ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】ー「子供は地域で守り育てましょう。」

コロナ感染が一向に収まる気配がないので学校休校が19日まで延期になりました。

 

そのため、子供がいる家庭では、大変困っているとの報道が紙面で大きく取り上げられています。子供が長期にわたって狭い家に閉じ込められるので、健康面への悪影響が心配されているようです。

 

また、子供が毎日、家庭にいるため、親が仕事に行くことができなくなって困っている家庭も多いようです。

 

私は、今回のコロナ騒動で、子供が自宅で長く過ごすことで、大きく社会問題になっているのは、今の社会の弱点が出てきていると考えます。

 

私の子供のときは、学校が休みになっても、ほとんど困ることはなかったように思います。私の子供の頃だったら、子供は学校が休みになったら「やったー!」と言って大喜びだったと思います。

 

私は子供の頃は、学校が休みになっても、いくらでも外に出かけて遊ぶことができました。学校が休みになって困ると言っていた記憶はありません。

 

親も学校が休みになって困ると言っていた記憶はありません。昔は、どの家族も三世代が同居して、おじいちゃん、おばあちゃんがいました。おじいちゃん、おばあちゃんが、両親に代わって、子供の世話をしてくれました。

 

ところが、今は、核家族化が進んで、親に代わって子供の世話をするのは、託児所や幼稚園だけになりました。

 

そのため、幼稚園などが一斉休校になると、たちまち子供の世話をする人がいなくなり、今回のような大きな問題になるようになりました。

 

それと、現代の社会と大きく違うのは、地域社会の存在です。昔は地域での人々の交流が緊密で、何か困ったときがありましたら、隣近所の方が、助け合いをしていました。

 

昔は、地域の人が、何事も助け合うのが当然でした。何事も「お互い様!」と言って、お互いに協力しながら生活をしてきました。私の子供の頃は、子供の世話も地域全体でしてくれていました。

 

子供は地域全体で守り育てるものでした。昔は、子供が困っていると地域の人が、皆で助けてくれました。そのため、子供は地域の中にいると安心でした。

 

今回のコロナ問題のようなことが起こっても、昔なら、地域の人が協力して子供の世話をしてくれたのではないかと思います。

 

私の子供の頃は、地域の人の家に行くと、よく、その家で食事を食べたことがあります。地域の人の家に行くと、家族として、食事や遊びの世話をしてくれました。

 

昔はそれが当たり前でした。子供は、地域で守り育てるのが、当然のことになっていました。

 

今の時代は、豊かになり、便利な社会になりましたが、何か大事なことがなくなってしまったように考えます。日本社会の良い面であった、地域社会のコミュニティーや人のつながりがなくなってしまいました。

 

今の時代は一世帯が、孤立して、生活するようになりました。こういう個人が孤立した社会は、何か有事になると地域で助け合うことができないので、大きな問題になってしまいます。

 

昔は、田舎は貧しい時代もありましたが、家は、今と比べると広い敷地があり、家の中にも、ふすまを広げると広い部屋になりました。

 

今の家はほとんどがマンションで、狭い家で生活をしています。そのため、家はコンクリートの狭い部屋になって、息が詰まります。このような狭い部屋に長時間いれば、子供もストレスがたまります。

 

今の時代は、マンションから出ても地域の中で遊ぶ場所がありません。そのために、親は幼稚園などに頼るしかありません。昔なら祖父母や、地域の人が子供の面倒を見てくれましたが、今はそれができません。

 

現代社会は豊かで便利な社会になりましたが、有事なことが起こると、もろい社会になりました。私の子供の頃の、ふるさとの地域社会がなつかしいですね。

 

もう一度、「子供は地域で守り育てる社会」になることを切に望みます。

 

 

2020.3.14.(土曜日)午前11時34分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【神戸通信】-「神戸をベンチャーの都市にしよう!」

