ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【兵庫通信】ー「淡路島について」

今日のブログでは、久しぶりに淡路島のことについて書きます。

 

淡路島と神戸市は、世界一のつり橋「明石海峡大橋」によってつながっています。大橋ができる前までは、淡路島には船で行く必要がありました。船は明石から出ていました。その船は「タコ船」と言われていました。

 

大橋ができて、バスでわずかの時間で淡路に行けるようになって、だいぶ便利になりました。今では、神戸や明石から車で通勤できるようになりました。

 

その淡路島は、「花とミルクとオレンジの島」と言われています。淡路島は、シンガポールとほぼ同じ面積の島です。淡路島は、「国生みの島」と言われています。

 

大昔、イザナミイザナギの神々が最初につくった島が「淡路島」と言われています。そのため、淡路島の中には「イザナミ」、「イザナギ」の神を祀っている神社があります。

 

私はかつて、神社に行ったことがあります。淡路島は日本の国で最初にできた島として有名です。その淡路島は、これから観光の島としての発展が期待されています。

 

淡路島は、関西国際空港から船で行けばわずかな時間で行くことができます。神戸とも30分でつながっています。観光地としては最適な立地場所にあります。しかもシンガポールと同じ広さがあります。

 

淡路島は海に囲まれていますので、タイやフグなどの海の幸に恵まれています。特に、タイとフグは有名です。

 

釣りの季節には、全国から多くの釣りファンがやってきます。私は一度、海釣りに淡路に行ったことがります。淡路の海ではチヌがよく釣れました。淡路のワカメも有名です。

 

淡路島には、きれいな海水浴場があります。五色浜の海水浴場は、水がきれいな海です。私は一度、家族と淡路島を訪れて海水浴を楽しんだことがあります。

 

また、淡路島では温泉も出ます。そのため、大きなホテルや旅館もあります。観光地としては最適な島です。

 

食べものとしては、淡路のタマネギは有名です。そして、淡路では淡路牛が飼育されています。淡路牛は、神戸牛のもとになる牛です。そのため、淡路ではおいしい牛肉を食べることができます。

 

その玉ねぎと淡路牛を使った、ハンバーガーが有名です。淡路は玉ねぎの名産地ですので、その玉ねぎを使ったハンバーガーが観光客に人気があります。

 

また、淡路はミルクの島とも言われるように、淡路の牛乳もおいしくて、よく知られています。淡路では鳴門オレンジもおいしいと言われています。

 

さらに、淡路島は花の島と言われるように、島のあちこちに、季節季節には、きれいな花が植えられています。淡路島で有名なのは、スイセンがあります。

 

夏は、ヒマワリが有名です。毎年、淡路島では、緑と花のフェスタが開催されています。そのイベントには全国から多くの人が島にやってきます。

 

鳴門のうず潮は、世界的に有名で、世界遺産に申請することが検討されています。明石海峡大橋は世界一長いつり橋です。私は、明石海峡大橋世界遺産に申請できないかと考えています。

 

このように、淡路島には世界的に優れた観光施設がいっぱいあります。淡路島を一周するサイクリングも盛んです。淡路は、観光施設と観光資源、食、花、スポーツなどすべての観光のための要素がそろっています。

 

私は、淡路島は関西国際空港をはじめ、京阪神地区も近くにある島ですので、世界的な観光の島としての条件がそろっていると思います。

 

私は淡路島をシンガポールのように、世界から多くの人が訪れる国際的観光リゾートの島としてもっとPRしていけないかと考えています。

 

「淡路島を国際観光リゾート地としてPRしましょう!」

 

 

2020.6.19.(金曜日)午前11時45分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

 

【日常通信】ー「コロナ後の日本の国のかたち」

我が国にコロナが発生してから、早くも、半年近くになりました。

誰も、コロナのような問題が発生するとは予想しませんでした。今回のコロナリスクは、日本社会の戦後初めての国難だと言われています。

 

最初は日本も、アメリカやヨーロッパのように大変なことになると大変心配しましたが、国民の皆様のご努力によって、コロナ感染も、最近になって収まりつつあります。

 

まだ東京や札幌などの一部の地域ではコロナ感染者が増えていますが、幸い関西では、このところ、コロナ感染者は急に減ってきています。幸い我が兵庫県ではもう1カ月以上も感染者が出ていません。

 

