今日、1月17日は、阪神淡路大震災があった日から25年目の日に当たります。
私は、1月17日は自宅の2階で家族と一緒に寝ていました。その時、突然ドーンという大きな音がして、目が覚めて、辺りを見回すとなぜか天井が揺れています。
私はとっさに地震と思い、ふとんから出て、立ち上がると、家の中のタンスが揺れています。私はあわてて、タンスが倒れないように、手でタンスを押さえるとともに、一緒に寝ていた妻と娘に、「地震だ!ふとんをかぶって!」と叫びました。
地震の揺れは、数秒続きました。ようやく揺れが収まったので、私は隣の部屋に寝ていた息子のところへ行くと、部屋の本棚から本がすべて落ちていて、足の踏み場がなくなっていました。
幸い家族には、ケガはなかったので、ホッとしました。そして、私はあわてて1階で休んでいる母の部屋へ行きました。幸い、母の部屋は何事もありませんでした。
私は母の無事を確かめてから隣の応接間に入って、テレビをつけました。テレビでは、神戸地方で、大きな地震があったと放映していました。私は、そのテレビで、神戸に大震災が発生したことを知りました。
テレビの放映を気をつけて見ていると、はじめは、何人かの犠牲者が出ている模様とのことでしたので、私はそれほど大きな被害はないと、安心していましたが、時間が経つとどんどん被害が大きくなっていきました。
神戸には家内の実家が御影にあるので、心配になりました。ところが、電話は不通で、家内の実家とは電話がつながりませんでした。
地震直後は、電気や水道とライフラインは動いていました。ところが、しばらくすると、電気、ガス、水道も止まりました。私はこれはただごとではないと感じました。
地震が発生した5時46分は、まだ暗くて、外の様子がわかりません。そのため不安がどんどん募っていきました。
テレビの報道を聞いていると、交通機関は、すべて、止まっているとのことです。神戸地方のことが気になりましたが、通勤に使っている能勢電車が不通になっているので動きがとれません。神戸の事務所に電話を入れても、通じません。
そのときに、公衆電話は通じると聞いたので、私は自宅の近くの公園にある公衆電話に行って、御影の実家と事務所に電話をかけましたが、何回かけても、通じません。
私は家内の実家が東灘区の御影にあったのが不安になりましたが、どうすることもできません。当時は今のような便利な携帯電話がありませんでした。そのためイライラしながら17日を過ごしました。
夜になって、能勢電車が動くようになったと聞きました。そこで、私は夜が明けるのを待って、18日の早朝、自宅から神戸に出かけました。
能勢電車で川西能勢口駅に行き、そして、大阪周りで梅田まで行きました。阪急電鉄は大阪行きだけが動いていました。宝塚行きは不通になっていました。
そのため、いったん大阪の梅田に出てから、神戸線に乗り換えて、西宮北口まで行きました。西宮北口から神戸までは不通でした。私は仕方なく、西宮北口から、線路に沿って、神戸まで歩くことにしました。
私は、自宅から2リットル入りのペットボトルを3本と、家内がつくってくれたおにぎり約30個ほどを、大きなリュックサックに入れて、神戸に向かいました。
阪急の線路の上を歩くのは大変でしたが、線路を歩かないと神戸までの行き方がわかりません。私は、西宮北口から芦屋駅まで線路上を歩いたあと、芦屋からは線路の近くの道を歩いて、神戸に向かいました。
あのときの街の様子は、忘れられません。まるで戦場でした。
家はすべて倒れています。あちこちで火災が発生していました。道路を歩いているとあちこちから消防車、パトカー、救急車のサイレンの音が聞こえてきました。余震が次々と起こり、私はそばの家がいつ倒れるか心配でなりませんでした。
御影の家内の実家に行くと、家は大丈夫でした。妻の両親も無事でした。私はそれを見ると安心して、どっと疲れが出ました。
私は持って行ったペットボトルの水とおにぎりを御影の自宅に届けてから、そこから、神戸のポートアイランドにある事務所まで、さらに歩いていきました。今思うと、びっくりするほどよく歩きました。
途中、神戸製鋼所の近くに行くと、本社ビルが倒れているのを見て驚きました。私はそれを見て、神戸の経済が壊滅すると思いました。
ポートアイランドには神戸大橋を渡る必要がありますが、橋のまん中まで行ってみると橋に亀裂が発生して、下を見ると海が見えました。私はそれを見ると、恐ろしくなって足がすくみました。
何とか事務所に着くと、事務所ではロッカーがすべて倒れていて、スプリンクラーが壊れて水びたしでした。事務所には、近くに住んでいた職員が2~3人ほど来ていました。
私は、とりあえず、職員の安否を確かめることにして、公衆電話を使って電話を職員の家にかたっぱしからかけることにしました。幸い、職員は無事でした。
今も、1月17日のことを思い出すと、涙が出てきます。
このことは、いつまでも風化することなく伝えていく必要があると思います。
2020.1.17.(金曜日) 午前11時45分
里山 歩樹 (藪野 正昭)