ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【神戸通信】ー「博覧会」

2025年に開催される大阪関西万博の開催日が決まったようですね。

今日の朝刊に出ていました。博覧会といえば、私が大学を卒業した昭和45年に開催された大阪万博が思い出されます。

 

私は仕事柄、博覧会に何回も出かけました。ものすごい人数で驚きました。電車を降りて、博覧会場の中に行くまでに時間がかかりました。入り口から会場に入ると、皆急いで目当てのパビリオンに走って行きました。

 

ソ連館、アメリカ館が一番の人気でした。アメリカ館に入ろうとすると、長時間並ばないと入れません。アメリカ館では、「月の石」を見ることができました。「月の石」は思ったより小さく、私はそれのどこがよいのかよくわかりませんでした。少しガッカリした記憶があります。

 

他国のパビリオンも見てまわりました。企業パビリオンは最新の技術を紹介するのがメインテーマでした。そのときに紹介された未来の技術としては、電子新聞、自動洗い風呂機や携帯電話などがあり、私は興味深く眺めた記憶があります。

 

しかし、そのときは夢物語のように考えていた技術も、今では全部実現されています。その後の科学技術の発展の目覚ましさに驚きますね。

 

大阪万博のときは、高度成長期で、日本経済が絶頂期のときでした。大阪はじめ、地方も元気で、活気がありました。関西経済が、今のように地盤沈下するなど夢にも考えませんでした。

 

私にとって、博覧会で一番に記憶に残っているのは、「神戸ポートピア博覧会」です。1981年に、神戸ポートアイランドの街びらきのイベントに、「ポートピア´81」が開催されました。当時ではポートピア博覧会は、はじめての地方博覧会でした。地方が開催する博覧会として、内外から注目を集めました。

 

オープンすると、予想を大幅に上回る人が内外から集まり、大成功でした。確か半年間で1500万人以上の来場者があったと記憶します。

 

当時、神戸経済が一番元気なときでした。一都市の神戸市が独力で博覧会を開催して大成功したことで、大変驚かれました。その後、地方の博覧会も各地で開催するようになりました。

 

しかし、どこも、神戸のような成功を収めるところはなかったと思います。神戸は「山海へいく。」と評されたように、海の中に人口島を建設して、世界を驚かせました。

 

その街びらきの「ポートピア81’」博覧会は、元気な神戸を象徴する大規模イベントでした。私も、経済団体の職員として、博覧会に来られる人々をあたたかく迎えるためのキャンペーンを展開しました。

 

「ウェルカム・神戸」実行委員会をつくって、市内の企業、小売店、ホテルなどに、おもてなし運動を展開しました。そのためのステッカーやワッペン、ポスターを作って、市内の企業に配ったことが思い出されます。

 

私は、休みの日には、家族全員で博覧会場に見学に行きました。まだ子どもが小さいときでした。子供を家内と抱きながら、パビリオンを見て回ったものです。

 

当時は神戸の企業も元気でしたので、神戸企業のパビリオンも多かったように思います。そのときのパビリオンが今も残っていて、企業博物館などとなっているところもあります。

 

コーヒーメーカーのUCC上島珈琲は、コーヒーカップの形をしたパビリオンを出展し、今もポートアイランドに残っています。その他の企業もパビリオンをつくったり、事業に参画しました。

 

博覧会が開催された当時の神戸には、活気がありました。博覧会場の跡地は、ファッションタウンとして整備されて、今ではアシックス、ワールド、田崎真珠ノエビアユーハイム、ポートピアホテルなどが集積して、神戸経済の一大拠点となっています。

 

残念ながら、今の神戸経済には、その当時の面影はありません。

当時のことを知っている私としては、残念でなりません。

 

大震災があったとはいえ、一日も早く神戸の街がかつての活気を取り戻すことを心から期待しています。

 

2019.12.18.(水曜日)午後3時15分

里山 歩樹(藪野 正昭)