ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【兵庫通信】ー「小学校の思い出」

今日は、今年一番の寒い日となりました。

寒波の影響で、兵庫県の北部では、大雪になったようです。幸い、私が暮らしている川西は雪は積もりませんでした。

 

しかし、川西のもう少し北の方に入ると細かい雪が降って、野山にうっすらと雪が積もったようです。川西の北の方から来た自動車の上には、白い雪が積もっているのが見えました。

 

今日はリハビリの日なので昨夜から雪が積もると困るなと思っていました。幸い、朝、外に出てみると、雪は積もっていませんでした。2月の今頃はよく雪が降ります。

 

雪が降ると、私の住む団地は坂道が多くて、外に出ることができません。雪が降らなかったので、今日、無事にリハビリに行くことができました。

 

ポラリスの迎えの車に乗ると、スタッフの女性が能勢の方で雪が降って、車に乗るのが怖かったと言っていました。川西でも少し北に入ると急に寒くなって、雪が積もることが多いようです。

 

スタッフの人の話を聞いていると、昔の子供の頃の話をしていましたので、その話を聞いて、私も小学生の時のことを思い出しました。

 

私が子供の頃は、川西でもよく雪が振りました。雪の中を小学校に通ったことを思い出します。私は地元の多田小学校に通っていました。自宅から小学校までは約2kmほど距離がありました。

 

子供の足では、片道約1時間かかったぐらいかかったと記憶します。小学校の隣に多田幼稚園がありました。私は幼稚園と小学校の合わせて8年間2kmの道を歩いて通ったことになります。

 

私は子供の頃から野山を走り回って遊んでいましたので、約1時間の距離もそれが普通だと思っていました。苦痛に思ったことはありませんでした。

 

小学校の校舎は木造の2階建ての建物でした。子供の目には、小学校の校舎は随分大きな建物のように思いました。私は団塊の世代なので、同じクラスには多数の子供がいました。1クラス約50人近い子供がいたと思います。

 

私達は小学校の長い廊下をよく濡れ雑巾で掃除をした思い出があります。当時は空調などはありません。あるのはただ一つの薪ストーブだけでした。このため、冬は大変寒かったと記憶しています。

 

私達はよく寒い中で広い運動場に出て、走り回って遊んでいました。冬でも、汗が出てくるほどでした。運動場は広々としていました。

 

野球やドッヂボールなどいろいろなスポーツをして遊ぶことができました。小学校のグラウンドは誰でも入って遊ぶことができました。

 

小学校の校門の周りには大きな桜の木が植えてありました。春には大きな桜が満開になりました。

 

私が困ったのは、給食で脱脂粉乳のミルクが出たことでした。私は脱脂粉乳が嫌いで、いつも残していました。脱脂粉乳のにおいが私は苦手でした。給食のコッペパンやカレーは大好きでしたが、脱脂粉乳だけは飲めませんでした。

 

給食がないときは、母が弁当を作ってくれました。私は母が作る弁当が大好きでした。特に卵焼きが大好きでした。

 

学校の行き帰りは時間がかかりましたが、当時の私達子供には楽しいひとときでした。当時は道路はでこぼこ道でしたが、道の周りは田畑ばかりでした。

 

道のまん中を歩いていても、自動車が通ることはありません。ときどき自転車に乗って大人が通るぐらいでした。したがって、道路は私達の遊び場でした。

 

私達は先生から必ず決まった道を通って帰るように言われていましたが、私はときどき雑木林がある山の中を通って帰りました。その方が近道でした。雑木林で昆虫をとるのが楽しみでした。

 

雑木林の中は暗くて怖かったですが、それも楽しみでもありました。雑木林を通って近道で帰ると約10分程早く帰ることができました。いつもと違った景色を見ることができて、楽しかったです。

 

当時は、子供にとっては安全な社会でした。子供が一人で外で遊んでいても誰も何も言いませんでした。私の小学生の頃は、今考えると本当にのどかな時代でした。

 

何の不安や心配もなく自由に過ごすことができました。私の小学生のころは、周囲の環境すべてが、子供にやさしく出来ていたように思います。

 

今思うと、私は、とても幸せな時代に小学生の時代を過ごしたのだと思います。

遠い遠い昔のなつかしい小学生の頃の思い出です。

 

昔のなつかしい思い出です。

 

2020.2.18.(火曜日)午後15時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「ふるさとの誇り」

