ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
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【日常通信】ー「七夕」

今年もはや7月になりました。

7月と言えば、七夕のことが思い出されますね。

 

私の子供の頃は、7月の七夕のときには、我が家では自宅の竹やぶからとってきた竹に、きれいな飾りや短冊をつるして七夕を作っていました。七夕には、短冊にいろいろな願い事を書いて飾っていました。

 

私はいつも、短冊には「野球がうまくなりますように」、「勉強ができますように」などの願い事を書いてつるしていました。小学校でも、教室の中にきれいな七夕を飾っていたのを思い出します。

 

七夕の季節は、梅雨の真っ最中でした。梅雨の雨の中を、歩いて学校に通ったことを思い出します。七夕の日には近くの公園や広場に行って、夜、空を見上げると、空には真っ暗の中に、満天にきらきらと無数の星が輝いていました。

 

私は子供の頃から、空を見て、いろいろと空想するのが大好きでしたので、七夕の日には夜に近くの公園に行って、夜空をながめるのが大好きでした。

 

真っ暗の中に輝く星をながめていると、宇宙の神秘を思って、しばらく空想を楽しんだものです。

 

七夕が終わると、作った飾りは近くの川「塩川」に行って、七夕の笹を流したことを思い出します。

 

当時は、塩川にはとうとうときれいな水が流れていたので、七夕の笹は、あっという間に、流れていきました。今は川に流すのは認められていませんが、私の子供の頃は、七夕の飾りは川に流すように教えられていました。

 

今年も、早くも七夕の季節になりました。七夕が終わると、梅雨が明けるのも近くなります。今年の梅雨の明けるのはいつになるかわかりませんが、早く梅雨が明けることを願います。

 

七夕と言えば、神戸の新長田商店街では、商店街あげてたなばたまつりが開催されていたのことを思い出します。私はそのときは仕事でよく新長田に出かけました。

 

長田地区に立地するゴム会社「三ツ星ベルト」が、七夕の日には毎年企業あげて七夕のイベントを開催していました。私も招かれて、毎年出席したことを思い出します。行けば色々な店が出店して、色々な食べ物を食べることができました。

 

そのときには、周囲の商店街では七夕を飾ってにぎわっていたことを思い出します。長田地区は震災後、街の元気がなくなっていましたが、七夕のときだけは大勢の人でにぎわっていました。

 

七夕まつりといえば、仙台の七夕まつりが有名です。私は退職したら仙台の七夕まつりを見に行きたいと考えていました。残念ながら、その願いは実現していません。

 

日本には季節季節に色々なお祭りやイベントがあって、一年中、楽しく暮らせるようになっています。そのようなときは私はいつも日本という国に生まれて良かったと思います。

 

今年の七夕の飾りには、私は「コロナ感染が早く収まりますように!」と書いた短冊を飾りたいと思います。

 

皆様はどんな願いを短冊に書きますか。

 

 

2020.7.3.(金曜日)午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「体力測定」

今日は、7月に入っての初めてのパワーリハビリに行く日です。

早いものですね。今年も6カ月が過ぎました。今年も夏本番の季節になりました。

 

今日も、いつもの通り朝6時に起きてパワーリハビリに出かけました。今日は久しぶりの晴天でした。昨日はすごい雨が降っていたので、今日も雨だと心配していましたが、幸い朝起きると晴れていました。

 

8時40分に迎えの車が来たので玄関から出ると、久しぶりに青空が見えました。吹いている風も、心地よく感じました。アジサイの木にも花が咲いているように思いました。

 

これからはアジサイがきれいな季節になります。我が家のアジサイは母が植えて、大切に育ててきたものです。もうすぐするとアジサイの花もさらに大きくなって、ブルーのきれいな大きな花が咲くことでしょう。

 

今日は雨が降らなかったので、車に乗るのもスムーズに乗ることができました。同乗者は二人でした。今日は、3カ月に1回の体力測定の日でした。

 

