ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「こいのぼりの思い出」

今年も子供の日が近づいてきました。

子供の日といえば、私はこいのぼりのことを思い出します。

 

近年は、こいのぼりを見ることはなくなりました。しかし、私の子供の頃は、田舎では、男の子がいる家ではどこの家でも庭の隅に高いさおを立てて、大きなこいのぼりをあげていました。

 

昔は、子供の日になると、周囲では大きなこいのぼりがあちこちで大空で泳いでいました。私の家では、家の裏にある畑の中に、高い竿を立てて、大きなこいのぼりをあげてくれました。

 

こいのぼりは、我が家の屋根よりも高く、のぼっていました。我が家の上を、大きな鯉が2匹、高い空の上で、悠然と泳いでいました。我が家のこいのぼりは、どこの家のこいのぼりよりも、大きく立派でした。

 

私は、その大きなこいのぼりが自慢でした。5月5日の子供の日には、庭に出かけて行って、こいのぼりの下に立って、青空を悠々と泳いでいる2匹の鯉をながめるのが好きでした。

 

私の家のこいのぼりは、おじが我が家の里山から長い杉の木を切ってきて、竿を作ってくれました。竿はとても長くて、どこの家のこいのぼりよりも高く、こいのぼりが風に乗って、悠々と泳いでいました。

 

雄の鯉が黒のうろこ模様、雌の鯉が赤のうろこ模様が、5月の明るい陽光によって綺麗に輝いていました。強い風が吹くと2匹の大きな鯉が激しく揺れて、竿が折れそうになりました。

 

私の子供の頃は、田舎の家では、男の子がいるところではどこの家でも立派なこいのぼりをあげていました。こいのぼりは5月の風物詩でした。

 

私の小さなときは、田舎では広い空間がどこでも広がっていましたので、こいのぼりも、どこでも泳がしてあげることができました。

 

ところが、近年は周囲に家がたくさん建設されたり、電線があったりして、こいのぼりをあげるとすぐに近くの家に触れたり、電線に引っ掛かったりするので、こいのぼりも自由にあげることができなくなりました。

 

そのためか、近年は小さなこいのぼりを家やマンションのベランダにあげている家が増えてきました。

 

ところが、小さなこいのぼりは風に吹かれて、悠々泳いでいますが、私の子供の頃のように青空の中を大きな鯉が悠然と泳いでいるようには感じません。

 

こいのぼりもこじんまりしているようで、かつての雄大さを感じることができなくなりました。

 

子供の日には、こいのぼりの他にも、家の中では床の間に兜や弓矢を飾ることがありました。我が家でも立派な兜と弓矢が飾ってありました。

 

私の子供の頃は、こいのぼりや、兜、弓矢などは一般的には妻の実家からの贈り物が多かったように聞いています。

 

子供の日には、家ではばら寿司や巻き寿司等のごちそうを母が作ってくれました。母が作ってくれたお寿司は大変おいしかったように記憶しています。

 

私の子供の頃は、季節季節に色々なお祝い事があって、楽しい思い出がありました。近年は、日本でも次第に以前のような季節感がなくなりました。

 

子供の頃は、お祝いの日には特別にごちそうを作ってくれましたが、今は毎日がごちそうで、季節感がなくなりましたね。

 

今ではこいのぼりを青空の下であげる習慣がなくなってしまいました。そのため、昔買ったこいのぼりを、近くの川やダムで流すイベントがあると聞いています。

 

私の周辺でも、一庫ダムの近くの川でたくさんの鯉を、ロープで吊っているところがあると聞きます。聞くところによると、たくさんの鯉が風に吹かれている光景がなかなか見事だと言われているようです。

 

しかし、私は子供の頃のように田舎のそれぞれの家の庭に立てた竿にあげて、空高く悠然と泳ぐ2匹のこいのぼりの姿が、5月の子供の日の強い思い出として残っています。

 

もう一度、広々とした青空の下で、悠然と泳ぐこいのぼりの風景を見たいものです。

 

私の小さな子供の頃のこいのぼりの懐かしい思い出でした。

 

 

2020.5.3.(日曜日)午後12時

里山 歩樹 (藪野 正昭)