コロナリスクはいよいよ「パンデミック」に発展しました。

WHOがはじめてパンデミック宣言をしました。今ごろ遅すぎるように思います。

 

アメリカは、英国を除き、ヨーロッパ各国からの入国を中止しました。コロナ感染は世界の100か国以上に広がっています。コロナは今や世界的な大問題です。

 

世界の国が力を合わせて対策に取り組まないと大変なことになります。私はこのたびのコロナ問題を見ていて技術や医療の進んだ近代文明が、いかにもろいものか、いかに弱いものかを思い知ったように思います。

 

これだけ技術が進んだ世界でも、不知のコロナウイルスにはなすすべがありません。私たちはコロナには、このまま負けてしまうのでしょうか。

 

今こそ、世界の国が力を集めて、人類の知恵を示してほしいですね。今の事態は東京オリンピックをどうすべきか議論している場合ではありません。人類の力が試されています。

 

ところで、神戸のことですが、神戸経済は、25年前の大震災以降、人口も企業数も減って、衰退を続けています。かつて全国の都市の先端を走っていた神戸経済の輝きは、どこにもありません。

 

一番問題なのは、神戸では、時代の最先端をいく産業や企業が生まれてこないことです。今の神戸経済を支えている企業、産業はこの40年ほどほとんど変わっていません。

 

重工業などの産業構造がそのまま続いていて、デジタル化やグローバル化に対応した産業や企業がほとんど生まれていません。

 

神戸に比べると、京都では世界的に有名な企業が生まれています。京セラ、任天堂、村田、日本電産オムロンロームなど時代の最先端を走る企業が生まれています。

 

さらにその上で注目されるのは、京都では、京都大学をはじめとする大学発のベンチャー企業やスタートアップ企業が続々と誕生していることです。

 

あるデータによるとベンチャー企業とスタートアップ企業が多い都市は、東京、大阪に次いで、京都が多いとの調査報告があります。

 

それに対して、神戸ではほとんどベンチャー企業が生まれていません。これでは、神戸経済の将来が心配です。

 

神戸は、かつてはベンチャー企業が生まれた都市でした。例えば、ダイエーも、かつてはベンチャー企業でした。創業者の中内氏が三宮で薬局店を開業したのが始まりでした。

 

その中内さんが日本で流通革新を起こし、スーパーを我が国で展開して、ピークには三越百貨店に抜いて、日本一の小売業に発展しました。

 

神戸は約40年前にファッション都市宣言をしましたが、そのファッション都市づくりを進めたのは、ワールドの木口さん、畑崎さんでした。木口さん、畑崎さんは淡路島から神戸に出てきて、アパレル企業を創業しました。

 

ワールドは当初はベンチャー企業からスタートしました。そのワールドが年商約2000億円を超える日本を代表するアパレル企業に発展しました。

 

もう一人の神戸を代表するベンチャー起業家は、アシックスを創業した鬼塚さんです。鬼塚さんは戦後、神戸の長田で靴メーカーとして創業して「アシックス」を設立しました。

 

アシックスは、今やスポーツ用品総合メーカーとして、年商4000億円の大企業に発展しています。世界でも、第3位の総合スポーツ用品企業にまでなっています。

 

ナイキ、アディダスに次ぎアシックスが世界第3位のスポーツ企業になりました。このように、神戸は以前は優れたベンチャー企業が生まれている都市でした。ところが、近年は目立った新しい企業が生まれていません。

 

特に震災後は時間が止まったように、神戸では新しい企業、産業が生まれていません。これでは神戸経済が元気がなくなるのも、当然です。

 

神戸は震災後の産業経済の振興策の方針として、ベンチャーがどんどん生まれる「インキュベーション都市・神戸」を目指したことがあります。震災からの経済復興には、ベンチャー企業を生み出すことが必要と考えたからでした。

 

私は当時、経済団体に勤めていましたが、そこで研究会を立ち上げ、震災後の神戸の街づくりの方向性としてベンチャー企業を生み、育てる、「インキュベーション・シティ」を目指すべきとの提案をまとめたことがあります。

