ひょうご☆ふるさと~風だより。

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神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】―5時46分

今日は雲が広がっていますが、青空も見えるまずまずの天気です。

 

気温は一段と下がってきました。寒さが身に浸みます。時々太陽の

陽が差してきますが、光が弱くて暖かく感じません。外を眺めても

灰色の冬の景色です。風も少し吹いています。冬空で洗濯物が乾か

ないと家内が嘆いていました。今日は成人の日です。寒いですけど、

雨が降らなくてよかったですね。

 

今年もはや10日以上が過ぎました。早いですね。もうすぐあの日

がやってきます。1995年1月17日午前5時46分。忘れもし

ません。阪神淡路大震災が発生しました。あれから今年で21年に

なります。そんなに月日がたったとは信じられません。つい、この

間のように思います。毎年1月になると震災の時のことを思い出さ

します。寒い時期でした。

 

当日、私は出勤するため、いつもの通り5時45分頃に目が覚めま

した。その時間はまだ真っ暗です。電球をつけようとした直後に

「ドーン!」という大きな音がしました。その後すぐに大きな揺れ

がやってきました。私は、最初はなにが起こったか分かりませんで

した。家が揺れています。咄嗟に地震だと思いました。部屋の箪笥

が揺れています。

 

その日は、私たち家族4人は二階の和室で寝ていました。壁に沿っ

て周囲には箪笥が置いてあります。その箪笥が大きく揺れています。

箪笥が倒れたら、家族は下敷きになってしまいます。私は急いで起

きて両手で箪笥が倒れないように支えました。同時に、寝ている家

族に「地震だ!布団を被れ!」と叫びました。揺れは長く続きまし

た。私は必死で箪笥をおさえました。とても長く感じました。隣の

部屋で、何かが壊れる音が聞こえました。

 

揺れが収まってから、隣の長男の部屋に行くと本棚が倒れて、本や

いろいろな物が棚から落ちており、中を歩く事が出来ませんでした。

その日はたまたま、息子も二階の和室で一緒に休んでいたのが幸い

しました。もし、息子が自室のベッドで寝ていれば大怪我をしてい

たでしょう。不幸中の幸いです。

 

急いで一階に降りて母の部屋に行くと、母もビックリして起きてい

ましたが、幸い無事でした。居間に行くと本棚や食器棚が傾いてい

ます。足元にはいろいろな物が落ちていました。その時はまだ電気

がついていました。急いで、居間のテレビをつけました。その時、

初めて、神戸を中心とした地域で大きな地震が発生した事を知りま

した。しかし、その時は被害の大きさが分からずにいました。

 

いつもの通り出勤するつもりで準備していました。しかし、テレビ

で見ていると時間が経つたびに被害が広がっていきました。しばら

くして、大変な事が神戸で起こったことが判明しました。電車は全

部止まっていました。電話も通じません。動きがとれません。その

日は会合の予定がありましたが、どうする事も出来ません。テレビ

では被害どんどん大きくなっていきます。

 

家内の実家が被害の大きい東灘にありました。何度も電話しました

が通じません。不安になりました。ですが、交通手段が全て止まっ

ているので動きが取れませんでした。大きな余震が繰り返しやって

きました。家を離れるわけにはいきません。しばらくすると、電気

も水道もガスもとまってしまいました。寒い時期に火を使う事が出

来ません。

 

困りました。初めて経験でどうしたらよいか困りました。私は、と

りあえず、余震で家具が倒れないように、釘やネジで家具を固定し

ました。もう、必死でした。寒い冬でしたが朝だくになりながら作

業をやりました。水も出ないのでトイレも使えません。料理も出来

ません。困りました。

 

震災の後の数日間はどのように生活したのか思い出されません。と

もかく必死でした。寒い事も忘れていました。二日目に歩いて神戸

に行って被害の大きさを目の当たりにして息を飲みました。戦場の

ように思いました。いま思い出しても身震いします。

 

1995年、1月17日、午前5時46分。

 

忘れられない記憶です。

 

2016.1.11. 里山 歩樹