今日は、朝起きると寒く感じました。
もうすぐ4月なのに、東京では雪が降っているとのことです。寒の戻りですね。昔から入学式の頃に寒い日があって、雪が降ったことがありました。
桜も開花したのに、あまりに寒くて、びっくりしていることでしょう!今日は雨が降っていますので、開花した桜の花が、この雪で散ってしまわないか心配です。
コロナ感染はさらに猛威を振るっています。東京でも多数の感染者が出たようで、この先どこまで感染が広がるのか不安になります。政府は何とか感染を食い止めようと必死になって取り組んでいるようですが、不安ですね。
いまだにマスクが不足していると聞くと、いつになったらマスクが行きわたるようになるのか、本当にもどかしいですね。
マスクが十分に手に入るようになると、国民の不安も少しはやわらぐと思いますが、それが、いつまでたってもできないのは、もどかしい限りです。政府は国民に行動自粛を訴える前にマスクと、医療体制の整備を急ぐべきでしょう。
話は変わりますが、昨日の夕食で、私は久しぶりに「えんどう豆の入ったごはん」を食べました。えんどう豆のごはんを食べるのは久しぶりでした。豆ごはんを食べたら、大変になつかしい味がしました。
えんどう豆のごはんは家内が作ってくれました。娘も「なつかしいな!」と言いながら、おいしいと喜んでいました。私は子供の頃からえんどう豆のごはんが大好きでした。
私が子供の頃は、祖母や母が、よく豆ごはんを作ってくれました。えんどう豆は、以前にあった我が家の裏の畑で育てていました。
畑に植えたえんどう豆は長いつるを伸ばして、竹のさおにつるを巻いていました。えんどう豆の枝には白いかわいい花が咲いていました。
私は子供の頃は、畑に育ったえんどう豆を一つ一つ丁寧に切り取って、カゴに入れて、家に持って帰りました。家に持って帰ったえんどう豆を丁寧にふさから青い豆を取り出しました。
私はえんどう豆をふさから取り出すのが好きでした。青い豆がたくさんとれるとうれしくなりました。祖母や母が、そのえんどう豆を使ってよく豆ごはんを作ってくれました。
また、母はえんどう豆と高野豆腐に、卵を入れて、鍋でゆがいて、おかずを作ってくれました。私は、その豆と高野豆腐、卵が一緒になったおかずが大好きでした。
高野豆腐、豆、たまごの味がよく合って、おいしくて、食べるのが楽しみでした。私はえんどう豆のことを思うと、畑で咲いているかわいいえんどう豆の花を思い出します。
畑ではそら豆も栽培していました。そら豆のふさは大きくて、ぶ厚かったように思います。そら豆は、ぶ厚いふさの中に入っていました。そら豆のふさには、わたのようなものが入っていました。
そら豆もよく食べました。そら豆をいって食べるのが好きでした。昔の我が家の畑はかなり広い面積がありましたので、たくさんの野菜を植えていました。
えんどう豆、そら豆、そしてキューリ、ナスビ、さらに、とうもろこし、芋類ではサツマイモ、ジャガイモ、里芋も作っていました。サツマイモなどは、私の子供の頃は貴重なおやつでした。
夏にはすいか、まっか、冬にはイチゴも作っていました。我が家の畑は食べ物の宝庫でした。家で食べる野菜のすべては我が家の畑で栽培しました。もちろん、漬物を作る白菜やダイコンは、畑一杯にたくさん作っていました。
ネギやほうれん草、キャベツなどの葉物もすべて我が家の畑で作っていました。野菜は買うものではなく、畑で作るものでした。野菜を買ったことはありません。
我が家の畑で作った野菜の味は格別でした。その中でもそら豆やえんどう豆も味は格別でした。そら豆やえんどう豆には、白いかわいい花が咲いていました。よくちょうちょうが飛んできました。
昨夜、家内がなつかしいえんどう豆のごはんを作ってくれました。豆ごはんを作るためには、えんどう豆をふさから取り出したり、普段より時間がかかります。
それをいとわずなつかしい豆ごはんを作ってくれた家内に感謝です。豆ごはんを食べたのは久しぶりで、もう何十年も食べなかったようななつかしい味を思い出します。
昨日の豆ごはんには子供の頃に食べた豆ごはんの味がしました。本当になつかしい味がしました。娘も大変喜んでいました。
忙しい中、豆ごはんを作ってくれた家内に感謝ですね。
本当にありがとう。
2020.3.29.(日曜日)午前10時40分
里山 歩樹(藪野 正昭)