 

また、ベンチャーを支援するベンチャーファンドを作ったことがあります。ファンドの規模はそれほど大きくはありませんが、当時では、経済団体が作るファンドとしては、我が国初めてだったと思います。

 

ファンドの名前は「魁」だったと思います。神戸経済界をはじめ県下の商工会議所にも呼び掛けて、1口100万円で出資を募りました。ファンドの金額は忘れましたが1億~2億円程度だったと思います。

 

ファンドを設立すると神戸市内の若い起業家から申し込みがありました。その中には大学発のベンチャー企業家もいました。

 

ファンドは10年間の予定でしたが、当時としては画期的な取り組みとして注目され、全国からの問い合わせがたくさんありました。その後、全国の主要都市でベンチャー向けのファンドが設立されることになりました。

 

京都では、京都大学発や京都銀行などの地元企業家のファンドの設立が相次いでいます。そのファンドの支援を受けて、京都では多くのベンチャー企業やスタートアップ企業が生まれています。

 

残念ながら、神戸ではベンチャー企業支援への取り組みが弱いように思います。

 

そこで、提案ですが、神戸の経済界と行政が力を合わせて、ベンチャー企業やスタートアップ企業支援の相当規模のファンドを設立してはどうでしょうか。

 

そして、神戸を再び、革新的な企業が生まれるベンチャーの都市にしていってはどうでしょうか。

第二の中内氏、第二の木口、鬼塚さんを育てましょう!

 

神戸をベンチャーとスタートアップ企業の「インキュベーション・シティー」にしましょう!

 

 

2020.3.13.(金曜日)午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「ふるさとの思い出」

今日は、快晴。

初夏を思わせるほど陽光が明るく、強い太陽の光が家々の屋根の瓦や自動車のフロントガラスをピカピカと光らせています。

 

今日はまだ3月中旬なのに、外の風景を見ると初夏を思わせるように強い光がサンサンと落ちてきます。

 

私は、今日の明るい初夏のような光景をながめていると、よく、自宅の近くにある猪名川に行って魚釣りをしたことを思い出しました。

 

ふるさとの楽しい思い出はいろいろありますが、その一つが、猪名川に行って、魚釣りをしたことですね。私は初夏や秋などの気候のよいときは、よく家族を誘って遊びに出かけました。

 

猪名川は、川西の有名な神社「多田神社」の前を流れている川です。猪名川は、昔は清流がとうとうと流れている川で、アユ釣りで有名でした。初夏になると、アユ釣りをするために、遠くから多くの釣り人が猪名川に来ていました。

 

猪名川でのアユ釣りは、友釣りです。アユを釣るためには、許可がいりました。釣り人は、みんな大きな釣り竿で、川の中まで入って、アユの友釣りを楽しんでいました。

 

私はアユを釣ることはできません。主に釣る魚は、フナでした。釣り方は、1cmほどある釣り針に、丸いダンゴをつけて、川の中にほり込む投げ釣りです。釣り竿の先には、鈴をつけて釣りました。フナが釣れると、鈴が鳴ります。

 

鈴がなって竿を上げると、大きなフナが釣れていることがありました。フナは、銀フナが多かったように思います。大きいフナでは15~20cmもありました。

 

ときどきはナマズが釣れることもありました。ナマズは、大きくて、釣り上げるのが大変でした。ナマズはぬるぬるして、針から外すのが大変でした。私はナマズはすぐに川に帰してやりました。

 

私が猪名川で魚釣りをして一番大物は、白いコイでした。コイの大きさは50cm~60cmもありました。釣り上げるのに5分以上かかりました。

 

竿を引き上げることができないので、釣り糸を引きずって、川から上げました。釣ったコイは、片手では持てないので、両手を使って、抱き上げて、引き上げました。

 

