ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【神戸通信】ー「阪神淡路大震災25年」

昨日は、あの大震災の25年目の日でした。

新聞を読むと、朝刊は、全紙で震災の記事が一面を占めています。追悼行事のことが大きく報道されています。私もあらためて、25年前のことを思い出しました。

 

幸い大震災で、私が勤務していた組織の職員には、犠牲者は出なかったが、職員の中には家が倒れたり、避難所から出勤する職員がいました。職員は全員無事でしたが、役員や関連者の中には、亡くなった人がいました。

 

私たちの団体は、神戸の企業が会員になって、その会費で運営されているので、震災で退会が出て、会費がもらえなくなるのではないかと心配になりました。若い職員の中には、団体が潰れるのでないかと心配する人もいました。

 

当時は電気やガスが止まったままでしたが、寒い中で分厚い服を着ながら仕事をしたことが記憶に残っています。

 

その中でも、大阪や各地の会議所から、応援に来てくれる人がいました。そのときのうれしさは、いまも、忘れません。

 

全国各地からの支援で、建物の被害を直すことができました。そのときほど各地からの支援のありがたさを感じたことはありませんでした。

 

当時一番困ったのは、電車が止まったことでした。ポートライナー、阪急、阪神、JRも神戸周辺はすべて止まっていました。しかたなく私たちは徒歩で、電車が動いている駅まで行きました。

 

ポートアイランドには、バス運行されましたが、長蛇の列で乗ることができません。私は川西の自宅から、しばらく阪急電車に乗って、約3~4時間かけて、ポートアイランドの事務所に行きました。仕事が終わっても、家に着くのは夜遅くなっていました。

 

家に帰っても、疲れて、すぐに寝てしまいました。少し寝ると、また朝になって起きて出かけました。今考えると、神戸で仕事をしている時間より、行き帰りの通勤時間の方が長かったように思います。

 

私は、震災のときにはじめてポートアイランドから船で、関西国際空港に行って驚いたのは、関空では観光客であふれていました。みな楽しそうな顔をして、大きな旅行バッグを持って、海外に出かけるのを楽しそうにいていました。

 

神戸ではライフラインが止まって、食べるのにも困っているのに、関西国際空港ビルに行くとレストランがお客さんで満員でした。

 

おいしい料理がどこのレストランでも並べてありました。私は、神戸の被災地と大阪の違いにあぜんとしました。

 

私は震災ルックで大きなリュックをかついでいましたが、関西国際空港にいる人はおしゃれな服を着ていました。その姿に私はこれが現実なのかと疑いました。

 

今考えるとあんなに頑張れたのが不思議です。人間は、追い込まれると思わぬ力が出るものですね。今、あのときのことをしろと言われても、とても出来ません。

 

あの大震災では6400人以上の人が亡くなりました。日本は震災列島です。またあの大震災がいつ来るかもわかりません。ついこないだも東北大震災がありました。日本は災害列島だということを忘れてはなりません。

 

阪神淡路大震災の経験を後世に伝えて、生かしていかなくてはなりません。

それが、今、私達の責任だと考えます。

 

風化してはいけません。

 

 

2020.1.18.(土曜日) 午前11時45分

里山 歩樹 (藪野 正昭)