ポラリスでは、3カ月に1回は必ず月の初めに体力測定をすることになっています。私はこの体力測定があまりやりたくありませんが、ポラリスの決まりのようですのでやらないわけにはいきません。

 

ポラリスに着くと、まず身長と体重を測りました。身長は169cmとスタッフが言っていました。

 

私の身長は若いときは172cmのはずですので、なぜか2~3cmも低くなっていました。体重は60kgでした。体重は若いときと変わっていません。

 

ポラリスに着くと、いつもの通り、体温と、血圧を測りました。体温は36.3度、血圧は上が95、下が65で少し低めです。体力測定では、まず歩く姿勢とスピードを図りました。

 

歩いている姿は、カメラに記録されました。スピードは、3カ月前とほとんど変わりません。さらに、イスから立ち上がる姿とスピードを測りました。これも、3カ月前とほとんど変わりません。

 

それに加えて、屈伸力を測りました。足のひざを伸ばして、どこまで体を曲げることがでくるかを測りました。この測定はバランスをとるのが大変でした。足のさらに、片足で何秒立てるかもチェックしました。

 

すべての測定をすると、大変疲れます。ほとんどが3カ月前と変わっていません。体力が維持されていると考えられます。

 

今日は体力測定をした後、パワーリハビリはすべてのメニューをすることはできませんでした。体力測定のときは、けっこう時間がかかりますので、すべてのパワーリハビリをする時間的余裕がありません。

 

私以外の参加者の中にも体力測定をしている人がいました。その人も体力測定はいつもより疲れると言っておられました。私も疲れました。

 

私は、リハビリの途中にこまめに水分をとるようにしました。朝のティータイムと最後のティータイムのときに、合計で4杯の水分をとりました。リハビリ中にも3回水分をとったので、合計7杯、900mlの水分をとったことになります。

 

今日は体力測定のことを、ブログで報告することにしました。

 

いつものことですが、体力測定はいつもより神経を使うので、大変疲れました。

 

 

2020.7.2.(木曜日)午後1時35分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸の三宮の再開発」

先日の神戸新聞に、神戸・三宮の都心の再開発計画について記事が出ていました。

神戸の三宮では、かねてから都心の再開発が重要な課題となっていました。

 

神戸では、25年前の大震災以降は都心の再開発はほとんど行われていませんでした。このため、都心の再開発を大規模に進める大阪、福岡、川崎等の都市に比べて、都心の魅力が落ち込んでいました。

 

そのため、神戸では数年前からようやく阪急三宮駅、JR三宮駅の再開発が計画されてきました。阪急三宮駅の再開発については、すでに建設が進み、2年後には完成する予定です。

 

しかし、JR三宮駅の再開発については、いまだに計画が決まっていません。古いビルの解体は今行われていますが、新ビルの計画はまだ決まらないままです。JRでは、新しいビルにどういう機能を入れるかを決めかねているようです。

 

都心の駅ビルですので本来ならば入居者は山ほどあるはずなのに、それが、神戸では入居が心配されているようです。それだけ、神戸の三宮の都心の魅力が下がっているということですね。

 

三宮では、そのほかに、現在の中央区役所の跡地に、ツインの高層ビルの建設が計画されています。ツインビルの一階には、西日本最大のバスターミナルが予定されています。

 

それに加えて、現在の神戸市庁舎2号館の建て替えが計画されています。このビルも30階以上の超高層ビルの予定です。これらの再開発計画の総事業費は7000億を大幅に超えるとのことです。

 

神戸では大震災以降の最大の事業です。その完成が待たれます。神戸市での計画では、経済効果は事業費の1.5倍、雇用人員は1万5000人以上に上るとのことです。

 

ところが、その完成時期を読んで、私は驚きました。なんとすべての事業が完成するのは、2050年度とのことです。今からまだ30年もかかります。30年と言えば、時代が変わってしまうほどの長い期間です。

 

