ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】-忘年会の想い出

今日は、朝は晴れていました。

 

早朝は朝焼けでオレンジ色の光が障子から入ってきました。朝

食の時になると雲が出てきて薄暗くなってきました。天気予報

の通り夕方になると雨が降ってきました。今日は日曜日。ルミ

ナリエも3日目になりました。天気が良ければ大勢の人が訪れ

るはずなのに、雨では人出も少なくなるでしょうね。

 

ルミナリエの電球は雨に弱いのが気になります。雨になると警

備の人も、ボランティアの人も大変です。冷たい雨が身に染み

ます。けれど、雨に濡れたルミナリエの光も綺麗です。以前は、

ルミナリエの時期になると初雪が降る事がありました。寒くて

震えましたが、雪が降る中のルミナリエは幻想的でした。

 

ルミナリエの時期になると、忘年会が始まります。私が現役の

時は12月に入ると、毎日のように忘年会の予定が入ってきま

した。忘年会のほとんどは仕事の関係者とのお付き合いです。

断る事はできません。私は、お酒に弱いんで宴席は苦手でした。

正直に言うとできる事なら断りたいと思っていました。

 

仕事の関係者との宴席は神戸の有名な料亭や飲食店が多くて気

をつかいます。お陰で豪華な料理を食べる事が出来ました。料

理は美味しいですが、出席者一人一人にお酒をついで回るのが

大変でした。お酒を注げば、必ず返杯されます。私はアルコー

ルが弱いので、返杯のお酒を呑むのが大変でした。真っ赤な顔

をしながらついで回りました。

 

私が現役の時は神戸の花隈には有名な老舗の高級旅館がありま

した。普通のサラリーマンにはとてもいけない高級旅館ですが、

仕事の関係で招待されました。お座敷での日本舞踊をうっとり

と眺めていました。日本料理の素晴らしさをその時に学びまし

た。

 

お座席での作法もその時に学びました。だけどお座席での宴会

は気をつかうので疲れました。折角の美味しい料理もゆっくり

と味わう事が出来ませんでした。震災後、花隈の花街も衰退し

て老舗の旅館も少なくなりました.神戸も寂しくなりました。

 

師走になると、連日宴会の予定が入っていました。お酒が好き

な同僚は毎日の宴会を楽しんでいましたが、私は仕事をしてい

る方が楽でした。宴会は仕事より疲れました。毎日、手帳の宴

席の予定を眺めてため息をついていました。

 

同僚や友人と行く忘年会は気が楽でした。三宮の安い店で忘年

会をしました。同僚などとたわいない話をしながら盛り上がり

ました。友人と飲む時は気をつかわないのでそれ程疲れません。

しかし、後が大変でした。

 

忘年会の後は、皆がそろって、二次会に行くのが普通です。二

次会ではいつも行くスナックに行くのは恒例です。スナックで

はカラオケがあって、皆が得意の歌を順に歌う事になります。

私は音痴なのでカラオケで歌うのが苦手でした。できる事なら

断りたい気持ちですが、私だけが歌わないと雰囲気を壊すので、

毎回、一つしかない持ち歌を、汗をかきながら歌いました。

 

若い人と行くと二次会では終わりません。三次会、四次会と日

が変わるまで続く事もあります。私は家に帰るのに2時間以上

もかかりますので、途中で帰る事が多かったように思います。

何よりも終電車に間に合いません。

 

三宮から阪急電車西宮北口まで行ってから、タクシーで自宅

まで帰る事がよくありました。電車がなくなったことや疲れて

いるのでタクシーで帰るようになりました。タクシーでも自宅

まで30分以上もかかりました。タクシー代が大変でしたが、

体の為には止むを得ません。

 

師走になると毎日帰宅は深夜になりました。今思うと若いから

続いたと思います。12月は辛抱の月でした。忘年会の次の日

は休みたくなる事もありましたが、私は、むしろ早く出社する

ようにしました。私の小さなプライドでした。

 

昔は忘年会の時期は神戸の東門筋の繁華街は大勢の人で溢れて

いました。友人に聞くと最近は二次会に行く事も少なくなって、

東門筋も人通りが少なくなっているようです。近年は経済情勢

が厳しくなって、忘年会も盛り上がらないようですね。

 

世の中に余裕がなくなってKたように思います。今思えばあの

頃が日本のピークだったように考えますね。今では懐かしい思

い出です。最近は寂しい12月になりました。忘年会で騒いだ

のは、遠い昔の話になりました。

 

「年忘れ カラオケ歌う 恥ずかしや 歩樹」

 

現役の時代の忘年会が懐かしく思い出される今日この頃です。

あの頃は毎日が宴会でした。今思うと夢のような時代でした。

 

あの元気な日本はどこにいたのでしょうか。

 

2016.12.4. 里山 歩樹