ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【兵庫通信】ー「宝塚ホテルの思い出」

宝塚にあった老舗ホテル「宝塚ホテル」が先般、閉館となりました。

宝塚ホテルは、宝塚歌劇を見るために宝塚にやってくる人々のために建設されたホテルでした。

 

宝塚ホテルを建設したのは、神戸にあった有名ホテル「オリエンタルホテル」を設計した建築家だったと思います。神戸にあった「オリエンタルホテル」は外国人居留地の中に建設され、当時は東洋一のホテルと言われていました。

 

その「オリエンタルホテル」を設計した建築家が、宝塚の武庫川沿いにおしゃれな洋風ホテルを建設しました。宝塚ホテルは阪急宝塚南口駅のすぐ前にありました。白い色のおしゃれなホテルでした。宝塚の街によく合っていました。

 

私は現役のときはいつも阪急宝塚線を乗っていましたので、毎日、車窓から宝塚ホテルをながめていました。あまり大きな建物ではありませんが、ちょうどよい大きさのレトロな感じのホテルでした。

 

私は宝塚ホテルにはいろいろな思い出があります。

 

私は神戸に勤務していましたが、そこの団体で同じ職場で働いていた女性職員と結婚することになって、結婚式をどこでするかいろいろ探していたときに、宝塚ホテルがよいと考えて、女性と一緒に宝塚ホテルを訪れて結婚式を申し込もうとしましたが、残念ながら、式場が空いていなかったので、あきらめて神戸の「オリエンタルホテル」で結婚式をすることになりました。

 

当時は、神戸ではホテルといえば「オリエンタルホテル」が一番有名でした。「オリエンタルホテル」は、天皇兵庫県に来られたときはいつも「オリエンタルホテル」に宿泊されている由緒あるホテルでした。

 

私は仕事でよく「オリエンタルホテル」を利用していましたので、支配人をはじめ幹部の人もよく知っていました。「オリエンタルホテル」は格式のあるホテルで、サービスや料理も一流でした。

 

そのとき結婚した女性が、今の家内です。家内は生粋の神戸っ子ですので、神戸の「オリエンタルホテル」のこともよく知っていたようです。

 

私達が結婚してからしばらくして、私が課長をしていたときに、部下が職場の女性と結婚することになりました。その結婚式場が宝塚ホテルでした。

 

若いペアは二人とも神戸出身でしたが、わざわざ「宝塚ホテル」で挙式をすることになりました。今考えると、女性が宝塚歌劇のファンだったのではないかと思います。

 

「宝塚ホテル」の結婚式には、私は主賓として参列することになりました。そして、来賓として披露宴でのスピーチと乾杯の発声をすることになりました。そのときの仲人は、私の上司でした。

 

そのために、出席者の中には私が勤務していた団体の役員も出席されていました。乾杯の発声をするときには大変緊張しました。シャンペンで乾杯の発声をしましたが、あまり緊張していたので思わずシャンペンを落としそうになりました。

 

私達が結婚式を開くことができなかった「宝塚ホテル」で、部下の披露宴に出てスピーチと乾杯をすることになったのは、私達と「宝塚ホテル」には何か縁があるように感じました。

 

そのとき、「宝塚ホテル」はおしゃれなホテルで、よいホテルだなと改めて感じました。

 

「宝塚ホテル」の一階には、道路に面したところにカフェがありました。窓から外の景色が見えるおしゃれなカフェでしたので、私も何度かコーヒーを飲みに出かけたときがありました。

 

ホテルの一階のロビーの周りに洋服店や雑貨のおしゃれなブティックがありました。2階にはレストランがあって、そのレストランに行く階段にはきれいな絨毯が敷かれていました。

 

私達は家内と娘で、よく「宝塚ホテル」のレストランに行って、夕食をとったことがあります。レストランでは、世界の各国のビールがありました。そのビールを飲みながら、いろいろな料理を楽しんで食べました。

 

