ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「入社式」

今日から新年度が始まりました。

4月1日は、どこの企業や役所でも新社会人を対象にした入社式がおこなわれますが、今日はコロナ感染予防のため、入社式を中止するところが多いようです。

 

はじめての出勤日に入社式がないのは、何となくさびしく思われますね。私が50年近く前に社会人になったときのことを思い出します。

 

私が神戸の経済団体に入社したのは、昭和45年4月1日でした。そのとき入社した人は私一人でした。

 

私が入った経済団体は総職員100人程度の小さな団体でしたので、新人の採用は毎年、一人でした。新人がゼロの年もありました。新入社員は私一人でしたので、入社式のようなものはありませんでした。

 

私がはじめて神戸の事務所に行くと、すぐに役員室に呼ばれました。私はよくわからなくて、役員室で緊張して待っていると、当時の専務理事が入ってこられて、私に辞令を手渡されました。

 

専務からはただ一言、「健康に気をつけて頑張ってくれ!!」と言われて、私は辞令を受け取りました。辞令には「調査部勤務を命じる」と書かれていました。それで入社式は終わりました。

 

私はその後、すぐに配属部署の調査部に行きました。行くと、私のためのテーブルといすが用意されていました。当時の調査部は小さな部署でした。部長、次長のほかスタッフが7人程度の組織でした。

 

私が緊張しながら、「今日入社した〇〇です。よろしくお願いします!!」とあいさつすると、全員が私を見て、拍手をして迎えてくれました。

 

小さな組織でしたので、私はすぐに慣れました。調査部は私が希望した組織でした。私は経済学の勉強をしたいと思っていましたので、調査部では時間があって、経済学の勉強をすることができると考えていました。

 

当時の調査部は、今では考えられないほど、のんびりしたものでした。調査部の午前中の仕事の多くは、経済新聞をはじめ全国紙や地元紙を読み、関連記事のクリッピングをすることでした。

 

すべての新聞を読んで、自分の担当分野や関心のある記事には赤鉛筆でしるしをつけて、新聞の切り抜きをすることでした。私が新聞にマークをつけた記事は、スタッフの女性がはさみで切り取って私に返してくれました。

 

私は大学では経済学を学びましたが、実体経済や産業界のことはほとんど知識がありませんでしたので、調査部で新聞のクリッピング作業で、いろいろな実体経済のことを知ることができました。

 

私が今も毎日3つの新聞を読むことを楽しみにしているのも、調査部のときの仕事が始まりです。

 

本当に調査部は、私にはよく合っていました。他の部署の職員からはよく「調査部の仕事はうらやましい。朝から新聞を読めるなんてよいな!」と言われていました。

 

今年はコロナで入社式や入学式も中止のようですね。

 

私が入社した頃は、行政や大きな会社では、大きな会場で何百人もの新入社員や新入生を集めて大々的に入社式や入学式が開催され、トップや学長のあいさつがマスコミに取り上げられることがありました。

 

私はたった一人の入社式でしたので、そのような大規模な入社式がうらやましく思ったものです。

 

私は団塊の世代なので、入社式や入学式にもたくさんの人が参加しました。それだけに、競争の激しい時代でした。しかし、私はただ一人の新人なので、職場の中に入ると、みんなから大事にされました。

 

私の担当分野の仕事は大変広い範囲に及びましたが、当時の上司からは「わが社は一人一課だから、すべて一人で責任をもってやってくれ!」と言われて、自由に仕事をすることができました。

 

私は一人で過去のファイルを探して、自分のやり方で仕事をすることができました。私は上司から具体的に細かく指示をされたことはありませんでした。

 

ただ一つ、言われたことは、「これが君の担当だ。あとは自分で考えてやってくれ!」ということでした。

 

最初はどうしたらよいかわからなくて戸惑いましたが、わからないところは先輩の職員に聞くと、丁寧に教えてくれました。

 

もう50年近くも前のただ一人の入社式をなつかしく思い出しました。

 

今日コロナ問題で、入社式が中止になった人も、あとになるとなつかしい思い出になるでしょう。

 

 

2020.4.1.(水曜日)午前11時35分

里山 歩樹(藪野 正昭)