ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】―子供の頃の記憶―故郷の思い出

今日も寒い日になりました。

 

朝から曇り空です。陽が差してきません。昼になっても気温が上が

りません。むしろ寒くなってきたように感じます。これでも気温は

平年並みだと思いますが、一度、初夏のような暖かさになった後な

ので、ものすごく寒く感じます。人間の感覚は不思議ですね。

 

自宅で座っていると足先が冷えてきます。底冷えする寒い日です。

なかなか、春はやってきません。天気予報によると今週はこれから

さらに冷え込んで、ところによっては雪になるとのこと。毎年3月

近くになってから雪が降って困る事がよくありました。少々、寒く

ても我慢するので、雪だけは勘弁してほしいですね。

 

今日は風もあります。外を眺めても薄暗い冬の風景が広がっていま

す。外の空気が吸いたくてガラス戸を開けると冷たい風が入ってき

ました。庭に小鳥でも来てないかと探しましたが何もいませんでし

た。近所の家の犬の鳴き声だけが聞こえてきます。

 

家内が植木鉢に植えてくれた花の苗も暗くてよく見えません。かろ

うじて、椿のピンクの花が冬のモノトーンの景色の中で彩りを添え

ています。色彩がある花を見るとホッとします。それにしても今日

は寒さが堪えます。真冬のように感じます。暖かい春が待ち遠しい

ですね。春よ、早く来い! 

 

私は、毎日、神戸新聞を読む事を楽しみにしています。神戸新聞

は先般から「故郷の風景」をシリーズで連載しています。そこでは、

私が子供の頃の昭和の田舎の懐かしい生活風景の事が載っており、

いつも私の昔のことを思い出しながら読んでいます。今のブログで

は私の昭和の思い出も書きます。最近は子供の頃のことをよく思い

出します。それだけ歳をとったという事ですかね。

 

私が子供の頃は昭和の30年代以降でした。その時に一番記憶に残っ

ているのはテレビを始めて見た時でした。その当時は村の中で一軒

だけにテレビがありました。初めてテレビを見た時は衝撃的でした。

小さい子供の私は、小さな箱の中にどうやって人間が入っているの

か不思議でなりませんでした。テレビの中に人が入っていると思っ

たのです。初めてテレビを見た時の驚きは今も覚えています。

 

叔父の家にテレビがありましたので、テレビが映る時間になると近

所の人が集まってきてテレビを見ました。テレビが放映される時間

は限られていました。その頃は勿論、白黒テレビです。小さな画面

でした。少しでも大きく映すため、画面の前にプラスチックのレン

ズをつけて見ました。

 

人気の番組は大相撲とプロレスでした。相撲は若乃花栃錦の時代

でした。相撲が始まる時間になると近所から人が集まってきました。

皆、テレビで初めて相撲を見て興奮していました。プロレスは力道

山の時代でした。テレビでみたプロレスは迫力がありました。その

時はカラーのテレビが出来るなんて夢にも思いませんでした。ブラ

ウン管のテレビです。

 

アンテナを近くの山の上に建てて、アンテナ線を家まで引いてきま

した。風でアンテナの方角が変わると映らなくなりました.チャン

ネルは丸いつまみを回して選びました。放映時間は夜にはありませ

んでした。映像も音響も今とは比べものにできないくらいの性能で

したが、当時は革命的な出来事でした。

 

当時の娯楽と言えばラジオが主流でした。ラジオはどの家にもなり

ました。わが家では一日中ラジオをつけて聞いていました。浪曲

番組が何時も流れていたことをよく覚えています。わが家にテレビ

が来たのはもうしばらくしてからでした。我が家にテレビが来た時

に、その大きさにビックリしました。大変、大きくて重いのに驚き

ました。テレビが来た時は飛びあがって喜びました。

 

当時としては、テレビは大変、高価なものです。母が、私達の為に

無理をして買ってくれました。私達は感激しました。その時でも村

でテレビがある家は少なかったように思います。よく、弟とチャン

ネル争いをしたことを思い出します。

 

よくテレビのアンテナを直しに山に登りました。

昭和の時代の懐かしい思い出です。

 

2016.2.22. 里山歩樹