あまりにも、遅すぎます。神戸・三宮は30年間も、今の状況が続くと思うと、あまりにも、スピード感に欠くのに驚くほかありません。

 

大阪、福岡の主要都市では、どんどん再開発が進み、発展していきます。このままでは、神戸の三宮の都心では、ますます全国の都市に比べて、取り残されていきます。

 

あまりにもスピード感に欠ける都市再開発計画には失望せざるを得ません。なぜこんなに時間がかかるのか、私にはよく理解できません。また神戸は遅れてしまいます。

 

それと私が心配しているのは、三宮では、超高層ビルが林立して、神戸の街並みがすっかり変わってしまうことです。

 

東京や大阪のように高層ビルが立ち並ぶ箱ものの再開発が進められて、神戸らしい街並みがなくなってしまうのではないか、心配になります。

 

神戸は、東京や大阪と違って、街並みがヒューマンスケールで、人間にやさしい、きれいな街並みが形成されてきました。それが神戸の最大の特徴でした。その神戸らしさがなくなるのではないかと心配しています。

 

神戸の街には、超高層ビルは似合いません。神戸の街はあくまでも、人間にやさしいヒューマンスケールの街を維持してもらいたいものです。大きなビルやその規模を誇るだけでなく、どういう施設をつくるのかが、最大の問題です。

 

私が思うに、現在の三宮の都心での再開発プランでは、利便性や機能性、経済性ばかりが重要視されて、ワクワク感やロマンやビジョン、夢を感じることができません。

 

街づくりにはワクワクするようなロマンや理念が必要です。残念ながら、今のプランにはそれが感じられません。

 

神戸の三宮の都心は、これから、どうなってしまうのか大変不安になります。

 

まだ30年もかけて行う再開発ですので、もっと、ワクワクするようなロマンや理念が感じられるような計画づくりをぜひ望みたいものです。

 

「三宮再開発にビジョンとロマンを!!」

 

 

2020.7.1.(水曜日)午後12時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

 

【日常通信】ー「大雨の中のリハビリ」

今日は、6月30日です。

今日で、今年も6カ月が過ぎたことになります。

 

早いものですね。この6カ月はコロナコロナに明け暮れた半年でした。コロナのことを考えていると、いつのまにか6カ月が過ぎていました。

 

今日は、パワーリハビリの日です。ところが、激しい雨が降っています。今日、朝起きてリハビリに行く準備をしていると、外から雨が降っている激しい音が聞こえてきました。

 

今日のような雨の日は、体も重たく感じます。あまり、外に行きたくなくなります。しかし、リハビリを休むわけにはいきませんので、いつも通り朝6時に起きて、出かける用意をしました。

 

朝食をとった後で体温を測りました。体温は、36.3度でした。しかし、雨のせいか、体が重たく感じられます。杖を持って歩く足も重たく感じました。今日も、8時40分にリハビリの車が迎えに来ました。

 

玄関を開けて外に出ると、激しい雨が降っています。スタッフの人が傘を持ってきてくれましたが、あまりに雨が激しいので、雨が頭の上から降ってきて、ずぶ濡れになりました。雨だけでなく、風も強くて、体が風で倒れそうになりました。

 

なんとか車に乗ることができましたが、車に乗るためには、足元に水たまりができているので、すべらないか心配でした。慎重に、慎重に、玄関の階段を下りながら、車に乗ろうとしましたが、度々足がすべってこけそうになりました。

 

幸い家内が私の体を支えてくれたので、なんとか無事に乗ることができました。車に乗って、外の景色をながめても、激しい雨で外の景色が見えません。

 

今日は、リハビリには17人の人が参加していました。ここ1カ月では最も多い人数です。しばらくコロナを心配して欠席されていた人も、少しずつ戻ってこられたようです。

 

今日は男性8人、女性9人でした。今日は参加者が多いので、パワーリハビリも待ち時間が多くなりました。リハビリ室から外を見ても、相変わらず激しい雨が降っています。

 