私は、生まれたときから、今まで、川西の田舎で暮らしています。

川西市は、今は、いたるところに大きなニュータウンができていますが、私が子供の頃は、あるのは山林と田畑だけの田舎でした。

 

私は、その田舎の自然ゆたかな中で育ちました。私は、友達にはこの俺は、イノシシと一緒に育ったと言って自慢していました。

 

私が子供のときから、川西の自然ゆたかな田舎で育ったことが、その後の私の生き方や人生に大きな影響を与えていたように思います。

 

私は、川西の自然の中で育ちました。自然はともだちでした。

 

今、新聞で毎日のように、子供の「いじめ」のことが記事に出ていますが、私の子供の頃は、そのようないじめはなかったように思います。

 

もちろん、子供ですから、よくケンカはしましたが、ケンカも遊びの一つでした。ケンカも、明るいからっとしたものでした。新聞に出ているような陰湿ないじめはありませんでした。

 

私は自分の子供のときのことを思い出すと、今の子供にいじめが多いのは、子供達が広い自然の中でエネルギーを発散する機会がないために、ストレスがたまっているのが最大の原因だと思います。

 

最近の子供は家の中にとじこもって、テレビやゲームで時間をつぶし、あふれるエネルギーを発散することがありません。そのため、いじめにエネルギーが向かっていくのだと思います。

 

学校でも、教室で勉強をするだけでなく、もっと屋外に出て、山林や田畑の中で、広い自然の中で過ごす時間を増やすべきだと考えます。

 

大自然の中で、友達と一緒に過ごせばいじめは、自然となくなります。

 

私は、この年齢になっていつも思うのは、私が子供のときから、川西の田舎の中で育ったことが、私の財産だったように考えます。川西の野山や田畑は、ふるさと川西の誇りであり、財産です。

 

川西も、どんどんと新しい団地が建設され、自然もずいぶんとなくなりましたが、それでも、幸い少し奥のほうに行くと、昔ながらの山や田畑が残っています。

 

これ以上川西のふるさとの野山が少なくならないように、願っています。川西には、様々な宝物がありますが、私は川西の山や田畑こそが川西の宝であり、誇りであると思っています。

 

このブログでも、いつか、川西の自慢話をしたいと思っていますが、今日は川西の自然の素晴らしさだけを、みなさんにお伝えさせていただきます。

 

皆さんも、ぜひ、一度、川西に訪れてください。大阪や、神戸から、一時間以内で川西に行くことができます。

 

川西には、私が生まれ、子供のときを過ごした昭和の景色が今も残っています。川西には都会にはない、ゆたかな自然の中で、ゆったりとしたのどかな時間が流れています。

 

きっと川西に訪れた人はそのゆったりとした時間を過ごして、心がいやされることになるでしょう。

 

ぜひ川西に遊びに来てください。

 

 

2020.2.17. 午後12時

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「六甲山」

神戸の街の一番の特徴は、海と六甲山があることです。

海と六甲山は神戸の都市を象徴する宝物です。神戸は海と六甲山があるから神戸です。

 

神戸の特徴や魅力はすべて、海と六甲山と関係しています。神戸港からは、海外の近代知識が神戸の街に入ってきて、神戸の国際的な街をつくりました。

 

神戸の原点は神戸港にあります。その神戸港開港のあとに、神戸に来た外国人が、市街地を開発するとともに、六甲山も開発しました。

 

六甲山は昔ははげ山だったようですが、その後植林がおこなわれ、緑ゆたかな六甲山に生まれ変わりました。その緑ゆたかな六甲山を避暑地やレジャーの山として開発したのも、外国人です。

 

神戸の街からは、どこからも、六甲山が見えます。六甲山は、約1000mほどの山ですが、東西に長く連なっており、神戸の街の背骨となっています。神戸の街は、その六甲山と海のあいだに建設された都市です。

 

神戸では、方角を示すときは市民はかならず、山側、海側と言って方角を確認します。そのため、神戸の街は、方角がわかりやすくて、迷うことはありません。

 

六甲山がある方角が北、海がある方角が南です。南北がわからなくなって困ることはありません。六甲山は神戸に住む人にとって身近な山です。

 

私は一時、神戸の阪急六甲駅の近くに住んでいました。よく、休みの日には、家族と一緒に六甲山に遊びに行きました。六甲山は神戸市民にとっては身近な里山です。

 