料理にはドイツのウィンナーや、ピザなどもあって、いろいろな料理を楽しむことができました。「宝塚ホテル」は阪急宝塚南口のすぐ前にあったために、帰るのには便利でした。

 

このように「宝塚ホテル」と私達には、いろいろな思い出があります。今考えても、おしゃれなホテルでした。

 

その思い出の「宝塚ホテル」が取り壊されることになるのは誠に残念です。「宝塚ホテル」は古いホテルなので、改築もやむを得ないと思いますが、何も、取り壊す必要はないと思いますね。

 

日本では古くなるとすぐに取り壊す傾向にありますが、残念ですね。日本は古くて歴史的な建物はもっと大事にすべきだと考えます。

 

私は「宝塚ホテル」も、取り壊さずに、宝塚歌劇などの歴史資料館として、利用できないかと考えます。日本唯一の女性だけによる宝塚歌劇の歴史を展示するミュージアムにすれば、多くの人が訪れるのではないかと考えます。

 

新しいホテルは宝塚歌劇の大劇場のそばに建設されるようですが、あのおしゃれなデザイン性のすぐれた「宝塚ホテル」がなくなるとは誠に残念です。

 

私達の思い出のホテルがなくなると思うと、残念でなりません。

 

 

2020.4.4.(土曜日)午後12時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「神戸のチューリップ」

今年も4月になり、どこでも綺麗な花が咲く季節となりました。

春は花が咲き誇る季節です。

 

私は、以前は季節の中でも、春が一番好きな季節でしたが、いつの頃からか花粉症にかかってからは、春が一番つらい季節になりました。

 

春はスギ花粉に始まり、ヒノキ花粉が続きます。そのあとも、春の草花の花粉もありますので、夏になるまでは、花粉症に悩まされます。それに加え、コロナ問題でさらに心配事が増えました。

 

せっかくの春も、今年は気の重い季節になりました。私は春になると、花では桜の花とともにカラフルなチューリップの花のことを思い出します。

 

我が家でも、春になると庭のプランターの中からチューリップが芽を出して、5月~6月になるとカラフルなチューリップの花が咲くようになります。

 

チューリップの色は我が家では黄色と赤のチューリップが多いように思います。中には白いチューリップの花もあります。

 

以前は、母が元気なときはたくさんのチューリップの花を育てていました。私は母に頼まれて、チューリップの球根を近くの園芸店に買いに行った記憶があります。

 

私はチューリップの球根が30個から50個も入った袋を買って帰って、母に渡しました。母は、私が買って帰ったチューリップの球根を家の植木鉢やプランターに楽しそうに植えていました。

 

その球根から春になると、次から次にチューリップが芽を出しました。初夏になると、プランターからカラフルなチューリップの花が次々と咲きました。

 

我が家の庭は、チューリップの花があちこちで咲くようになると、いつもより明るくなりました。私は、チューリップの花は色がカラフルで好きですので、好きな花のひとつです。

 

ところで、あまり知られていませんが、チューリップは、神戸の北区の農家でたくさん生産されています。

 

神戸のチューリップは、「神戸チューリップ」と呼ばれて、ブランド花として関西を中心に全国の花店で高級品として販売されています。

 

神戸も近代的な大都会ですので、花や農産物が生産されているとは思わない人が多いようです。神戸市民でもよく知らない人が多いと思います。ところが、神戸は六甲山の裏側に広大な農地があります。

 

そこではチューリップなどの花や、新鮮な野菜が生産されています。神戸は農産物の生産が多い都会でもあります。

 

神戸の六甲アイランドでは街中に数万本のチューリップが植えられて、街のチューリップの花が咲き誇り、見頃を迎えているとのことです。

 

そのカラフルなチューリップをながめるため、六甲アイランドに多くの人が訪れているとの報道があります。

 

私は神戸の街は、気候がおだやかで、明るい街なのでカラフルなチューリップの花が、神戸の街によく合っていると以前から考えていました。

 