参加者の皆様は、今日のような日は体が重たく感じますねと言っておられました。私も体がいつもより重く感じました。

 

車の中から沿道の田畑をながめると、田んぼの水があふれそうになっていました。リハビリの間は、遠くからサイレンの音が聞こえてきました。スタッフの方に聞くと、洪水警報のサイレンだと言っていました。

 

リハビリが終わって帰りの車の中から外の景色をながめると、川の水が増水していました。この川は、よく大雨で洪水が起こることで知られています。幸い、帰る時間になって洪水警報は解除されたと聞きました。やれやれです。

 

自宅に着いても雨は相変わらず激しく降っていました。私はスタッフの人が貸してくれたカッパを着て、玄関を歩いて帰りました。今日の雨は、ひさしぶりの大雨です。

 

洪水にならなくて、よかったと思います。

大雨の中のリハビリは、大変でした。

 

今日のリハビリはいつもより大変疲れました。

 

 

2020.6.30.(火曜日)午後2時10分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「浴衣の思い出」

今日も、夏本番を思わせる暑い日になりました。

最近は家にいる時に冷房をつけて過ごしています。私は冷房があまり好きではないので、クーラーを除湿にしています。

 

除湿にするだけで湿気が取れて、少し涼しく感じます。私は時々、小さい子供のときの夏のことを思い出します。

 

私が子どものときも、夏は暑かったと思いますが、当時はクーラーなどはありませんので、うちわで風を送るのが唯一のやり方でした。しかし、子供の頃は、夕方になると急に温度が下がり、涼しくなったことを思い出します。

 

縁側でドアを開けていると、涼しい風が入ってきました。当時は、夜寝るときは、母が作ってくれた「浴衣」を着ていたと思います。

 

私は昼間は外で遊び回っていましたが、夕方、風呂に入って、食事をした後は、母が作ってくれた浴衣に着替えて過ごしていました。浴衣は、涼しくて、快適でした。

 

私は、母が作ってくれた浴衣が大変気に入っていました。夕方は浴衣を着て、外に夕涼みに出かけました。私は浴衣を着るのが好きでした。

 

浴衣は、誠によくできています。暑い夏でも風が入ってきて、涼しく感じました。母は着物を作るのが得意でした。そのため、母は私を始め、兄弟三人の浴衣を作ってくれました。

 

私は、母が作ってくれた浴衣を着て、帯をして、腰にはうちわを入れて、いっぱしの大人のような恰好をして浴衣を着て過ごすのが好きでした。私は暑い夏になると、子供の頃に浴衣を着て過ごしたことを思い出します。

 

私が子供の頃は、外に出かけるときは、浴衣を着て出かけました。夏まつりや盆踊りなどには、必ず、浴衣を着て出かけました。私は浴衣を着ると、急に大人になったような感覚がありました。

 

浴衣を着るときは、下駄をはいて出かけました。外に出かけると、私の友達も、きれいなカラフルな浴衣を着ている姿がありました。当時は浴衣姿になると、急に大人になったように感じました。

 

私はよく、浴衣を着て、日本に生まれてよかったなと、思ったものです。浴衣は、子供でも簡単に着ることができます。そして、パジャマのように、体を締め付けることもありません。体にやさしい着物でした。

 

本当に浴衣は便利で、心地よい着物でした。浴衣は風がよく入ってきて、涼しく感じます。パジャマとはまったく違います。私は浴衣を着て寝るのが気に入っていました。

 

浴衣と言えば、私の子供の頃は、母を始め家族が家で作ってくれるものでした。私は母が作ってくれた浴衣が大変気に入っていました。母は私のためには、水色の格子柄の浴衣をよく作ってくれました。

 

私がこの浴衣を着ると、母はいつも、「よく似合っているよ!!」と言って喜んでいました。下駄をはいて、浴衣を着て外に出かけると、私は大人になったような気持ちになりました。

 

