想を吹っ飛ばしてしまいました。神戸は、大震災からの早期復旧・復興が喫緊の重大課題となり、テーマパークの建設どころではなくなりました。このため、大規模テーマパーク構想は消滅してしまいました。

 

私は、残念でなりませんでした。とてもあきらめきれませんでした。

 

大震災の後に大阪にユニバーサルスタジオが建設され、多くの人を集めて大成功を収めています。私はそれを聞くと、KLW構想のことが思い出されます。大震災がなければ、関西に初めての大規模テーマパークが神戸ポートアイランドにできているはずでした。

 

KLWの建設には、当時の金額で1000億以上の巨額な費用が必要でした。その建設によって、神戸経済の活性化に大きな効果が期待されました。神戸の街も大規模テーマパークを中心に大きく発展し、内外から多数の観光客を集めていたことでしょう。今考えても、かえすがえすも残念でなりません。

 

私は今でも、いつか神戸に、日本人の企画した大規模テーマパークが建設され、神戸に世界から多くの人々が集まってくることを夢見ています。

 

「神戸に大規模テーマパークを!!」

 

大震災でまぼろしのテーマパークになった構想を、もう一度復活させ、まぼろしではなく現実のテーマパークとして建設したいものです。

 

2019年12月1日 午前10時40分

里山 歩樹