そのため、神戸の都心にチューリップの花を育てて、さまざまなチューリップの花が咲く、チューリップの街にできないかと考えたことがありました。

 

私の事務所があったポートアイランドのファッションタウンの中にも、あるアパレルの本社の庭園に、カラフルなチューリップの花を庭一面に育てている会社がありました。

 

そのアパレル会社のトップは、神戸のファッション都市宣言を提案した一人でした。

 

そして、ポートアイランドのファッションタウンに本社を移転して、広い庭園を造って、その庭園には綺麗な花の庭を造っていました。春になるとその庭園には、いろいろなチューリップが咲き誇って、見事な庭園になりました。

 

私は現役のときも、そのチューリップを見るために、そこのアパレル会社の本社に出かけて、その庭の中でチューリップの花をながめたことがあります。

 

私はあるとき、ポートアイランドのファッションタウン全体にチューリップの花を植えられないかと考えて、提案したことがあります。チューリップの明るくカラフルな花は、神戸のファッションの街によく合うと思っていました。

 

そのとき私は、神戸の農村ではチューリップの花が育てられていて、全国に「神戸チューリップ」として出荷されていると聞いて、驚いたことがあります。

 

それを受けて、私は、神戸のファッション産業の一つとして、チューリップなどの花産業を育てていけないか考えていました。

 

私は春になると今でもそのことを思い出します。皆様は神戸がチューリップの産地として有名だとご存知でしたか。

 

一度花屋に行って、「神戸チューリップ」を探してください。

きっとカラフルな神戸のチューリップの綺麗さにびっくりしますよ。

 

「春には神戸チューリップの花を育てましょう!!」

 

 

2020.4.3.(金曜日)午前11時45分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

【日常通信】ー「タケノコ掘り」

今日は朝方は雨が降りました。

昨日は激しい雨が降り、風も強く吹いていました。そのため、今日、リハビリで外出すると、公園にある桜の花がだいぶ散っていました。

 

今日はリハビリの前に3カ月に一回の体力測定をしました。パワーリハビリのポラリスでは、3カ月に一回体力検査をすることになっています。そのときには体重と身長も測ります。体重は61kg、身長は169cmでした。

 

私は現役のときは、身長は172cmありましたが、なぜか身長が縮んでいます。体重は、現役のときは62~63kg位がベストでしたが、今もほとんど変わっていません。

 

体力測定では、つえを持って歩く速度をはかったり、手足の屈伸の力を測定します。今日やったことは、3カ月前とほとんど変わっていません。

 

いつものことですが、体力測定は大変疲れます。今日も、体力測定のあといつものようにパワーリフティングをすると、最後の方では体力がなくなっていて、へとへとになっていました。

 

今日は参加者は11人で、いつもより人数が少ない日でした。そのため、パワーリハビリのマシンも空いていました。

 

パワーリハビリに行く車中から、外の風景をながめると、公園や、沿道の桜の花がたいぶ散っていました。桜の花びらがじゅうたんのようになっていました。

 

天気予報では明日も雨が降るようですので、今年の桜の花も今週末までには散ってしまうでしょう。残念ですが、今年の花見も終わりそうです。

 

今年も4月になって、春本番となりました。これからは雨がよく降る季節になります。昔は菜種梅雨と言っていました。私はこの時期になると、よく家族と一緒に近くの里山にタケノコ掘りに行ったことを思い出します。

 

自宅から1時間程度のところに、我が家の山がありました。小さな山ですが、その山のそばには竹藪がありました。その竹藪では、春になると立派なタケノコがたくさんとれました。

 

私は子供達を連れて、その竹藪に行って、タケノコ掘りをするのが楽しみでした。我が家の竹藪は、我が家の栗山のすぐそばにありました。

 

竹藪のすぐ近くには、砂防ダムがありました。竹藪は、砂地になっているので、水はけがよいのでいつも太くてやわらかいタケノコがたくさんとれました。

 