浴衣を着るときは帯を巻いて、その帯には、うちわをはさんで歩いていました。私が浴衣を着て歩いていると、近所の人が「よく似合っているね!!」と言ってほめてくれました。

 

私が子供の頃は、夏の着物と言えば浴衣でした。浴衣は誠に便利な着物でした。浴衣さえ着ていれば、どこでも出かけることができました。昔は旅行で旅館に行くと、必ず浴衣を着たものです。

 

今は、浴衣を着ることがなくなりました。今はパジャマを着て寝ています。子供の頃に浴衣を着て寝たことがなつかしく思い出されますね。

 

浴衣は日本人が開発した、最高の着物だと思いますね。

皆様は、浴衣を着たことがありますか。

 

浴衣と言えば、兵庫県姫路市では 有名なゆかた祭りがあったと思います。

 

いつか、昔のように浴衣を着て夏まつりや盆踊りに出かけたいものです。

 

 

2020.6.29.(月曜日)午前11時55分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「夏休みの旅行の思い出」

もうすぐ今年も夏休みの時期になります。

私は、大学生のときは、必ず夏休みには、友達と一緒に全国各地に旅行に行くのが楽しみでした。

 

夏休み前にはアルバイトで資金を稼いで、旅行に行きました。学生ですので資金は限られていますので、学生割引の周遊券を使って、鈍行に乗って、全国各地を旅行しました。

 

旅行に行っても、ホテルに泊まるようなお金はありませんので、多くは車中泊か、駅の中で寝たりしました。たまには国民宿舎に泊まったこともありますが、ときには、野宿したこともあります。

 

一日に使える経費は決められていましたので、食事も、駅弁や、安い食べ物で済ませました。全国の駅で食べた駅弁の中には大変おいしい弁当がありました。

 

旅行で一番記憶に残っているのは、北海道に行って、北海道を1周したことです。約2週間かけて北海道を普通列車で回りました。

 

私達はみんな大きなリュックサックを背負って旅行していました。その姿がカニのようなので、「カニ族」と言われていました。学生の頃に一緒に全国を旅行した友達とは、今も連絡を取っています。

 

一緒に旅行した友達との絆は強くて、いつまでも忘れません。友達の中には、旅行中に知り合った女性と後で結婚した友達もいました。

 

私達の頃は、夏休みは旅行をして、いろいろな経験をする季節でした。旅行では困ったことがあったり、友達とケンカしたりしたことがありますが、私達は若かったので、それらのすべてが大変勉強になって良かったと思います。

 

日本海沿線を、汽車で旅行したことも楽しい思い出です。機関車に乗ると、ときどき「ボー」という汽笛が聞こえてきました。

 

その音は、まもなくトンネルに入るという合図でした。それを知らずに窓を開けていると黒いすすが車中に入ってきて、困ったことがあります。

 

機関車に乗って長い時間旅行していると、全国でいろいろな人と出会いました。その人達から、いろんな話を聞くことができました。

 

旅は道連れ、すぐに親しくなりました。私は、旅は人を豊かにしてくれるように感じました。夏休みと言えば旅行を思い出します。

 

私が学生の頃は、新幹線のような速い列車はありませんでした。旅行に行っても、ゆっくりしたものでした。そのため、車窓から全国各地の景色を楽しむことができました。各地の駅駅で駅弁を食べたことがなつかしく思い出されます。

 

旅行先としては、北陸や木曽路、長野地区なども回りました。長野の木曽路を歩いて島崎藤村の生家を訪れたことも、思い出されます。

 

木曽路を歩いていると突然大雨が降ってきて、道に迷いそうになったこともありました。そんなことも、旅行で経験する冒険でした。今考えても楽しい思い出です。

 

旅行中では、東京の女学生や、青森の女学生とも知り合いになりました。長野では妙高高原に行って、民宿で泊まりました。妙高高原では真夏でも涼しくて、驚きました。

 

富山にも行きました。富山では友人の家に泊まりました。富山の友人の家は大きく、驚きました。庭の中に小川が流れていたのには驚きました。

 

