ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【神戸・兵庫通信】ー「1.17阪神・淡路大震災」

明日1月17日は阪神・淡路大震災が発生した日です。

26年前に、1月17日の早朝にあの大震災が発生しました。あの日のことは26年経っても忘れることはできません。

 

26年前の1月17日午後5時16分でした。突然、「ドーン!」という音がして目が覚めると、天井が揺れていました。

 

私はこれは地震だと感じて、飛び起きました。寝ていた自室のタンスが揺れていたので、あわてて飛び起きてタンスが倒れないように押さえていました。

 

そして、一緒に寝ていた家族に対して「地震だ!!ふとんをかぶって!!」と言いました。私がタンスを押さえたのでタンスは倒れずにすみましたが、隣の部屋をのぞいてみると、本棚が倒れていました。

 

しかし、息子は無事なのでホッとしました。1階で寝ていた母の部屋に行くと何もなかったので安心しました。

 

そのときはまだ電気がついていましたので、私は急いでテレビをつけると、テレビでは神戸で大きな地震が発生したと伝えていました。

 

それでも最初は死亡者は数人程度とのことでしたので、それほど心配していませんでしたが、時間がたつと被害者の数がどんどん増えていきました。そして、神戸の街中で大火災が発生しているとニュースで伝えていました。

 

私はニュースを見て、これは大変なことになったと思いました。朝の間は電気や水道などのライフラインは大丈夫でしたが、夜になると、電気や電話、水道などのライフラインが全部だめになりました。

 

テレビのニュースで電車も止まっているとのことでした。電気が止まってしまうと、テレビも映らなくて情報がまったく入らなくなりました。

 

神戸には私の勤務事務所や家内の実家がありますので、何とか行こうとしましたが、電車が全部止まっているため、どうしようもありません。電話も通じません。

 

私は深夜まで家内の実家や神戸の事務所へ電話をかけようとしましたが、まったく通じません。そのため、不安ばかりがつのりました。当時は携帯電話は普及していませんでした。

 

私はやむなく、あくる日になって鉄道の一部が通ったときを待って、神戸に行こうとしました。川西の自宅から歩いて電車乗り場に行って、電車が通っている一部だけは電車に乗り、西宮からはすべて歩いて神戸まで行きました。

 

道がわからないので阪急電車の線路を通って神戸を目指して歩いていきました。私の背中には、家内がつくってくれたおにぎり40個とペットボトル3本の水をリュックに入れて、かついで神戸に向かいました。

 

道中重たくて困りましたが、何とか神戸の家内の実家に行くことができました。家内の実家がある御影では、多くの家が壊れていました。幸い家内の実家は数年前に新築したばかりの家でしたので、実家は無事でした。

 

義母の顔を見てホッとして、私は家内の実家に持って行ったおにぎりと水を置いてから、さらにポートアイランドにある事務所まで歩いていきました。道中、神戸製鋼の本社と工場の一部が倒れていたのでびっくりしました。

 

ポートアイランドへ行く神戸大橋まで行くと橋が途中でひび割れていて、下を見ると海が見えました。下の海を見ると、怖くて、足が震えました。

 

何とか事務所に行くと、事務所の中はロッカーやテーブルが倒れていて、大変なことになっていました。そのときは神戸はもうダメだと感じました。

 

本当に、神戸はもうダメだと感じましたが、その後、神戸は内外からの支援によってハード面は予想以上の速さで復旧しました。

 

しかし、神戸の街のにぎわいはいまだ戻っていません。いまだに、人口が減り、企業の流出が進んでいます。これまでの26年は失われた26年でした。

 

長い年月が経ちました。神戸のこれからは街としてのにぎわいをいかに取り戻すかが最大の課題です。

 

私は神戸は必ず復活すると信じています。

 皆さんも神戸をこれからも応援してください。

 

「神戸ガンバレ!!」

 

 

 

2020.1.16.(土曜日)午後1時50分

里山 歩樹(藪野 正昭)