ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【神戸通信】ー「ヴィッセル神戸」

昨日の天皇杯で神戸に拠点を置く「ヴィッセル神戸」が優勝しました。

地元神戸にとっては、新年早々の朗報です。近年、神戸ではあまり明るい話題がなかったので、久々の明るいニュースです。今年は新年早々縁起が良いですね。

 

私は、神戸の経済団体に勤務していたときからヴィッセル神戸の誘致運動や、ファンクラブの設立などに関わってきましたので、感無量です。

 

ヴィッセル神戸は、その元となったのは、川崎製鉄のサッカー部でした。Jリーグがスタートして、神戸にもプロチームをつくろうという声があがってきて、川鉄のサッカー部をもとに、ヴィッセル神戸を設立することになりました。

 

ヴィッセル神戸が発足したのはあの震災が発生した年の1月1日で、大震災の1月17日が初練習の日でした。

 

ヴィッセル神戸はスタートしたものの戦力不足でよい成績を残せなくて、J1に昇格したあともJ2に陥落したり、経営破綻したり、苦難の道を歩んできました。

 

私は経済団体の職員として、ファンクラブの設立や、ヴィッセル神戸の激励会の開催などに努めてきました。もちろん、私もファンクラブに入会して、よく兵庫区のスタジアムに応援に行きました。

 

ヴィッセル神戸のスポンサーには、川崎重工神戸製鋼伊藤ハムノーリツなどの地元有力企業が応援してくれました。

 

しかし、なかなか成績があがらず、スポンサー探しには大変苦労していました。成績がよくないので、スタジアムに行っても観客は少なかったように記憶します。

 

当初、経営主体となっていた地元大手企業も支えられなくなって、やむなく当時、神戸商工会議所の副会頭をされていたノーリツの太田社長が中心になって、経営の立て直しを図り、ヴィッセル神戸株式会社の中核に伊藤ハムを迎えて、伊藤ハムから社長を出してもらうことになりました。

 

その伊藤ハムの人は私のよく知っている人で、私がKLW、「神戸レジャーワールド」というテーマパークの実現にかかわっていたときに、伊藤ハムから出向されていた人で、長く一緒に仕事をした人でした。

 

そして、ヴィッセル神戸の専務にはノーリツから人を出向してもらって、ヴィッセル神戸の経営にあたりました。それでも、なかなか成績があがらず、存続の危機を迎えることになり、そのときに協力を要請した先が、楽天三木谷社長でした。

 

三木谷社長は神戸出身で、お父さんは神戸大学の経済学部で金融論の教授をされていました。私も何度かお会いしたことがあるように記憶します。

 

私が一番記憶に残っているのは、ポートアイランドの商工会議所会館でヴィッセル神戸の激励会を開催したことです。

 

その年には、三浦知良選手がヴィッセルに入団したときでしたので、激励会の会場にはたくさんのマスコミ関係者が押し寄せて、びっくりしました。

 

私はそのとき初めて三浦選手を見ました。カッコよかった。さすがにオーラがありました。商工会議所の女性の職員は、みんな仕事を抜け出して、三浦さんを見に来ていました。

 

何回もJ2に落ちていたあのヴィッセル神戸が、天皇杯で優勝するなんて夢のようです。

 

かつて、ヴィッセル神戸の社長を務められた知人はすでに亡くなりましたが、天国から喜んでおられるでしょう。

 

ヴィッセル神戸ありがとう!!

これからも頑張って神戸の街を盛り上げてください。

 

2020.1.3.午後12時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)