しかし、神戸市民はあまりに近すぎるので、六甲山に行く人は少ないように思います。聞くところによると、六甲山は人の手入れがなくなって、荒れていると聞きます。

 

私は神戸の都市の活性化の鍵は、六甲山と海をどう活用するかだと考えています。

 

特に、六甲山は以前は保養地や避暑地として、多くの山の家や施設があってにぎわっていました。それが、近年はどんどんと人が減って、閉鎖された施設が多いと聞きます。

 

今日の新聞によると、神戸市は六甲山の活性化に取り組むと書いてありました。六甲山の使われていない施設をクリエーターなどの知識産業の拠点として、再生する考えのようです。

 

私はいい案だと思いますが、問題は六甲山へのアクセスです。今は、どこから六甲山に行けばよいかよくわかりません。

 

私は六甲山をスイスのアルプスのように、山のリゾート地や避暑地として開発できないかと考えています。

 

そのためには、神戸の都心から六甲山まで、スイスにあるようなデザイン性のすぐれた登山鉄道を建設できないかと考えています。

 

そうすれば国内はもちろん、海外からもその登山鉄道に乗るために、多くのインバウンドが訪れるでしょう。

 

登山鉄道の建設には、巨額の経費がかかります。しかし、神戸は、市街地の少なさを解決するため、六甲山脈をけずって、海にポートアイランド六甲アイランド海上都市を建設した実績があります。

 

海上都市の建設には高度な技術と経費がかかりましたが、神戸は見事に成功させました。その手法は、神戸の都市経営として、世界的に有名になりました。

 

神戸が海の上に海上都市を建設したことを思うと、市街地から六甲山まで登山鉄道を建設することはたいしたことではないと思います。

 

神戸のこれからの都市づくりのために、登山鉄道を建設してはどうでしょうか。

 

六甲山に登山鉄道ができると、六甲山は様々な施設が建設されて、六甲山は一度に活性化されるでしょう。六甲山の人口も大きく伸びるでしょう。神戸は六甲山のその宝をもっと活用することを考えるべきです。

 

六甲山への登山鉄道が建設されると、六甲山の価値は、今の何倍にもあがって、鉄道の建設コスト以上の経済効果を生み出すでしょう。

 

そうすれば六甲山は、様々な知的産業の拠点として、また、高原リゾート地として、多くの観光客を誘致できることは間違いないと考えます。

 

このプランは、私の夢物語ですかね!

皆さんは、どのようにお考えですか。

 

 

2020.2.16.(日曜日)午後1時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「春の田畑の思い出」

今日も、あたたかい日になりました。

少し、曇っていますが、雲の合間からは、明るい陽光がさしてきます。

 

太陽の光がさしてくると外の風景が春めいて見えます。私は、このような春の日には、よく近くの田畑に家族と一緒に遊びに行ったときのことをときどき思い出します。以前は、家のまわりには田畑ばかりでした。

 

田んぼの近くに行くと、田んぼには、レンゲの花が一面に咲いていました。田んぼの中に入っていくと足元はレンゲで埋まっています。レンゲの花は、ほとんどが白い花でしたが、中には、紫や、赤いレンゲもありました。 

 

私たちは、レンゲの花を摘み取ってレンゲの首飾りを作ったりして楽しみました。レンゲは以前はどの畑でも、レンゲの花が咲いていました。しかし、いつのまにかレンゲ畑がなくなりました。

 

春といえば、レンゲ畑を思い出します。春の風物詩であったレンゲ畑がなくなったのはなぜかよくわかりません。なんとなくさびしく感じますね。

 

最近は、田畑は田植えが始まるまでは、休耕地のままにしてよいようですね。レンゲ畑に入ると、レンゲの花のみつを求めてみつばちがいたるところに飛んでいました。

 

みつばちは人間を見てもおそれることなく、レンゲの花のみつを、一生懸命吸っていました。私は、その姿を見ると、うれしくなりました。最近は、そのみつばちも少なくなったと聞きます。気候変動の影響かもしれません。

 

みつばちは、花や果物の受粉になくてはならない存在です。以前、何かの記事で、みつばちが少なくなって、農家も困っているとの話を聞いたことがあります。

 

私は春といえば田畑の花を求めて飛び回るみつばちや、蝶々の姿を思い出します。みつばちや蝶々がいない春は春ではありませんね。

 

