ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【兵庫通信】―故郷・川西で炭の生産が始まりました

今日は冬晴れの良い天気になりました。

 

空を見上げると真っ青な空が広がっています。空気も澄み切ってい

ます。青い空に浮かんだ白い雲が太陽の光を受けて輝いています。

空気が澄んでいるので空の景色が綺麗に見えます。しかし、気温は

低く感じます。空気が澄んで乾燥するときは気温が下がります.風

も少しあります、典型的な冬晴れの天気です。部屋の中で、じーと

していると寒さが身に染みてきます。

 

リハビリを兼ねて家の中を歩くようにしました。歩くと、身体が少

し温まります。今日も天気がいいので、家内は庭に出て、亀吉の散

歩をしています。家内は「天気は良いけど、外は寒い!」と言って

いました。亀吉はよく歩いたようです。家内は、今日も水槽に湯を

入れていました。

 

家内は、このところ、散歩の後には必ず湯を入れてやっています。

亀吉は、毎日温泉に浸かって気持ちがいいでしょう。のんきな亀で

す。幸せな亀です。今日も近所の家から子犬が元気に吠える鳴き声

が聞こえてきます。カラスの賑やかな鳴き声も聞こえて来ます。冬

晴れの良い天気を喜んでいるように聞こえます。

 

今日は午後からさらに冷え込んできました。朝から気温が上がりま

せん。寒い冬の日です。夕方になると西の空が茜色に染まってきま

した。明るく染まった夕焼けが眩しく感じます。冷え込んだ時には

よく、夕焼けが発生します。今夜はさらに冷え込みそうです。これ

からが一年で最も寒くなる時期も知れませんね。

 

今日、新聞を読んでいると、川西の黒川で炭の生産が始まったと伝

えていました.わが故郷の川西は古くから炭の産地として知られて

いました。川西で生産される炭は「一庫炭」としてよく知られてい

ました。炭の断面が菊の花のように見えるので「菊炭」とも言われ、

特に茶席用の高級炭として知られ、室町時代以来の伝統があると言

われています。

 

私が子供の頃は山に行くとあちこちに炭を焼く窯がありました。昔

は自分の山からクヌギを切り出して窯で焼いて、夫々炭をつくった

ものです。冬に里山の方を見ると炭を焼く窯からの白い煙が見えた

物でした。冬の風物詩の一つでした。今では、菊炭を作るのは川西

黒川の一軒だけになりました。菊炭は、クヌギの木を焼いて作りま

す。その為に、黒川地区ではクヌギを育てるために里山が大事に手

入れされています。

 

近年は各地で里山が荒廃して行くのが大きな問題となっていますが、

黒川では今も大事に手入れされて、昔の里山が今も残っています。

この為、黒川の周辺は日本一の里山として有名です。炭や薪を作る

ための「台場クヌギ」が今も残る里山は、日本の林業遺産に指定さ

れています。台場クヌギがオオクワガタなどの昆虫の棲みかになっ

ています。この為、黒川地区は昔から昆虫の宝庫と言われています。

 

菊炭は、クヌギの木を適当な長さに切って、窯に入れて、高温で3

日程焼き、その後で窯を密封して、4日か5日蒸し焼きして作りま

す。炭が出来るまでには1週間近くもかかります。手間と暇がかかっ

ています。今も室町時代からの伝統的手法で作られています。今で

は高価な伝統産品です。菊炭に火をつけると火力が強いので「チリ

チリ」という澄んだ音がします。

 

私が子供の頃には炭は必需品でした。寒い冬に暖をとったり、炭の

火で料理を作ったりしました。火鉢はどの家でも家の中心に置いて

ありました。そこに集まっていろいろ話をするのが寒い冬の過ごし

方でした。炭火の周りに人が自然と集まりました。私はよく、火鉢

で餅や干し芋を焼いて、おやつにして食べました。菊炭で焼いた餅

に砂糖をつけて食べた事が懐かしく思い出されます。

 

菊炭が赤々とおこる火の色が今も思い出されます。炭火に火をつけ

て火鉢の上でよく湯を沸かしました。菊炭は火力が強いので、湯呑

みからすぐに湯気が立ちました。遠い昔の懐かしい思い出です。日

本の料理には炭は欠かせません。

 

炭作りの伝統をいつまでも大切に後世に残して行きたいものです。

菊炭の室町以来の伝統をいつまでも残していきましょう。

 

「炭を焼く 故郷のこと 思いだす 歩樹」

 

2016.2.10. 里山 歩樹