ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【兵庫通信】ー「ふるさとの電車の思い出」

私は兵庫県の川西という田舎で生まれ、育ちました。

川西は田んぼと山だけの田舎でした。私は子供のときは、川西の野山の中で遊びながら育ちました。緑ゆたかな川西で育ったことを、私の誇りにしています。

 

子供の頃の思い出といえば、ふるさとにあった電車の思い出です。当時、電車は単線で一両でした。駅といっても、田んぼの中に小さな小屋が立っているだけでした。もちろん、改札口はありません。

 

切符は電車に乗ってから車掌さんから買いました。列車への乗り降りはすべて手動でした。当時は電車は1時間に1本しか通っていませんでした。したがって遅れると、乗り越すと大変です。

 

そのため列車の音が聞こえたら、急いで走って行って乗りました。遅れそうになると、大きな声で「まって!」と言って走っていくと、運転手の人は私が来るのを待ってくれました。電車の名前は能勢電車です。

 

単線で一両だけの小さな列車でした。すべて手動でした。電車の中に入ると今のように空調はありません。窓は開けっぱなしでした。夏は涼しくて助かりますが、寒い冬は大変でした。

 

列車に乗ると、車掌さんが来てくれて、行き先を言うと切符を売ってくれました。切符は厚い紙でできていて、車掌さんがペンチのようなもので切符に穴を開けてくれました。

 

列車を降りるときには自分でドアを開けて、車掌さんに切符を渡して降りました。私は、列車に乗るのが好きで、よく近くの平野駅へ行って電車に乗りました。

 

当時は運転手も車掌も知り合いの人でしたので、私が電車に乗ると、よく話しかけてくれました。能勢電車は単線でしたので、ところどころで、電車が交差する駅がありました。

 

私はその交差駅で、向こう側から電車が来るのを見るのが楽しくてなりませんでした。当時は運転手の人が向こうから来た電車の運転手と、何やら輪のようなものを交換していました。電車はいつ乗ってもすいていました。

 

子供の頃は、川西の田舎では電車に乗る人は少なかったと思います。電車に乗ると運賃がいりますので、当時は村の人はどこでも歩くか、自転車に乗って行っていました。運賃を支払うことはもったいないと考えられていました。

 

子供の頃は電車は唯一の乗り物でしたので、私は遊園地の乗り物に乗るような感じで能勢電車に乗ることを楽しみにしていました。

 

ただひとつ困ったのは、私は乗り物酔いをして、乗り物に弱いことでした。子供の頃は、乗り物に乗る機会がありませんので電車やバスなどの乗り物に乗ると酔って困りました。

 

能勢電車は今は複線になり、車両も6両になって立派な電車になりました。

能勢電車は今では阪急電車の関連会社となり、阪急電車と同じ電車を使っていますので、ずいぶん快適な電車になりました。

 

子供の頃のあの一両の能勢電車がなつかしく思い出されます。

 

 

2020.11.18.(水曜日)午後4時30分

里山 歩樹 (藪野 正昭)