私達は、レンゲ畑の中で、いっぱいレンゲの花をとったりして、いつまでも遊んでいました。周りを見ればみつばちがぶんぶんと飛び回っています。

 

また、もんしろちょうや、もんきちょうが、ふわふわとレンゲの花の近くを飛んでいました。私達は、その蝶々をとろうとして、畑の中を走り回りました。

 

当時は、私達が畑の中に入っても、誰も何も言いませんでした。レンゲ畑の中で遊んでいると、レンゲの花のほのかな香りがしてきました。

 

私はよく、レンゲの葉っぱで4枚ある葉を探しました。4枚のクローバーはよいことがあると言われていました。

 

春の畑のそばには溝があって、水が流れていました。水の中を見ると、小さなカニが歩いているのが見えました。畑のそばを流れる小川にはいろいろな生き物がいました。5月頃になると、カエルも見えました。

 

私は、子供達が小さいときは、家族そろって近くの田畑によく遊びに行きました。ときには、網を持って行って、蝶々やとんぼをとって遊びました。

 

白いレンゲの花をとって、いろいろな飾りを作ったことは、なつかしい思い出です。その頃は、春ののどかな時間が、どこでも流れていました。

 

当時は、花粉症で悩まされることはありませんので、春の季節が一年でもっともいい季節でした。当時は花粉症という病気もなかったと思います。

 

春と言えばレンゲ畑。そして、春の小川を思い出します。春の小川には、メダカがスイスイと群れをなして泳いでいました。

 

今は、以前のような春ののどかな光景は見えなくなりましたね。残念ですね。

以前の春ののどかな光景がなつかしく思います。

 

以前のあの、春の景色はどこに行ったのでしょうか。

 

 

2020.2.15.(土曜日)午前11時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「チューリップの思い出」

このところ急に春めいてきました。

昨日の最高気温は、20度を超えて、4月頃から5月初旬のあたたかさでした。まだ2月中旬なのに今年の気温の高さは異常ですね。

 

温暖化がどんどん進んでいることを実感します。このままいけば、地球はいったいどのようになるのか不安になります。

 

日本ももっと温暖化対策に取り組むべきですね。CO2を大量に発生する石炭火力発電所は、一日も早く全廃すべきと考えますね。

 

私は春になると、以前、母と自宅の庭にチューリップの花を植えたことを思い出します。母は、花を育てるのが趣味で、季節折々の花を庭に植えたり、プランターや植木鉢に、たくさん育てていました。

 

特に熱心だったのは、チューリップの栽培でした。私は、チューリップの球根を植える時期になると、近くの園芸店にチューリップの球根を買いに行くのが習慣でした。母には、30個~50個の球根を買ってくるよう頼まれました。

 

私は買ってきた球根を、母と一緒になってプランターや、植木鉢に植えました。球根の数が多いので庭にあったプランターや植木鉢すべてに、チューリップの球根を植えました。

 

チューリップの球根には大小さまざまなものがありました。母はどんな色のチューリップか楽しみだねと言いながら、うれしそうにチューリップの球根を植えました。

 

冬のあいだに植えたチューリップの球根からは、春になると青い芽が出て、しばらくすると、花のつぼみが出てきました。母と私は、毎日、庭に出て水をやりました。

 

毎日、「どんな色のチューリップが咲くか楽しみだね!」と言いながら、水をやっていました。つぼみが出てくると、赤や白、ピンク、黄色のつぼみがだんだんと花びらを開き始めました。

 

チューリップのカラフルな花を見るのも、楽しいひとときでした。チューリップにも、いろいろな種類のチューリップがありました。聞くところによると、チューリップの種類は何百種類もあるとのことでした。

 

チューリップの花びらも、大きく開くものや、つぼみのようにいつまでも咲くチューリップなど多様なチューリップがあって、毎日、今度はどんなチューリップが咲くのか楽しみでした。

 

母は、ときどき、大きなチューリップの花を切りとってきて、家の中の花瓶に生けていました。母がずっと前に植えたチューリップの球根からは、今でも春になると芽を出して、カラフルなチューリップの花を咲かせてくれます。

 

母には、チューリップが花が枯れるとかならず球根を掘り出して、保存するように言われていましたが、そのままほっておいても、毎年、春になると今でもきれいな花を咲かせてくれます。

 

家内も花が好きで、時々チューリップを育ててくれるようです。今年も、これから、庭のプランターから、どんな色のチューリップが咲くか楽しみです。

 

