ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】―入試の思い出

今日は朝になっても雨が降り続いていました。

 

昨日の夕方か雨が降りだしました。昨夜は強い風で雨戸の「ガタガ

タ」という音が夜通し聞こえてきました。冬の嵐のような天気でし

た。1月になって、急に冬型の気候になってきました。気温も一段

と低くなってきました。本格的な寒波の到来です。毎年、震災の頃

から寒波がやってきます。

 

温度計を見れば今年最低です。新聞を見ると首都圏では大雪になっ

たようです。関西も明日は雪になりそうです。私は、雪が苦手です。

家が高台にあるので、雪の日は出かけると坂道で滑って困りました。

出勤も命がけでした。滑り止めのついた靴をはいて出かけました。

それでもよく滑りました。

 

昨日と今日の神戸新聞を読むと、大震災の記事ばかりです。読んで

いても辛くなります。何年たってもあの時の辛い記憶は消えません。

今も、ついこの間のように思い出されます。あの時も寒い朝でした。

壊れた家の隣で多くの人がたき火をして暖をとっていた光景が思い

出されます。赤、赤と燃え上がる炎がなぜか、悲しく見えました。

 

今日の新聞を見ると大学入試のセンター試験の記事が出ていました。

今年も入試の季節がやってきました。入試の時期になると急に寒く

なって、よく、雪が降りました。私が50年も前に受験した時のこ

とが思い出されます。その時も寒い日でした。その頃は、センター

試験はありません。志望する大学に試験を受けに行きました。

 

私の希望校は西宮にありました。阪急の駅からはバスか歩いて行く

しかありません。寒い日だった事を覚えています。震えながら行き

ました。私は三つの学部の試験を受けました。第一希望は経済学部

でした。私はその経済学部の入学試験に時間を間違えてしまいまし

た。緊張していたのでしよう。受験会場に行くと試験は始まってい

ました。

 

教室のドアを開けて入ると開始30分以内なので、いまからでも受

験できますと試験管の人に言われて急いで試験問題に取り組みまし

た。受験生の皆さんは必死に問題に取り組んでいます。私は焦りま

した。一限目の科目は私の苦手な数学でした。気が動転して問題用

紙を開く手が震えています。

 

会場は200人以上が入る大会場でした。教室は暖房が効いていな

かったように思います。結果は見事に不合格でした。遅れていった

事を悔やみました。でも、私は、もともと、数学が苦手だったので

遅れなくても不合格だったかも知れません。他の二つの学部は合格

しました。

 

当時は、合格発表は大学で張りだされます。私は発表の日にドキド

キしながら大学に行きました。大学の正門の近くに合格の番号が張

り出されました。私はドキドキしながら自分の受験番号を探しまし

た。

 

ありました!確かに私の受験番号が書いてあります。私は、間違い

がないか、受験票を何度も確認しました。間違いありません。飛び

あがるほど嬉しかったですが、周りには不合格の人も沢山おられま

すので、嬉しさをかみしめながら、いつまでも合格発表のボードを

眺めていました。

 

家で心配して待っている母に連絡するため公衆電話を探しましたが、

公衆電話の前には人が長蛇の列でした。当時は携帯電話のような便

利なものはありません。あるのは電報だけです。私は仕方なく、早

く帰って母に報告することにしました。私は、帰る前にもう一度大

学にいって合格を確認してから急いで帰りました。

 

阪急電車に乗っても、これからこの電車に乗って大学行くのかと思

うと嬉しくてたまりませんでした。電車に乗っていても夢心地でし

た。早く母に報告したくてウキウキしていました。嬉しい気持ちを

抑えるのに苦労しました。自然と笑いがこみあげてきました。

 

家に帰ると、私は態とそっけなく「合格したよ!」。一言報告しま

した。母は大変喜んでくれました。私も、心の中では「やった!」

と叫んでいました。有頂天でした。私は、家の仏壇に早速報告しま

した。

 

実は従兄が同じ商学部の卒業生でした。関西の私学では憧れの大学

でした。あの綺麗なキャンパスで過ごす事が出来ると思うと早く大

学に行きたくなりました。今から半世紀も前の思い出です。あの時

も寒い日でした。

 

遠い、遠い、昔の思い出です。

思えば遠くまで来たものです。

 

2016.1.18. 里山 歩樹