砂地になっているので、タケノコを見つけるのが簡単でした。子供でもタケノコを見つけることができました。我が家の竹藪でとれるタケノコは、太くて、やわらかいタケノコでした。タケノコの太さは直径10cm以上もあります。

 

タケノコは、竹藪のあちこちにたくさんありました。砂地なので、タケノコを掘るのもそれほど苦労することはありませんでした。持って行ったスコップや登山用のナイフなどで簡単に掘ることができました。

 

竹藪にはタケノコがたくさんありますが、全部とっても持って帰ることができないので、私達は形のよいタケノコを選んで掘り出して、持って帰りました。

 

タケノコは、けっこう重いので、私達は山の中でタケノコの皮をむいてから、食べられるタケノコにしてからリュックサックに入れて家に持って帰りました。

 

子供達のリュックにも、娘と息子のリュックに1本ずつタケノコを入れて家に帰りました。

 

我が家の竹藪は毎年どんどん広がっていき、そばの栗山の中まで竹が生えるようになっていました。そのため、栗山の中にも、タケノコが生えるようになっていました。

 

タケノコは毎年たくさんとれますが、全部とることはできないので、毎年、とれなかったタケノコが大きくなって、太くて立派な竹に育ちます。我が家のタケノコは、太くて、立派な竹になっていました。

 

春になると、竹藪のタケノコ掘りに行くのが楽しみでした。タケノコは、雨がよく降る時期には、びっくりするほど成長が早くて、しばらく行かないとタケノコは竹になってしまっています。

 

そのため、タケノコ掘りの季節には、たびたび竹藪をのぞきに行く必要がありました。家に持って帰ったタケノコは、母や家内が料理してくれます。タケノコごはんもよく作ってくれました。

 

我が家の竹藪からとって帰ったタケノコをすぐ料理すると、やわらかくて食感がよくて、おいしいおかずになりました。春は、毎日のようにタケノコを食べた記憶があります。今年も、我が家の竹藪では、太いタケノコが出ているでしょう。

 

近年は誰もタケノコをとりにいかないので、我が家の竹藪も竹が密集していることでしょう。

 

春のタケノコ掘りは楽しく、なつかしい思い出です。

 

 

2020.4.2.(木曜日)午後3時

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「入社式」

今日から新年度が始まりました。

4月1日は、どこの企業や役所でも新社会人を対象にした入社式がおこなわれますが、今日はコロナ感染予防のため、入社式を中止するところが多いようです。

 

はじめての出勤日に入社式がないのは、何となくさびしく思われますね。私が50年近く前に社会人になったときのことを思い出します。

 

私が神戸の経済団体に入社したのは、昭和45年4月1日でした。そのとき入社した人は私一人でした。

 

私が入った経済団体は総職員100人程度の小さな団体でしたので、新人の採用は毎年、一人でした。新人がゼロの年もありました。新入社員は私一人でしたので、入社式のようなものはありませんでした。

 

私がはじめて神戸の事務所に行くと、すぐに役員室に呼ばれました。私はよくわからなくて、役員室で緊張して待っていると、当時の専務理事が入ってこられて、私に辞令を手渡されました。

 

専務からはただ一言、「健康に気をつけて頑張ってくれ!!」と言われて、私は辞令を受け取りました。辞令には「調査部勤務を命じる」と書かれていました。それで入社式は終わりました。

 

私はその後、すぐに配属部署の調査部に行きました。行くと、私のためのテーブルといすが用意されていました。当時の調査部は小さな部署でした。部長、次長のほかスタッフが7人程度の組織でした。

 

私が緊張しながら、「今日入社した〇〇です。よろしくお願いします!!」とあいさつすると、全員が私を見て、拍手をして迎えてくれました。

 

小さな組織でしたので、私はすぐに慣れました。調査部は私が希望した組織でした。私は経済学の勉強をしたいと思っていましたので、調査部では時間があって、経済学の勉強をすることができると考えていました。

