ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「昭和の駄菓子」

私は、おやつをよく食べます。

食後には必ず果物とともに甘いおやつを食べるのが習慣となっています。おやつを食べるときに、私はよく子どもの頃に食べたお菓子のことをよく思い出します。

 

私が子供の頃は、今のようなおいしい、高価なお菓子はありませんでした。母からもらったわずかのおこづかいをためて、近くにあった駄菓子屋にお菓子を買いに行きました。駄菓子屋に入ると、様々なお菓子が並んでいました。

 

子供の私は、持って行ったおこづかいで何を買うか迷ったものです。駄菓子屋で売っているお菓子はほとんどが1円か5円程度のものでした。私は持って行った小銭で、せんべいやあめだまをいくつか買うのが習慣となっていました。

 

子供の頃によく食べたせんべいは、塩せんべいが多かったように思います。少し、しょうゆの味がするせんべいの味が、私は大好きでした。それとよく食べたのはエビせんべいでした。また、塩昆布もよく食べました。

 

あめでよく食べたのは、グミあめでした。やわらかい食感のグミあめがおいしいので、よく買って食べました。駄菓子の中には、イカの足を甘辛くしたものもありました。

 

チキンラーメンを小さな袋に入れたものもありました。チキンラーメンをそのままかじって食べるのが好きでした。

 

駄菓子屋で買う菓子はどれも1円~5円程度のものなので、少しのこづかいでも、いろいろ買うことができました、私がよく行く店に行くと、店のおばさんがよくおまけしてくれました。

 

私が子供の頃によく食べて、記憶に強く残っているのは、ポン菓子ですね。私の子供の頃は、よくポン菓子をつくる業者がやってきました。家からお米を持って行くと、それでポン菓子をつくってくれました。

 

ポン菓子は、大砲のような形をした容器にお米を入れて容器を爆発させてつくります。爆発させたときには、ビックリする大きな爆発音がしました。私はその音が怖いので、少し離れたところから耳をふさいで見ていました。

 

できたてのポン菓子は、あたたかくて、甘い味がしました。私は白いポン菓子が大好きでした。私はごはんを食べるかわりに、ポン菓子を食べて、よく母から怒られました。

 

駄菓子屋に行くと、ポン菓子をボールのように丸めた菓子が売っていました。私はそのポン菓子を、大きな口を開けて食べるのが好きでした。甘いポン菓子の味は、今もなつかしく思い出しますね。

 

ポン菓子は、今でも、神社の夜店などに行くと売っています。私はポン菓子を見つけると、必ず買って帰りました。

 

それと、神社の屋台でよく買ったのは、わた菓子です。わた菓子のふわふわした甘い砂糖の味は格別でした。

 

それと、子供の頃に食べた菓子は、水あめですね。昔は業者の人が自転車で水あめを売りに来ました。私は、業者の人が来ると、家から急いで出て、水あめを買いに行きました。水あめを小さな2本の棒につけて売ってくれました。

 

2本の棒を使って水あめを曲げると白い色に変わるのが楽しかった記憶があります。白くなった水あめを食べると、甘い味がしました。

 

子供の頃のおやつといえば、素朴な駄菓子です。今の子供は、普段から高価なチョコレートやケーキを食べているので、私が食べたような駄菓子を食べようとは思わないでしょうね。

 

しかし、あの時代は駄菓子屋で売っている駄菓子を買うのは、最高の楽しみでした。

私の子供の頃のなつかしい思い出です。

 

 

2020.1.16.(木曜日)午後2時48分

里山 歩樹 (藪野 正昭)