私はチューリップは球根から育つものと考えていましたが、先般、ラジオを聞いていると、チューリップは、種ができて、種でも育つと言っていました。

 

種から育つと、花が咲くまで3~4年かかるそうですが、球根から育つと、数カ月で、あたたかい春にはきれいな花を咲かせてくれます。

 

一度球根を植えると何もしないでほうっておいても、毎年、季節になると、カラフルな花を咲かせてくれます。

 

私は赤やピンク、白、黄色のカラフルなチューリップが大好きです。

今年は、どんなチューリップが咲くか楽しみです。

 

 

2020.2.14.(金曜日)午前11時47分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸のチョコレート」

明日は2月14日。

バレンタインデーです。バレンタインデーには女性が男性にチョコレートを贈ることになっています。

 

私はなぜバレンタインデーに、チョコレートを贈るのかよくわからない時期がありました。よくわからないまま、現役のときは、職場の女性職員からチョコレートをもらっていました。

 

職場の女性職員の人に聞くと、職場の女性全員でチョコレートを買ってきて、職場の男性全員にチョコレートを配っていました。いわゆる義理チョコでした。義理チョコとわかっていても、もらえばうれしいものです。

 

しかしそのあとが問題でした。次に来るホワイトデーに、女性に何を贈るのがよいか悩みました。私は、バレンタインデーにチョコレートを送るのは欧米をはじめ、世界共通の習慣だと考えていました。

 

ところが、あるとき、中国へ主張に行ったときに、ちょうどバレンタインの時期でしたが、中国の人に聞くと、中国ではバレンタインの日は女性が男性に花束を贈ると知りました。

 

中国の人にチョコレートを贈らないのですかと聞くと、向こうの人はよくわからないような顔をしていました。私はそのとき、バレンタインデーのことを調べると、バレンタインデーにチョコレートを贈るのは日本だけのことだとわかりました。

 

しかも、バレンタインデーに贈るチョコレートを始めたのは神戸の洋菓子会社「モロゾフ」で、チョコレートを売るために始めたプロモーションキャンペーンが始まりと知りました。

 

私は驚きました。モロゾフ神戸港開港後の神戸の街にやってきたロシア人が創業した会社です。神戸の洋菓子業界をリードしていた会社で、私はその会社の役員や社長の方もよく知っていました。

 

今はバレンタインの日にチョコレートを贈るのは当たり前のようになっていますが、神戸がバレンタインチョコの発祥の地でした。モロゾフプリンでもよく知られていますが、チョコレートも美味しくて有名です。

 

私は仕事の関係で、よくモロゾフの本社に行くことがありましたが、モロゾフの本社に入ると甘いチョコレートの香りが漂ってきました。

 

モロゾフの社長や役員の方と会うと必ず出来たてのチョコレートを食べさせてもらいました。とろけるような美味しいチョコレートに感動しました。

 

チョコレートといえば昔は外国のチョコレートが美味しくて有名でしたが、近年は日本のチョコレートは美味しいということで、世界で有名だと聞きました。

 

昔は海外に行くと必ずチョコレートを土産に買って帰ったものですが、近年は外国の観光客の人が日本のチョコレートを買って帰ると聞きます。

 

その中でも、神戸のチョコレートメーカーであるモロゾフゴンチャロフエーデルワイスのチョコレートが人気だと聞きます。

 

近年は義理チョコが少なくなったようです。最近は自分へのご褒美に高級チョコレートを買う「自分チョコ」の時代になっているようです。

 

我が家では毎年、家内と娘がバレンタインには美味しいチョコレートを贈ってくれます。私も日本のチョコレートは美味しくなったと思います。

 

私の子供の頃は、チョコレートといえば、森永の板チョコレートか明治のアーモンドチョコレートぐらいでした。私は現役の時はよく仕事に疲れた時によく板チョコレートやアーモンドチョコレートを食べていました。

 

最近、チョコレートは高級品では1個何百円もしたチョコレートが宝石箱のようなケースに入っています。チョコレートは高級品ですね。チョコもファッション商品だと思いますね。

 

明日はバレンタインデー。

皆さん、バレンタインの明日は神戸チョコレートを男性、自分、家族に贈りましょう。

 

神戸チョコレートの味は格別ですよ。

 

 

2020.2.13.(木曜日)午後2時5分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸とチューリップ」

