ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】ー「ふるさとの我が家のかまど」

今日は、12月25日。

あと1週間すれば正月ですね。なんとなく気ぜわしく感じて、落ち着きません。私はこの時期、なぜか、子供の頃過ごした田舎の古い家のことをよく思い出します。

 

子供の頃、我が家は2件の家があって、つながっていました。一件は、よろず屋の店でしたので、その隣に家族が住む家があって、廊下でつながっていました。

 

私達家族が暮らしていた家には、広い土間がありました。その土間のまん中には、大きなかまどがありました。かまどには、大きなかまが2つ乗せてありました。その一つのおかまには、いつも、熱い湯が湯気をあげて沸かしてありました。

 

かまどには、いつも、マキが燃えていました。かまどを見るといつも、赤々とマキが燃えるのが見えました。寒い冬でも、かまどの前にいると、体がぽっかぽっかとあったまりました。

 

私はマキの火が消えそうになると、マキをかまどの中に入れて、火が消えないように気をつけていました。広いかまどのひとつには、まんまんと水が入っており、いつも湯気が上がっていました。その湯気で、体があたたまりました。

 

土間には、台所もありました。土間のすみには、井戸がありました。モーターを回して井戸から水をくみあげて、台所で使っていました。田舎の土間は、生活の中心でした。風呂をわかすのも、土間でした。

 

土間にはいつもマキが用意されていました。そのマキで風呂がまの大きな入り口にマキを入れて、風呂を沸かすのが子供の頃の私の役割でした。ふるさとの土間は、いま考えると本当に便利にできていました。

 

しかし、一番困ったのは、寒いことでした。土間は土がむき出しになっているので、冬は寒さが足元からしんしんと伝わってきます。だから、私はできるだけかまどから離れないで、あったまっていました。

 

土間は、夏は涼しくて、快適でした。夏になると、土間にはつばめが毎年、土間の天井に巣をつくりました。祖母はつばめがくる家はよいことがあるよ!、と言って、つばめを大事にしていました。

 

つばめは、夏にはたくさんの子供を産みますので、そのフンの始末が大変でした。祖母は、文句を言わずにフンの掃除をしていました。

 

昔はどの家でも、開けっ放しでした。カギをする家はありません。そのため、つばめはいつでも家の中に入ることができました。

 

あるとき、私は間違って、家のガラス戸を閉めると、つばめが羽根でガラス戸をたたく音がしました。つばめが窓を閉めたのを怒っていました。

 

私がガラス戸を開けると、喜んで入ってきて、子供のところに行って、えさをやっていました。いま考えると、本当にのどかな時代でした。遠い遠い昔のふるさとの家での、なつかしい思い出です。

 

あー、昔の田舎の家がなつかしいな!

貧しいながらも、楽しい時間が流れていました。

 

昭和の初めのなつかしい光景が、そこにはありました。

 

2019.12.25.(水曜日) 午後1時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)