ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】―新入職員の時の思い出

今日は昨日とは打って変わって快晴のいい天気です。

 

太陽の明るい日差しが燦々と家に中に入ってきます。気持ちがよい

朝ですが、気温は低く感じます。家内も「今日は、天気は良いが寒

い」と言っていました。ゴミ出しで外に出かけると寒くて震えると

言っていました。よく晴れた日は寒くなります。風が冷たそうです。

 

窓を少し開けて外を見ると青空が広がっています。風が吹いて庭の

木の枝を揺らしています。山茶花の赤い花びらが庭に落ちていまし

た。周囲の景色は冬模様です。薄寒く感じます。外はシーンとして

静かです。何の音も聞こえてきません。寂しい程静かです。冬の静

かな時間が流れて行きます。窓を開けると冷たい空気が入ってきま

した。慌てて窓を閉めました。

 

今日から神戸では「神戸ルミナリエ」が始まります。天気が心配で

したが、快晴に恵まれて関係者は喜んでおられるでしょう。私の記

憶ではルミナリエが始まると、神戸も急に寒くなって、よく、雪や

雨が降りました。ルミナリエは神戸の冬の風物詩です。

 

ルミナリエを見て、今年も冬が来たと実感しました。今年も、もう、

終わりかと感慨にふけったものです。点灯式が懐かしく思いだされ

ます。今日からの10日間、多くの人の心を癒してくれることでしょ

う。会期中、よい天気が続くことを祈ります。

 

ルミナリエ 希望の光 キラキラと 歩樹」

 

最近、なぜか昔の仕事の事を思い出します。突然、何十年も前の人

の名前を思い出してビックリします。人間の記憶というのは不思議

ですね。忘れていた人の名前や思い出が頭に浮かんできます。先日

も私が社会人として就職して、仕事をしていた時のことが鮮明に思

い出しました。

 

私は、昭和45年4月に神戸の商工会議所に入所しました。その年

の採用は私一人でした。配属は調査部でした。私が調査部を希望し

ました。私は、若い頃は民間エコミストになりたいと思っていまし

た。調査部に入れば、好きな経済の勉強ができると考えていました。

 

 

調査部と言っても、陣人は部長、次長と男性の職員が私を入れて2

人、女性の職員が2人、他に学生のアルバイトと嘱託の人が2人の

小さな組織でした。仕事は、兵庫県下の景況調査や企業の設備投資

や賃金、物価の調査、県下の地場産業の動向調査が主な仕事でした。

その他に商工会議所の広報誌「月報」を毎月発刊していました。ま

た広報も重要な仕事でした。マスコミの対応窓口になっていました。

 

さらに商工会議所の各種部会・委員会の事務もありました。今、思

うとスタッフが少ない割には幅広い仕事を担当していました。しか

し、当時はのんびりしたものでした。朝は、主要新聞を読むのが仕

事でした。重要な記事には赤鉛筆で印をつけるのが仕事でした。全

国紙と地元紙、経済新聞を全部読み終わると昼近くになっていまし

た。あまり、のんびりしているので他の部署から羨まれました。

 

調査部には付属の図書館がありました。図書館には経済関係の雑誌

や出版物が保存されていました。全国の主要大学の研究論雑誌も送

られてきます。私は、時間があれば図書室に入って、本を読んでい

ました。お蔭で図書室の資料の事は詳しくなりました。

 

最初の仕事で困ったのは、マスコミ対応でした。何か新しい政策発

表や出来事が発生すると,新聞記者から商工会議所会頭のコメント

の依頼が入ります。コメントの案文の作成は調査部の仕事でした。

ある時、公定歩合の引き下げを日銀が発表して、そのコメントを私

が作成する事になりました。初めての大役でした。

 

200字以内の短いコメントですが何緒書いたらよいか困りました。

何とか書いて秘書に持って行くと、自分で会頭に電話をするように

言われてビックリしました。会頭に直接電話したのはその時が初め

てでした。翌日の各紙の朝刊に私が作成したコメントが出ていまし

た。

 

ホッとしました。

少し自信がつきました。

 

2015.12.4 里山 歩樹