ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【兵庫通信】ー「1・17のこと」

今日は、1月17日です。

私には忘れらない日です。27年前に阪神・淡路大震災が発生した日です。

 

当時、私は自宅で寝ていました。5時過ぎになって突然「ドーン!」という音が聞こえ、びっくりして目を覚ますと、家が大きく揺れていました。

 

最初は何が起こったのかわかりませんでしたが、部屋にあるタンスが倒れ掛かったので私はびっくりして起き上がり、タンスが倒れないように両手で押さえ、同じ部屋で寝ていた妻と子供に叫びました。「地震だ!!ふとんの中に入れ!!」

 

地震はいつまでも続いて、まだ夜明け前でしたので暗い中で不安な時間を過ごしました。しばらくしてテレビをつけると、ニュースで神戸で大きな地震があったと報道していました。

 

初めはそんなに大きな地震だとは思っていませんでしたが、時間が経つと被害がとても大きくて、神戸の街ではあちこちで火事が起こっているとわかりました。それでも渡井は、まだよくわかっていませんでした。

 

被害の大きさを知ってビックリしました。犠牲者がどんどん増えていって、なんと6000人以上の犠牲者が出ました。私は川西の自宅からわずかに動いている電車と、あとは歩いて神戸まで行きました。

 

神戸の街に行くと救急車の音がしていました。線路近くの家はほとんど倒れていました。三宮の近くに行くと、大きなビルや工場が倒壊していました。道路も壊れて歩くことができませんでした。

 

そしてなんとかポートアイランドにある事務所にたどり着くと、建物は大丈夫でしたがロッカーが倒れ、デスク等は水浸しになっていました。今もあのときのことを思い出すと、体が震えます。

 

あれから27年たちました。早いものですね。神戸の街はハードは復興しましたが、かつての神戸の街のにぎわいは今も戻っていません。27年もあっても、大震災の後遺症で苦しんでいます。

 

人も減り、企業も東京へ移転したままです。これからの神戸の先行きが心配でなりません。私たちはあの大震災のことを忘れてはなりません。大震災の経験を後世まで伝えていく責任があります。

 

神戸の街は必ず復活します。

 

私は信じています。

 

 

2022.1.17.(月曜日)午前10時10分

里山 歩樹(藪野 正昭)