猪名川ではコイもいました。赤いコイ、白いコイが泳いでいるのが見えました。魚釣りで釣ったコイやフナは、全部、川に帰してやりました。

 

猪名川は、昔は清流が流れて、アユ釣りの名所でした。その当時は、釣れた魚は食べることができましたが、上流に大きなダムができてからは、川の水も汚れて、魚は食べることができなくなりました。

 

私は、猪名川に行くときは、家族でよく行きました。ときには川のそばで、バーベキューを作って楽しんだこともあります。水がきれいなときは、子供達と一緒に泳いだこともありました。

 

子供達は、バーベキューをしたり、魚釣りをすることがうれしくて、大変喜んでいました。川で食べるバーベキューやおにぎりの味は最高でした。おにぎりは、家内が自宅で作って持ってきてくれました。

 

私達は川岸の石の上に座って、おにぎりを食べ、冷えたビールをよく飲みました。猪名川で飲むビールの味は最高でした。家内が作ってくれたおにぎりの味も最高でした。

 

子供達は、川岸でバーベキューを食べるのが楽しくて、たまらないようでした。フナなどの魚が釣れると大喜びでした。川で魚を釣っていると時間を忘れてしまいます。いつのまにか、夕方近くになっていることがありました。

 

ふるさと川西の思い出はほかにもたくさんあります。今回はその中から猪名川での魚釣りの話をしました。

 

また、ふるさと川西の楽しい思い出や自慢話をブログで紹介したいと考えています。

 

ふるさと川西での魚釣りの懐かしい思い出でした。

 

 

2020.3.12.(木曜日)午後3時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸のブランド力について」

コロナ感染が一向に収まりません。

イベントなどの自粛要請が3月19日まで続くことになりました。大好きなプロ野球も、サッカーも、無観客試合になりました。

 

今年の春は寂しいスポーツの春になってしまいました。これもやむ得ないですね。コロナ感染者が全国に広がっています。世界各国でもコロナ感染者が爆発的に広がっています。

 

恐れていたパンデミックに発展しています。このままでは、夏の東京オリンピックも開催できなくなることも考えられます。

 

私はこの際、東京オリンピックは、一年延期することを早く決めたほうがよいと考えます。

 

今日は東日本大震災から9年目の日にあります。新聞報道を見ると東北の復興も、道半ばのようです。東北の復興もこれからが正念場ですね。

 

問題はハードの復興が進んでも、人や産業が戻ってこないことです。人が元通りに戻ってくるには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

来年は、東日本大震災から10年目になります。復興オリンピックである東京オリンピックも、この際1年延期して、大震災10年目に開催したらどうでしょうかね。

 

そうすれば本当に復興オリンピックになると思います。我が国は、今は、コロナリスクへの対応に全力で取り組むべきだと考えますね。

 

ところで、神戸のブランド力のことですが、神戸は阪神淡路大震災から25年になりますが、その期間中に、神戸がかつて持っていたブランド力が著しく低下しました。

 

かつて神戸は、日本の都市でも、訪れたい都市、住みたい都市としてトップを走っていました。

 

「神戸」という名前からは、国際的でエキゾチック、ハイカラで、おしゃれな街。街並みがきれいな街。ファッションの街。スイーツの街など言われて、神戸の街は強いブランド力を持っていました。

 

商品にも、「神戸」の名前をつけるとよく売れると言われていました。そのため、いろんな商品に神戸という名前がつけられたことがありました。その例が神戸コロッケ神戸プリンなどです。

 

大学でも、神戸の名前をつける大学が多くありました。神戸の名前をつけると受験者が増えると言われていました。

 

ところが、震災後はその神戸のブランド力に陰りが見えてきました。

 

かつては神戸は日本の都市の中でもっとも魅力のある街と言われていましたが、最近のあるシンクタンクの調査では、日本の都市で一番人気があるのは、一位が京都、二位が福岡市、三位が大阪市で、神戸は六位でした。

 

