ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「公園の思い出」

今日は、小春日和のよい日です。

昨日とは打って変わって、あたたかい陽光が家の中にも入ってきます。

 

今日のようなよい日は、私は、子供がまだ小さいときは、自宅近くにある公園に出かけて、よく遊びました。自宅の周りには、いくつかの公園がありました。

 

私はいつも、その公園を回って、散歩するのが習慣となっていました。公園に行くと、さまざまな木々と、草花が植えてありました。

 

私はひとりで公園に行くときは、公園のベンチであお向けに寝転がって、青い空をながめるのが好きでした。空を見ていると、ひよやカラスなどの鳥が飛び回っているのが見えました。

 

どこからか小鳥のさえずりも聞こえてきます。ベンチにあお向けになって見ていると、いつのまにかうとうとして、眠ってしまうこともありました。

 

ベンチで長く寝ていると、近くの子供が遊びにきましたが、子供の姿を見ることは、以前より少なくなったように思います。最近は、子供達はあまり外で遊ばないようですね。

 

私は子供と公園に行くと、娘と息子と私で草野球をして遊ぶことがよくありました。息子がピッチャー、私がキャッチャー、娘がバッターをして遊びました。

 

娘が打ったボールが公園の向こうにあった家の中まで飛んでいって、困ったことがありました。

 

近年は、公園に行っても、いろいろな規則があって、ボール遊びをしたり、犬を連れて入らないようになどいろいろ決められているようですね。公園も自由に遊べなくなったようで、住みにくい社会になりました。

 

私の子供のときのことを思うと、のどかな時代でした。いたるところに広い広場がありました。広場では、自由に野球をしたり、かくれんぼうをしたりして遊ぶことができました。

 

公園は草むらでしたが、広々として走り回って遊ぶことができました。広い公園は、私達子供の天国のような場所でした。何の規制もありませんでした。

 

広場には、遊具は何もありませんでしたが、子供には、広い場所が最高の遊び場でした。

 

広場は、近くの工場の敷地にあったり、個人の所有地だったと思いますが、そんなことには関係なく、広場は、私達子供が自由に使える公園でした。また当時は、小学校や中学校の校庭には、誰でも自由に入ることができました。

 

ところが、いつからか、学校の校庭には入ることができなくなりました。入り口のとびらは鍵がかかっていて、入ることができなくなりました。休みの日は運動場には誰も入れなくなりました。

 

そのため、最近の子供達は私の子供のころのような広い場所で遊ぶことができません。団地には、公園がありますが、小さな公園ばかりです。

 

子供が自由に走り回る場所にはなりません。その上に、いろいろな規則があって、自由に遊ぶことができないようになっています。

 

加えて、以前にあったすべり台などの遊具も、ケガをしないようにすべて取り払ってある公園が多くなりました。子供が公園に行っても、楽しく過ごす遊具がなくなりました。

 

そのためか、近年は公園に行っても子供の姿はほとんど見なくなりました。広場で、子供達が遊ぶにぎやかな声を聞かなくなりました。

 

子供は風の子。子供達には、広い広い場所で思い切りに手足を伸ばして遊んでほしいですね。

 

私が小さい子供達と公園に行って、キャッチボールをして遊んだ日のことをなつかしく思い出します。

 

このような小春日には、皆さん、公園に出かけて、遊びましょう。

 

 

2020.2.19.午後12時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)