今年も、春めいてきました。

まだまだ寒い日が続きますが、陽光は日々、明るさを増してきています。日によっては、3月のようなあたたかい日もあります。

 

温暖化の影響かもしれませんが、今年は例年に比べ、あたたかい日が多くて、寒がりの私は助かります。このため、各地からは、梅をはじめ、春の花が咲き始めたとの便りが届いています。

 

先般、地元、神戸新聞では、神戸市北区の農家では早くもチューリップの出荷が始まったと記事に出ていました。

 

神戸市北区のチューリップは「神戸チューリップ」として、チューリップのブランド品として、関西や関東に出荷されているようです。

 

神戸でも、チューリップの有力な生産地であることを知っているひとは少ないと思いますが、私は以前から、神戸のチューリップの話を聞いていますので、ファッション都市・神戸にふさわしい産業として、チューリップをはじめとする花の産業を戦略産業として育てていけないかと、提案したことがあります。

 

チューリップはカラフルで明るい街・神戸にはよく似合うように考えました。

 

チューリップといえばオランダを思い出しますが、オランダではチューリップは最大の輸出産業として、国を挙げてチューリップ産業を育てています。

 

神戸でも、西区や北区の農地で、チューリップを育成して、国内だけでなく海外に輸出できないかと思って、提案したことがあります。

 

私の思いは、神戸の街全体をチューリップやカラフルな花々であふれさせて、神戸の街をチューリップの花あふれるガーデンシティとして、内外にPRすることによって、海外から多くの観光客を誘致できないかと考えていました。

 

神戸では「インフィオラータ」というチューリップのイベントが、毎年春になると北野や神戸の中心市街地で開催されます。

 

「インフィオラータ」というイベントは、チューリップの花びらで、道路の上に絵を描くことでヨーロッパの街で盛んにおこなわれているようです。

 

チューリップのカラフルな花びらを道路の上にまいて、チューリップの花びらで絵を描くイベントで、毎年、春になると北野などの道できれいな絵が造られて、多くの観光客が訪れます。

 

カラフルなチューリップの花びらを使って見事な絵が描かれています。私もよく見に行きましたが、そのカラフルな絵に感動しました。

 

絵を造るチューリップの花びらは、確か北陸の富山から取り寄せたチューリップの花びらが使われていると聞きました。富山ではチューリップの球根を生産していました。

 

そのため不要となった花びらを使って、神戸のインフィオラータに使用していたようです。私もインフィオラータの絵はキレイと思いましたが、あまり、好きではありませんでした。

 

花びらだけになったチューリップの花が道上にまかれている光景を見ると、チューリップの花がかわいそうに思われました。チューリップは、やはり、土の上に植えられたチューリップの花が一番きれいだと思いました。

 

葉っぱのついていない花びらだけのチューリップは花ではないように思いました。私はなんか、チューリップの花を冒とくしているように思われて、あまり、好印象を持てませんでした。

 

仮に、神戸チューリップが、インフィオラータの材料として使われていたとしたら、神戸市北区のチューリップ農家の人はどのように考えるでしょうか。

 

私は、以前、九州のオランダ村のテーマパークに行った際に、そこに広がるチューリップの広場を見て、その美しさに感動したことがあります。

 

その後、神戸でもチューリップを生産している農家があると聞いて、私はファッション都市・神戸の街を、チューリップいっぱいの街にできないかと考えました。

 

そして、チューリップをはじめとして神戸の花を戦略産業として発展させられないかと考えていました。今もその思いは変わりません。

 

私は震災前、神戸の街を「花あふれる街・神戸」にする運動を提案したことがあります。そのときは予想以上に大きな反響があり、神戸の企業の事務所や工場などで花を植えるところが増えました。

 

市街地や商店街でも花を飾るところが増えてきました。震災後に再び「花あふれる街・神戸」運動を展開したいと思いましたが、いろいろな事情でそれができなかったことが今も悔やまれます。

 

震災後25年が経った神戸でもう一度、「花あふれる街・神戸」運動を再開して、神戸の中心市街地全体を、さまざまなカラフルな花が咲き乱れる「花のガーデンシティー」に整備して、内外から多くの人を集めることができないかと考えています。

 

神戸の街には、きれいな花がよく似合うと思います。

皆様はいかがお考えですか。

 

「花あふれる街・神戸」をもう一度!!