神戸はかつての輝きがなくなってきています。その最大の要因は、震災で神戸の街から、人や企業が流出していたことです。特に、若い人が神戸から出ていきました。

 

若い人が出て行く都市には、将来はありません。神戸のブランド力をもう一度高めるためには、若い人が神戸の街に戻ってくるようにすることが何よりも重要です。

 

そして、神戸が持っている都市と自然が一体となった優れた住環境や、きれいな街並みを一段と充実したものに磨きをかけていくことが求められます。

 

神戸も今年の25年を新たな出発の年として、神戸のブランド力を世界に通用するように高めることが期待されます。

 

行政も、経済界も、一体となって神戸のブランド力を強化するよう心から願います。

 

「神戸ブランドを、世界に発信しましょう!」

 

 

2020.3.11.(水曜日)午後11時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「雨の中をリハビリに行く」

今日は、今週最初のリハビリの日です。

リハビリの前日の夜は、明日リハビリがあると思うと、夜、何回も目が覚めて困ります。

 

リハビリに遅れたらいけないと思うと、緊張して、夜中に何回も目が覚めました。夢の中で、リハビリに遅れて、困っている夢を見ることもあります。そのためか、今朝も5時に目が覚めました。

 

まだ早いのでトイレに行ってから、再びベッドに入って寝ようとしましたが、30分ごとに目が覚めました。リハビリの日は、7時30分頃には朝食を食べないといけません。

 

今朝も6時半に起きて、顔を洗ってから、7時過ぎに朝食を食べました。朝食はいつもの通り、パン食です。水分をとるため、朝食のときはいつも、牛乳、コーヒー、豆乳を飲み、薬を飲むためお湯を飲むことにしています。

 

今朝は、朝から雨です。このため、日が差しても、家の中は、暗くて、うっとうしい日になりました。今日のような雨の日は、うっとうしくて、体も重く感じます。

 

歩く足も、いつもより重たく感じました。リハビリの車が来たので外に出ると、雨が激しく降っていますので、カッパをかけてもらって外に出ました。

 

雨のときは、玄関の階段がすべるので緊張します。玄関の植木鉢にあった梅の木の花は、全部散っていました。雨の中をなんとかすべらずに車に乗ることができました。

 

ポラリスに行くと、リハビリに来ている人は、いつもより少なくて12人でした。いつもなら、火曜は18人もいるときもありますが、今日はわずか12人です。

 

コロナを心配して、リハビリを休んだ人がいるようでした。12人のうち、男性は5人、女性は7人です。いつもよく話をする若い男性も、今日は休みのようです。

 

今日は12人ですので、リハビリの部屋の中はいつもより広く感じました。パワーリハビリも、空いているので、効率よくすることができました。このため、いつもより長くパワーリハビリをすることができました。

 

外をながめていても相変わらず雨が激しく降っています。雨の日はなんとなく気が滅入りますね。体がいつもより重く感じました。

 

今日も、いつもの通り、水分をたっぷりとりました。リハビリのあいだに、今日もコップ7個の水分をとりました。合わせて約800ccです。

 

今日も、車に乗る前に体温を測りましたが、36度でした。ポラリスであらためて体温を測ると36.2度でした。体温計によって体温が異なるようです。血圧は上が110、下が85でした。血圧も正常でした。

 

今日は参加者が少ないので、いつもより、ゆっくりとリハビリをすることができました。参加者と話をすると多くの人が、今日は雨が降ってうっとうしいので、いつもより疲れると言っていました。

 

リハビリが終わって外に出るときは、まだ雨が降っていました。雨の中を玄関の階段を上がるのが心配でした。

 

幸い、家に着いたときは雨はやんでいました。やれやれです。雨に濡れずに済みました。ひさしぶりの雨の中のリハビリでした。

 

これからは、雨が降るたびに、春がどんどん本番になってきますね。

今日の雨で、桜の木も喜んでいるでしょう。

 

以上、今日の雨の中でのリハビリ報告でした。

 