 

当時の調査部は、今では考えられないほど、のんびりしたものでした。調査部の午前中の仕事の多くは、経済新聞をはじめ全国紙や地元紙を読み、関連記事のクリッピングをすることでした。

 

すべての新聞を読んで、自分の担当分野や関心のある記事には赤鉛筆でしるしをつけて、新聞の切り抜きをすることでした。私が新聞にマークをつけた記事は、スタッフの女性がはさみで切り取って私に返してくれました。

 

私は大学では経済学を学びましたが、実体経済や産業界のことはほとんど知識がありませんでしたので、調査部で新聞のクリッピング作業で、いろいろな実体経済のことを知ることができました。

 

私が今も毎日3つの新聞を読むことを楽しみにしているのも、調査部のときの仕事が始まりです。

 

本当に調査部は、私にはよく合っていました。他の部署の職員からはよく「調査部の仕事はうらやましい。朝から新聞を読めるなんてよいな!」と言われていました。

 

今年はコロナで入社式や入学式も中止のようですね。

 

私が入社した頃は、行政や大きな会社では、大きな会場で何百人もの新入社員や新入生を集めて大々的に入社式や入学式が開催され、トップや学長のあいさつがマスコミに取り上げられることがありました。

 

私はたった一人の入社式でしたので、そのような大規模な入社式がうらやましく思ったものです。

 

私は団塊の世代なので、入社式や入学式にもたくさんの人が参加しました。それだけに、競争の激しい時代でした。しかし、私はただ一人の新人なので、職場の中に入ると、みんなから大事にされました。

 

私の担当分野の仕事は大変広い範囲に及びましたが、当時の上司からは「わが社は一人一課だから、すべて一人で責任をもってやってくれ!」と言われて、自由に仕事をすることができました。

 

私は一人で過去のファイルを探して、自分のやり方で仕事をすることができました。私は上司から具体的に細かく指示をされたことはありませんでした。

 

ただ一つ、言われたことは、「これが君の担当だ。あとは自分で考えてやってくれ!」ということでした。

 

最初はどうしたらよいかわからなくて戸惑いましたが、わからないところは先輩の職員に聞くと、丁寧に教えてくれました。

 

もう50年近くも前のただ一人の入社式をなつかしく思い出しました。

 

今日コロナ問題で、入社式が中止になった人も、あとになるとなつかしい思い出になるでしょう。

 

 

2020.4.1.(水曜日)午前11時35分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「春らんまん、桜満開」

今日は、パワーリハビリに行く日です。

先般は1回パワーリハビリを休んだので、リハビリに行くのは1週間ぶりです。今日は曇り空で、朝起きても日が入ってこなくて暗く感じました。

 

雨にならないか心配でしたが、出かけるときは雨は降っていませんでした。今日は風もなく、曇り空ですがおだやかな春の日になりました。1週間ぶりのリハビリに出かけるため、早く目が覚めました。

 

今日、リハビリに行く車の中から、外の景色を楽しみました。今日は車では運転席のとなりに乗ったために、フロントガラスから外の景色がよく見えました。

 

リハビリに行く道中で自宅のある団地の公園をながめていると、公園に植えてある桜の木にはかわいいもも色の桜の花が満開です。どの公園でも桜が満開となっていて、思わずきれいな桜に見とれてしまいました。

 

公園の桜の花の周囲を見ると、白い雪やなぎがいっぱい咲いています。公園以外でも沿道には桜の木がたくさん植えてあるので、どの桜も満開です。今日は絶好の花見の日です。

 

私と同乗したリハビリ仲間の女性も、「あー桜が満開できれいですね!!」と言って喜んでいました。桜の木の中には、早くも花びらが散っているところもありました。

 

まだ少しですが、風で桜の花がひらひらと散る光景もありました。桜が散る風景には、風情が感じられますね。我が家のある団地には、桜の野生種の「エドヒガン」が咲いているところがあります。

