ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【神戸通信】ー「新野先生の思い出」

神戸大学学長の新野先生が先日亡くなりました。

95才でした。私は若いときから新野先生には大変お世話になり、ご指導いただいてきましたので、特別の思い出があります。

 

新野先生は産業組織論の大家でした。神戸大学を代表する先生といえば新野先生のことでした。

 

新野先生は若い人間にもやさしくお付き合いをしていただきました。新野先生は兵庫・神戸ではなくてはならない人でした。

 

新野先生は、兵庫県知事、神戸市長のブレーンとして大きな役割を果たしてこられました。また、新野先生は神戸の経済人とも親しくお付き合いをされていました。神戸の経済人の中にも新野先生を師としている人もたくさんありました。

 

私は仕事の関係で新野先生とお付き合いする機会が多くて、大変親しくご指導いただきました。新野先生は現役を引退されてからも万年青年のような人でいつお会いしても、若々しくて颯爽としておられる人でした。

 

私は仕事でよくいろいろなシンポジウムを開催しましたが、そのときは、いつも新野先生にコーディネーターを依頼しました。新野先生はシンポジウムのまとめを見事に果たされて、その見事さにはいつも驚いていました。

 

私は、現役のとき、新野先生を囲む研究会メンバーとして長年参加していました。その研究会は新野先生を囲む会で、毎月1回夕方から食事をした後で意見交換する会でした。私はそのメンバーの一人として、毎回研究会に参加していました。

 

その会で新野先生のご意見には、毎回いろいろ勉強させていただきました。その研究会は日本経済新聞神戸支社が主催して、研究会のメンバーは神戸の企業や行政の若手の職員でした。

 

新野先生は若い人との議論を大変楽しみにしておられるようでした。議題は経済だけでなく、兵庫・神戸をめぐる幅広いテーマで議論しました。いつも新野先生は、若い人の議論をニコニコしながらながめておられました。

 

新野先生で思い出すのは、阪神淡路大震災の後で、大震災後50年の兵庫・神戸を考える研究会で将来の兵庫・神戸のあり方を議論したことです。

 

そのメンバーには日本を代表する研究者が参加していました。新野先生はその研究会の座長を務められました。私もそのメンバーの一人として参加する機会に恵まれました。その研究会は、阪神高速道路の地下化などの提案を行いました。

 

今年、神戸新聞の随想欄に新野先生の随想が出ていましたので、新野先生がまだご健在であると思って、なつかしく毎回読ませていただけていました。

 

その随想の中に新野先生は要介護3になったけれど、今でも、若い研究者との読書会を開いていると書いておられました。ですので、まだまだ新野先生はお元気だと思って安心していました。

 

ところが突然の訃報にびっくりしました。

 

悲しくてなりません。

残念でなりません。

 

先生のご冥福を心からお祈りいたします。

 

「先生ありがとうございました。」

 

 

2020.12.20.(日曜日)午前11時5分

里山 歩樹 (藪野 正昭)