ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】―寒い冬の記憶

今日も冬らしい寒い日になりました。

 

兵庫県の北部地域は吹雪の大荒れの天気になったようです。雪が数

十センチも積もって、氷点下以下の温度まで下がって、休校になっ

た学校も出たようです。幸い、我が家の周辺の川西地域は寒いです

が、空には雲の合間に、青空が見えます。太陽の日差しも時々差し

てきます。

 

強い風が吹いています。窓を開けると冷たい風が入ってきます。外

の景色を見ようと窓を少し開けたのですが、あまりにも寒いので急

いで閉めました。空には青空が見えます。しかし、黒い雲も浮かん

でいます。これから、雪が降りそうな空模様です。強い風が吹いて

来て、庭の植木の枝を揺らしています。

 

周囲の景色は寒々とした冬景色です。もの寂しさが漂ってきます。

新聞では今日はこの冬一番の寒波がやってきたと言っていました。

各地で事故が多発して、交通が乱れているようです。明日も、西高

東低の冬型の荒れた天気になるようで、雪が降らないか心配です。

明日はリハビリがあります。昨年から暖冬が続いたので急に寒くなっ

て体がついて行きませんが、考えてみるとこれが平年並みです。

 

私が子供の頃を思い出すと、もっと、寒かったように思います。暖

房の空調もストーブもありませんでした。あるのは火鉢で、炭火を

つけて暖をとりました。堀こたつの中に練炭炭団を入れて温めま

した。家の中でも綿が入った「どてら」を着て寒さに耐えました。

 

寒い日は水道の鉄管がよく破裂しました。水が氷になって、出ない

事がよくありました。その為に夜は水道の水を少し出しぱっなしに

していました。鉄管が破裂すると大変でした。水道がしばらく使う

事が出来ません。修理もなかなか来てくれません。冬は氷点下を下

回るのが普通でした。バケツに水を入れておくと朝には氷になって

いました。屋根の瓦からは氷柱が一杯ぶら下がっていました。

 

寒い時には広い川や池が凍っていました。川の上を歩いて渡れそう

でした。川の中に大きな石を投げ入れても氷は割れません。川の上

流の小さな滝も氷になっていました。私達は大きな氷柱をとって来

てよく遊びました。手袋をしていても指先が氷のように冷たくなり

ました。

 

私は冬になると必ず、手足が霜焼けになって真っ赤に腫れあがりま

した。痒くて痛くて困りました。ひどい時は歩く事が出来ない程に

腫れあがりました。母によく、熱い湯を沸かしてもらい、手足をつ

けて温めてもらいました。薬をつけても治りませんでした。霜焼け

はつらかったですね。

 

子供の頃はよく雪が降りました。シンシンと冷え込む夜は朝になる

と雪が深く降って、周囲は一面の銀世界でした。雪が積もった日は、

太陽の光の反射熱で少し暖かかったように思います。雪だるまを作っ

て遊びました。雪合戦もしました。雪で学校が休みになると得をし

たようで、広場で友達と遊びました。

 

冬は、よく、たき火をしました。たき火は、落ち葉や枯れ木を集め

てきて燃やしました。落ち葉はよく燃えました。たき火をすると近

所の人が集ってきました。そこで、井戸端会議です。皆、両手を火

の炎に向けて温めています。たき火をするときは焼き芋を作りまし

た。アツアツの焼き芋を皆で分けて食べました。「熱い、熱い!」

と言いながら食べる焼き芋の味は最高でした。

 

今思うと冬は本当に寒かったと思います。ストーブも空調もないの

にどうして暮らしたのか、今では信じられません。電車に乗っても

車内は寒くて震えました。能勢電車の上には雪が積もっていました。

学校の教室にも小さな薪ストーブが一つあるだけでした。それでも

誰も文句を言いません。

 

冬は寒いのは当たり前と思っていました。今考えれば、昔の人は我

慢強かったと思いますね。皆、寒い冬をじ~と我慢して春が来るの

を待ちました。今では氷柱を見る事もなくなりました。霜焼けも経

験したことがない人がほとんどです。

 

霜焼けの痒くて痛い思いも懐かしく思い出されます。

遠い、遠い昔の冬の記憶です。

 

「たき火焚き 人が集まる 寒い朝 歩樹」

 

 

 

2016.1.20.里山 歩樹。