富山では民家は広い敷地に建てられて、家の周囲は大きな木で囲まれていました。海からの風を避けるために大きな木を植えていると聞きました。

 

その富山の友人の結婚式には私も出席しました。

 

なつかしい夏の旅行の思い出です。

 

 

2020.6.28.(日曜日)午前11時30分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「暑い夏の庭いじり」

今年も夏本番となりました。

連日30度を超える暑い日が続いています。今年も酷暑の夏になりそうです。

 

私は元気な時は、夏になると我が家の庭の隅に、夏野菜を植えて、家庭菜園を楽しんでいました。我が家の庭の隅を耕して、そこに、園芸店から買ってきたキュウリやナスビ、そしてミニトマトの苗を植えていました。

 

暑い夏には、毎日、庭に出てホースで水をやっていました。そんな時に夕立が降ると、助かりました。それでも、水をやらないわけにはいかないので、私は毎日庭に出て、ホースで水をやっていました。

 

夕方に庭に出ると、やぶ蚊が飛んできて、いたるところを蚊に噛まれて、かゆくて困りました。それでも、水をやらないわけにはいかないので、私は毎日、庭に出て、ホースで水をやっていました。

 

そんな時に夕立が降ると、助かりました。夕立が降ると、水をやる必要はありません。以前の夕立は、ザーと降ると、10分弱程度でやんでくれました。やさしい夕立でした。夏の夕立は、暑い夏の空からの恵みですね。

 

今は雨が降ると大雨になって、各地で災害を招いています。日本の気候がいつのまにか激しい気候になってしまいました。かつてのようなやさしさがなくなりました。これも、地球温暖化のせいですかね。

 

庭に植えたキュウリやナスビ、ミニトマトの実がいっぱいなるようになりました。私はその採れた夏野菜を家に持って帰っては、家族に渡して料理してもらいました。

 

私がとったキュウリ、ナスビの味はやわらかくて、みずみずしくて、大変おいしかった記憶があります。ミニトマトも、すずなりになりました。私はその赤くなったミニトマトをとって、水洗いをして、そのままよく食べました。

 

ミニトマトは甘くて、みずみずしくて、いくらでも食べることができましたが、一番困ったのは、庭に出るとすぐにやぶ蚊がやってきて、手足をいっぱい刺されたことですね。

 

母は庭に出る時は、必ず腰に蚊取り線香をつけて庭に出ましたが、私はフマキラーをつけて庭に出ましたが、それでもやぶ蚊がやってきて、あちこちを刺されて、かゆくてかゆくて困りました。

 

庭での家庭菜園では、ほかにも、ネギを植えたり、パセリもよくとれました。ネギやパセリは、植木鉢に植えていました。ネギやパセリもよくとれました。家は野菜がよく育ちます。

 

私は子供の時は、自宅の裏に広い畑がありましたので、夏はその畑で野菜の水やりをやるのが、夏の私の仕事でした。畑のそばに流れる小川から、大きなひしゃくで水をすくって、畑の色々な野菜に水をやるのが、私の夏の仕事でした。

 

子供の頃は、我が家の畑には色々な野菜が育てられていました。野菜は全部、自宅で育てたものでした。野菜は店で買うものではなく、自宅の畑で育てるものでした。

 

暑い夏は夕方を待って、畑に行って、必ず水やりをやりました。水やりは必ず日が暮れた夕方にしていました。

 

子供の頃は、我が家の庭には、スイカやマッカも育てていました。畑の中にはグミの木があって、グミの実がいっぱいになっていました。私はそのグミを食べるのが好きでした。

 

畑で水をやっていると、色々なトンボがいっぱい飛んでいました。チョウチョウもよく飛んでいました。

 

子供の頃、我が家の畑でした畑仕事が懐かしく思い出されますね。

 

遠い遠い子供の頃の、懐かしくも、楽しくもある思い出です。

 

 

2020.6.27.(土曜日) 午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)