12月はボーナスが出る月ですね。
今日の新聞によると、この冬のボーナスは7年ぶりに減額になったと出ていました。サラリーマンにとっては、厳しい結果ですね。
私が新社会人になってはじめて冬のボーナスをもらったときのことを思い出します。当時はボーナスは、現金でもらいました。白い封筒にお札を入れて、ボーナスをもらいました。その年の夏のボーナスは、入社して間もないのでボーナスの支給月数は、新人は一般の職員の半分でした。
冬のボーナスで、はじめて一般の職員と同じ月数のボーナスをもらいました。はじめてボーナスの入った封筒を手にして、大変うれしかったことを覚えています。
当時は、冬のボーナスは月給の2.5カ月分だったと思います。まだ新人なので給与も少なかったので、ボーナスもそんなに多くありませんでした。すぐに中を見たいと思いましたが、ガマンして、スーツの内ポケットにしまいました。
ボーナスの時期は、みんな、三宮の繁華街に飲みに行くのが慣例でした。私はお酒が飲めないので行きたくなかったのですが、先輩に誘われると断ることはできません。三宮に行くと、3軒以上のスナックをはしごしました。
私はアルコールに弱いので、もうふらふらでした。スーツの内ポケットに入れたボーナスを落とさないか、心配でした。その日は深夜まで三宮の街を飲み歩き、自宅に帰ってきた時は日付が変わっていました。
私は、家に帰るとすぐに、母にボーナスの封筒を渡しました。母は大変うれしそうにして、「よかったね。ご苦労様でした。大事に貯金しときなさい。」と言って私にそのまま返してくれました。私は言われた通りに、ボーナスの半分を貯金しました。残りの半分で、スーツと、革靴を買いました。
大学時代の同窓に会ったときに、友達の話を聞くと、大銀行や大商社の社員だった人はボーナスの金額が私の倍以上だったので驚きました。バブルの時代は、ボーナスもどんどん増えていきました。よい時は、年間で5カ月以上も出ました。
ところが、大銀行の社員の友人は、年間6~7カ月ももらっていました。私にとっては、夢のような金額でした。今では考えられないボーナスの金額でした。
バブルの時代は、給与もボーナスも毎年増えていきました。このような時代がいつまでも続くと思っていましたが、ある年、いきなりバブルがはじけて、冬の時代がやってきました。それ以来、失われた20年が続き、給与もボーナスも減少するばかりでした。
バブルの時が、日本経済のピークの時でした。バブルの時代を体験した人間には、今の時代が信じられないです。こんな厳しい時代が来るとは、夢にも思いませんでした。私は、友人が「あのときに貯金しておけば良かった」と言って後悔していた事を思い出します。
世界が大競争の時代に入って、日本経済がかつてない厳しい時代になっていることはよくわかりますが、企業は、その中でも、社員の所得向上にもっと力を入れるべきではないでしょうか。必要以上に内部留保を積み上げるのではなく、社員への所得分配に力を入れるべきです。
社員の給与を引き下げると、その結果、支出が減少して、企業業績にマイナスの影響を与えます。
現在の日本経済の停滞を打破するためには、発想の転換が必要です。
企業は、可能な限り、給与とボーナスを増やすことに努力すべきではないでしょうか。
2019.12.11.(水曜日)午後4時29分 里山 歩樹(藪野 正昭)