ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「冬の思い出」

今年もはや冬本番となりました。

このところ朝晩の冷え込みが深まってきたように感じます。私の苦手な冬がやってきました。

 

冬は寒いので家から出るのがおっくうになります。私はこのところよく、冬になると、子供のときのことを思い出します。

 

私は川西の田舎で子供の頃を過ごしましたので、冬になっても過ごすのは外に出かけて、野山の中を駆けめぐることぐらいでした。私の子どもの頃は今よりも寒い日が多かったと思います。

 

冬はよく雪が降りました。昔は、今のように、テレビやスマホもありません。ゲームなどもありません。そのため遊ぶといえば、外に出かけて、広場で草野球をしたりおしくらまんじゅうをして遊びました。

 

子供の頃は暖を取ると行っても、今のようにストーブや暖房器のようなものはありませんのであるのは、火鉢と、こたつだけでした。冬のときは、家の中にこもって火鉢を抱えて、暖をとりました。

 

掘りごたつがあるときは、掘りごたつに入って寒さをしのいでいました。冬に寝るときは、湯たんぽを抱いて寝ました。とにかく冬は寒くて困りました。手足にはしもやけができて、痛くて、かゆくて、困りました。

 

冬といえばあまり楽しい思い出はありませんが、広場でよくたき火をして楽しんだことがなつかしく思い出されます。当時は、周りには、枯れ葉や木々がたくさんありましたので、それらを集めて、たき火をしました。

 

たき火をすると友人がたくさん集まってきて、いろいろなたわいない話をして楽しみました。たき火をしたときは、さつまいもをたき火の中にほり込んで焼きいもをつくって食べました。

 

焼きたてのさつまいもを「熱い熱い!!」と言いながら友人とわけながら食べたことがなつかしく思い出されます。

 

私達の子供の頃は、まきをつくるための木を切り出すために山に行くのが大切な仕事でした。子供の頃は、自宅から約1時間ほどのところに、大きな持ち山がありました。

 

そのくぬ木をまきの材料として、冬の間に切り出していくのが私の仕事でした。寒い冬でも、くぬ木を切り、自宅まで持って帰るためには大変な労力がいりました。冬でも汗だくになりました。

 

切り出したくぬ木の木は、自宅の庭で、ノコギリで50cm~60cmぐらいに切ってから、おので割ってまきにしました。まきは、一年間分をつくると、大きな納屋いっぱいになるまでつくりました。

 

私の子供の頃は、燃料はまきだけでした。ごはんを炊くのも、風呂をわかすのも、まきでつくった炭で火鉢に火をともしました。昔は、すべて、自然の恵みで生活をしていました。

 

今考えると、あの寒い冬によく耐えたものだと思います。

子供の頃は、近くの野山では雪が降っていました。

 

寒い冬でした。

 

 

2020.11.29.(日曜日)午後1時

里山 歩樹 (藪野 正昭)