 

猪名川に面した山すそに、エドヒガンが咲いて、春には遠くからエドヒガンの花を見るために、多くの人がやってきます。私も以前、エドヒガンの花を観に行ったことがあります。

 

エドヒガンの花は、花びらが小さくて、色は白っぽいピンク色でした。今日は「エドヒガン」が観ることができないかと車窓から注意して探しましたが、残念ながら見ることはできませんでした。

 

その代わり、山のそばを通ると、ソメイヨシノの桜のほかに、山の上の方には山桜の花が咲いていました。山桜は、普通はソメイヨシノより遅く咲くことが多いですが、このところの気候で、山桜も満開になっていました。

 

リハビリをするポラリスに行く道中、団地の景色を見ていると、ソメイヨシノの桜が満開で咲き誇っています。

 

猪名川の川沿いには、桜の木がたくさん植えられているので、川沿いには桜並木が長く続いています。どの桜も満開で、桜並木には、つい見とれてしまいました。

 

今年はコロナ騒動で、花見も自粛されていますが、今日は車の中から桜の花見を楽しむことができました。スタッフの人も「桜の花見が今日はできましたね!」と言っていました。

 

沿道の家にも、庭をながめると、それぞれの家の庭にも桜やつばきなどの花が綺麗に咲いています。植木鉢には春のカラフルな草花が咲いていました。まさに春らんまんの日です。

 

道路沿いの山の中をながめていて、特に目についたのは、山桜とともに咲いていた山つつじの赤い花でした。山つつじの赤い花が満開になって、山のまん中を明るくしているように見えました。

 

私は山つつじの花が、子供の頃から好きで、よく近くの里山にとりにいったことがあります。里山からとってきた山つつじの花を玄関の花瓶の中に飾ると、家の中が明るく輝くように感じました。

 

今日はリハビリには16人の人が来ていました。そのうち6人が男性、10人が女性です。ティータイムでの話は、コロナのことばかりでした。皆さん、コロナのことを大変心配されていました。

 

最近はコロナコロナで、気が滅入りますが、今日は車の中からですが、桜の満開の花を楽しむことができました。

 

リハビリ仲間の人も、みんな今年は花見ができないとあきらめていたけれど、リハビリに来たおかげで、車の中から桜の花を観ることができてよかったと言っていました。

 

私も、今日のリハビリで綺麗な桜の花を観ることができたので、少し気分よくリハビリをすることができました。このところの気温では、桜の花も今週末になると散り始めるのではないかと考えます。

 

雨でも降れば、綺麗な桜の花も散ってしまうと思うと、私は帰りの車の中からも、桜の花ばかり探していました。

 

今日のリハビリは桜を観ることができて、最高でした。

 

 

2020.3.31.(火曜日)午後3時5分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「つばきのピンクの花」

今日は、よい天気になりました。

昨日は寒い日でしたが、今日は昨日より気温が上がり、過ごしやすい日になりました。

 

依然としてコロナは猛威を振るっています。毎日、朝起きると真っ先に朝刊を読んで、コロナのことを確かめていますが、毎日感染者数が全国で増えているのを読むと、気が滅入ります。

 

新聞によると、コロナ感染は世界中の国に広まっているとのこと。特にアメリカやイタリアなどの先進国での広がりが爆発的で、大変心配になります。

 

政府は最悪の事態を想定して、いろいろな準備を進めているようですが、この先どうなるかが心配ですね。

 

ところで、我が家の庭に植えてあるつばきが、大きなピンクの花を枝一面に咲かせています。

 

先般はじめてピンクの花が咲いているのに気がつきましたが、今日朝あらためてながめると、ピンクの大きな花で、先般見たより増えています。我が家のつばきの花は、ピンクの色をしています。

 

さらに花が大きくて、一つの花の大きさは私の手のひらより大きくなります。つばきの木は、母が今の家を建てたときに、庭には花が咲く樹木が欲しいと言って、つばきの木を植えました。