 

2020.3.10.(火曜日)午後2時21分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「今年もうぐいすの鳴き声が聞こえる季節になりました!!」

春らんまん。

今日は青空が見える、よい天気になりました。気温も、4月ぐらいの暖かさです。このままあたたかくなると助かりますね。

 

しかし、年によっては、3月下旬になってきてから冬に戻って、雪が降ることもありますので、油断はできません。

 

先日、リハビリに出かけたとき、ポラリスのスタッフの方が、うぐいすの鳴き声を聞いたと言っていました。3月も中頃になると、うぐいすの「ホーホケキョー!」という鳴き声が聞こえてきても不思議ではありませんね。

 

例年、この時期になると、我が家の庭にもうぐいすがやってきて、かわいい鳴き声が聞こえてきます。

 

今年は、まだ聞こえてきませんが、うぐいすは我が家の庭にも、すでにやってきているのかもしれません。ガラス戸を閉めていることが多いので、私に聞こえないだけかもしれませんね。

 

例年、我が家の庭にある植木に止まっては、きれいなさえずり声を聞かせてくれています。面白いもので、例年、うぐいすの鳴き声が違って聞こえます。

 

うぐいすにも、高音がきれいなうぐいすや、低音が得意なうぐいすがいます。うぐいすにも歌のうまいうぐいすと歌が下手なうぐいすがいるようですね。

 

うぐいすの中にも、私と同じで、歌うことが下手なうぐいすもいるなと思うと、おかしくなりますね。

 

今年は、春から、コロナ報道に振り回されて、うぐいすの綺麗な鳴き声を聞く余裕をなくしていましたが、これからはできるだけ家にいるときは、耳をすましてうぐいすの鳴き声が聞こえないか気をつけます。

 

我が家のある団地は昔は山林でしたので、今でも、団地のあちこちに森や大きな池が残っています。そのためか、春になると、我が家の小さな庭にもいろいろな野鳥がやってきます。

 

ヒヨやメジロホオジロヤマガラなど、小鳥がやってきては庭の植木に止まって休んでいることがよくあります。私は以前は家の中から、双眼鏡で家の野鳥をながめるのが楽しみでした。

 

私はときどき、庭に出ては、植木にリンゴやみかんの皮などをつるして、野鳥のエサにしてやりました。ときには、小さな器に水を入れて、水遊びができるようにしてやりました。

 

小鳥は植木の枝につけたリンゴの皮を喜んで食べていました。うぐいすもやってきて、綺麗な鳴き声を聞かせてくれました。

 

うぐいすの「ホーホケッキョ!」という鳴き声が聞こえると、遠くの方から、それに答えるように別のうぐいすの鳴き声が聞こえてきました。

 

自宅の近くの公園には、大きな桜の木があり、桜の開花の季節には、絶好の桜の花見の公園でした。その公園に行くと、あちこちから、うぐいすの鳴き声が聞こえてきます。

 

公園の近くには大きな池があって、池の周りは雑木林となっていて、そこは、昔からうぐいすなどの住みかになっていました。このため、今でも池の近くまで行くと、うぐいすの鳴き声があちこちから聞こえてきます。

 

その中には、うぐいすの「谷渡り」の鳴き声が聞こえてきます。あちこちからうぐいすの鳴き声が聞こえて合唱のようです。

 

「ホーホケキョ、ホケキョホケキョホケキョーー」

 

この時期はうぐいすも、恋の季節のようですね。団地の周りの林からは、あちこちからうぐいすのきれいなさえずりが聞こえてきました。

 

野鳥のさえずりは、どんな野鳥でもかわいくて心が癒されますが、うぐいすの鳴き声の美しさは、格別ですね。今年も、もうすぐすると我が家の庭にも、うぐいすが訪れてきて、美しい鳴き声を聞かせてくれることでしょう。

 

楽しみに待ちましょう。

 

「ホーホケキョー!!」

 

 