 

我が家のつばきは、春になるとつばきの木一杯にピンクの大きな花を咲かせてくれます。家の中からもよく見えます。家の中から外を見ていると外の景色が明るく見えます。

 

つばきは、高さ5mぐらいまで大きくなっています。その大きな木の上から下までピンクの花が咲いています。

 

我が家のつばきは春に咲くと5月頃まできれいな花を咲かせてくれます。それまでは、毎日、庭で咲くつばきをながめるのが楽しみとなります。

 

つばきの木は、散るときは花全体がボッタと落ちます。つばきのそばには、さざんかの木もあって、つばきとよく似た赤い花をたくさん咲かせますが、さざんかの花は、花びらが一枚一枚散りますので、つばきとの違いがわかります。

 

つばきの花が咲くと、そのあとには、つばきの実がなります。つばきの実は大きなものは小さなピンポン玉程度になります。

 

私は、よく庭に入って、つばきの実をひろったことがあります。つばきの実は硬くて、石のようですが、手に取るとかすかに香りがして、心地よく感じました。つばきの実からはつばき油がとれると聞きました。

 

我が家の庭には、つばきのほかにも花が咲く植木がたくさんあります。母は花が大好きでしたので、花が咲く植木を植えて、季節季節の花を見て楽しんでいました。

 

つばきのほかさざんか、梅の木、雪やなぎ、そしてつつじ。そして、特に母が好きだったのはバラの花でした。庭の両横には、いろいろなバラの花を植えていました。

 

また、母は植木鉢やプランターにも、たくさんの植木の花を植えていて、花を育てていました。庭のあちこちには、花が植えられた植木鉢やプランターがたくさんありました。そのため、我が家の庭ではいつも、花が一杯咲いていました。

 

言い忘れましたが、母が特に好きな花の一つに、あじさいの花があります。あじさいの花は、我が家の庭のあちこちにあじさいの木が植えられていました。

 

そのため、季節になるとあじさいの花があちこちで咲いて、家のあちこちにあじさいのきれいな花が見えました。近所の人もあじさいの花があまりにも綺麗なので、みんな「綺麗ですね!」と言ってほめていました。

 

今年も早いもので母が好きだったつばきの花が大きなピンクの花をつばきの木いっぱいに咲かせています。数えると何十個もあると思います。これから、しばらくはピンクのつばきの花を見て、過ごすことができます。

 

我が家のつばきは40年以上前に植えたつばきですので、今では大きなつばきに育ちました。そのため、つばきのピンクの花もますます大きくなったように感じます。

 

我が家のつばきは、綺麗なピンク色をして、10cm以上もある大きな花を咲かせます。私はいろいろなつばきの花を見たことがありますが、我が家のような大きなピンクのつばきの花はあまり見たことがないように思います。

 

コロナ問題などで気が晴れない日が続きますが、ピンクの大きな花がいっぱいに咲いている景色を見ると、気持ちも明るくなります。

 

これからしばらくは、つばきのピンクの花をながめて、楽しみます。

 

 

3030.3.30.(月曜日)午後1時45分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「豆ごはん」

今日は、朝起きると寒く感じました。

もうすぐ4月なのに、東京では雪が降っているとのことです。寒の戻りですね。昔から入学式の頃に寒い日があって、雪が降ったことがありました。

 

桜も開花したのに、あまりに寒くて、びっくりしていることでしょう!今日は雨が降っていますので、開花した桜の花が、この雪で散ってしまわないか心配です。

 

コロナ感染はさらに猛威を振るっています。東京でも多数の感染者が出たようで、この先どこまで感染が広がるのか不安になります。政府は何とか感染を食い止めようと必死になって取り組んでいるようですが、不安ですね。

 

いまだにマスクが不足していると聞くと、いつになったらマスクが行きわたるようになるのか、本当にもどかしいですね。

 

マスクが十分に手に入るようになると、国民の不安も少しはやわらぐと思いますが、それが、いつまでたってもできないのは、もどかしい限りです。政府は国民に行動自粛を訴える前にマスクと、医療体制の整備を急ぐべきでしょう。

 

話は変わりますが、昨日の夕食で、私は久しぶりに「えんどう豆の入ったごはん」を食べました。えんどう豆のごはんを食べるのは久しぶりでした。豆ごはんを食べたら、大変になつかしい味がしました。

 

えんどう豆のごはんは家内が作ってくれました。娘も「なつかしいな!」と言いながら、おいしいと喜んでいました。私は子供の頃からえんどう豆のごはんが大好きでした。

 

私が子供の頃は、祖母や母が、よく豆ごはんを作ってくれました。えんどう豆は、以前にあった我が家の裏の畑で育てていました。

 

畑に植えたえんどう豆は長いつるを伸ばして、竹のさおにつるを巻いていました。えんどう豆の枝には白いかわいい花が咲いていました

 

私は子供の頃は、畑に育ったえんどう豆を一つ一つ丁寧に切り取って、カゴに入れて、家に持って帰りました。家に持って帰ったえんどう豆を丁寧にふさから青い豆を取り出しました。

 

はえんどう豆をふさから取り出すのが好きでした。青い豆がたくさんとれるとうれしくなりました。祖母や母が、そのえんどう豆を使ってよく豆ごはんを作ってくれました。

 

また、母はえんどう豆と高野豆腐に、卵を入れて、鍋でゆがいて、おかずを作ってくれました。私は、その豆と高野豆腐、卵が一緒になったおかずが大好きでした。

 

高野豆腐、豆、たまごの味がよく合って、おいしくて、食べるのが楽しみでした。私はえんどう豆のことを思うと、畑で咲いているかわいいえんどう豆の花を思い出します。

 

畑ではそら豆も栽培していました。そら豆のふさは大きくて、ぶ厚かったように思います。そら豆は、ぶ厚いふさの中に入っていました。そら豆のふさには、わたのようなものが入っていました。

 

そら豆もよく食べました。そら豆をいって食べるのが好きでした。昔の我が家の畑はかなり広い面積がありましたので、たくさんの野菜を植えていました。

 

えんどう豆、そら豆、そしてキューリ、ナスビ、さらに、とうもろこし、芋類ではサツマイモ、ジャガイモ、里芋も作っていました。サツマイモなどは、私の子供の頃は貴重なおやつでした。

 

夏にはすいか、まっか、冬にはイチゴも作っていました。我が家の畑は食べ物の宝庫でした。家で食べる野菜のすべては我が家の畑で栽培しました。もちろん、漬物を作る白菜やダイコンは、畑一杯にたくさん作っていました。

 

ネギやほうれん草、キャベツなどの葉物もすべて我が家の畑で作っていました。野菜は買うものではなく、畑で作るものでした。野菜を買ったことはありません。

 

我が家の畑で作った野菜の味は格別でした。その中でもそら豆やえんどう豆も味は格別でした。そら豆やえんどう豆には、白いかわいい花が咲いていました。よくちょうちょうが飛んできました。

 

昨夜、家内がなつかしいえんどう豆のごはんを作ってくれました。豆ごはんを作るためには、えんどう豆をふさから取り出したり、普段より時間がかかります。

 

それをいとわずなつかしい豆ごはんを作ってくれた家内に感謝です。豆ごはんを食べたのは久しぶりで、もう何十年も食べなかったようななつかしい味を思い出します。

 

昨日の豆ごはんには子供の頃に食べた豆ごはんの味がしました。本当になつかしい味がしました。娘も大変喜んでいました。

 

忙しい中、豆ごはんを作ってくれた家内に感謝ですね。

 

本当にありがとう。

 

 

2020.3.29.(日曜日)午前10時40分

里山 歩樹(藪野 正昭)