2020.3.9.(月曜日)午後12時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「マスクとトイレットペーパーはどこに消えた?」

今日の朝刊を見ても、コロナの感染者がどんどん増えています。

学校一斉休校から一週間になるのに、感染者は増え続けています。学校一斉休校やイベントなどの行事自粛で、経済にも、大きな影響を与えています。

 

コロナリスクは一向に収まらず、ますます大きくなるばかりです。政府のこれまでの対策を見ていると、おそまつとしかいいようがありませんね。後追い後追いで、慌てふためいて対処療法を講じているようです。

 

その例が、いまだに国民の間には、マスクとトイレットペーパー不足で困っている人が多いことです。

 

政府はマスクは増産しており、トイレットペーパーは在庫が山ほどあるので、心配ないと言っているようですが、国民は政府の言うことをまったく信用していないようです。

 

いまだにマスクを求めて、スーパーや医薬店には大勢の人が詰めかけているようです。私は、これまでのコロナリスクを見ていて、政府の対応に大きな危機感を感じます。

 

国民が心配しているマスクやトイレットペーパーが、十分に国民に渡るようにできない政府とは、いったいどんな国になってしまったのでしょうかね。

 

国民の今一番困っていることに、すぐに対応するのが政府と政治家の役割だと思います。

 

マスクやトイレットペーパーでさえ満足に国民に配ることができない政府は、経済大国の政府とは言えませんね。近代国家とは言えないと考えます。

 

それと、何よりも大きな問題は、検査体制がまったく不充分なことです。日本の医療は、先進国の中でも、最も進んでいると言われていましたが、それも間違いだったようです。

 

韓国やアメリカでは、いつでも国民が検査を受けることができる体制が整っているのに対し、日本では検査を受けようと思っても行政の手続きが複雑ですぐに検査を受けることができません。

 

安倍総理は、記者会見で、国民はどこでも民間の医院で検査が受けられるようにすると、言っていましたが、それは間違いだったようです。

 

国民が自分で検査を受けに行っても、検査を受けられない国とは、いったいどんな国ですかね。マスクにしても、トイレットペーパーのことにしても、検査体制のことも、あまりにも、おそまつです。

 

対応があまりにも遅すぎます。コロナ問題が発生してから、もう長期間が経っていますが、いまだに満足な検査体制が整備されていないとは、どういうことですかね。

 

国はいったい今まで何をしていたのかと怒りたくなります。あまりにも、遅すぎますね。

 

政府や政治家は、国民が一番困っていることに、ひとつひとつ対応していくのが役割ですよね。立派なスローガンやアピールは必要ありません。国民ひとりひとりの要請に応えていくのが政府です。

 

今の政府を見ていると、きれいなスローガンや言葉ばかりですが、実態が伴っていません。今の政府はマスクやトイレットペーパーひとつ、国民に必要な分だけ届けることができないほど情けない国になりました。

 

私は、今の事態を見ていると、本当に怖いのはコロナウイルスではなく、政府が壊れていることです。

 

政府と政治家の劣化こそが、一番の問題であるように感じます。いつから日本はこんな情けない国になったのでしょうかね。

 

必要とする充実した検査体制もなく、マスクやトイレットペーパーまでも、充分に国民に行きわたるようにできない国は、近代国家とは言えません。

 

日本の国は、いったいいつからこんな情けない国になったのでしょうか。私は、コロナウイルスより、国家のすみずみにまで行きわたった危機感や緊張感のなさが気になります。

 

日本の国の劣化がいつのまにか進んでいます。日本の国が根底から腐っていますね。日本の国はいったいどうなっていくのでしょうか。

 

私は今回のコロナ問題で、日本という国の危うさを見たような気がします。

国民の皆様はどのようにお考えですか。

 

日本はいったいどこに行くのでしょうか。

心配ですね。

 

 

2020.3.8.(日曜日)午後12時50分

里山歩樹 (藪野 正昭)