日本を襲ったコロナリスクも、第一波はなんとか乗り越えられそうです。問題はコロナ後の日本社会のあり方ですね。

 

今回のコロナ危機によって、明らかになったのは、我が国がいかに、もろい基盤の上に国が成立しているかということです。何よりも、私達はコロナのような予想外の出来事に対して、日本社会は何の備えもできていないことでした。

 

そして、危機管理がおそまつで、対策が後手後手に回ったことですね。日本の社会には危機にあたって、国をコントロールできる真のリーダーがいないことが明らかになりました。

 

コロナ後の日本社会のあり方が今後議論されると思いますが、まずはコロナ危機に対するこれまでの対策と推移を分析、検討して、第二波、第三波の波が来たときに同じあやまちを起こさないことです。

 

特に国の危機管理のあり方を抜本的に見直す必要があります。今回のコロナ問題で明らかになったのは、日本社会と経済活動の一極集中型の国土構造の問題点です。

 

コロナは、東京などの大都会に大きな被害をもたらしました。日本の一極集中型構造のもろさが明らかになりました。

 

コロナを機会に、長年の課題であった東京一極集中の是正と、地方の経済社会の復活の重要性をあらためて強く認識させられました。これからは「集中」から「分散」の時代です。

 

可能な限り、集中を避けて、分散を図っていくべきです。コロナのような感染症対策には、「集中」が弱点となります。

 

日本社会には、今回のコロナ危機をきっかけに、江戸時代のような地方分散型の社会構造を再構築していくことが求められています。

 

江戸時代は地方ごとに優れた文化や産業を育ててきました。地方がいきいきと活躍する多様な社会でした。これからの日本は、かつてのような地方が固有の文化や産業を育てていく多様な社会を構築していくことが求められています。

 

これからは地方の時代になります。情報化社会が発展した時代では、地方でも世界に向かって、情報を発信していくことができます。

 

テレワークの時代になると、今後は都会に出ていく必要はなくなります。ふるさとで家族と一緒に暮らしながら仕事をする時代になります。これからは地方の時代になります。

 

これからは、人口や産業が都市から「地方」へ回帰する時代です。地方で仕事して、たまに都市へ出かける生活のスタイルが普通になります。人口も都会から地方へ戻っていく時代になります。

 

人口や企業が地方に帰ってくると、国民一人一人の生活のスタイルも自然と変わってきます。多くの国民はふるさとの家で、自然豊かな地域で、家族と一緒に生活するのが当たり前の時代がやってきます。

 

日本は今回のコロナ問題をきっかけに、大都市から、地方へと人や産業を移していって、新しい地方分散型の社会を構築していくことが最大の課題が求められています。

 

日本は、長年、東京一極集中の是正が最大の課題になっていましたが、コロナ危機によって、やっと長年の一極集中是正と地方分散が実現できます。そう思うと、今回のコロナ危機も、いいきっかけになったと考えますね。

 

我が国は、今回のコロナ危機であきらかになった日本社会の弱点を、これからは全力をあげて是正していくことが求められています。

 

その中でも特に重要なのは、何もかも中国や外国に依存していることのもろさです。マスクや、医療物資などの基本的なものもすべて、外国に依存している弱点があきらかになりました。

 

これからは、日本は日本社会が生きていくために必要な基礎的な物資は、国内で生産できる体制を急いで作ることが必要です。そして、マスクなどの医療物資だけでなく、食料やエネルギーなどの物資も、今はあまりにも、外国に依存し過ぎです。

 

このままでは、コロナ危機のような何か大きな国難が発生すると、日本はたちまち、食料不足とエネルギー不足になって、国が滅びます。

 

日本のコロナ危機をきっかけに、食料の100%の自給とエネルギーの100%自給体制を作るべきだと思います。

 

今回のコロナ危機で、日本はこれからの新しい社会の姿が明らかになりました。

 

あとは、日本国民の知恵と力が試されています。

 

 

2020.6.18.(木曜日)午後2時30分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「神戸のこと」

私は、兵庫県の片隅、川西で生まれ、育ちましたので、川西が私のふるさとです。

川西は周りは山と田畑ばかりの田舎です。大きな会社や工場はありません。

 

従って、仕事は、大阪や神戸に行くことが多い、不便な町でした。そのため、私も大学は、西宮の大学、そして、就職は神戸の団体に勤めることになりました。

 

神戸は大都会です。私は、初めて神戸の街に行ったときは、その大きさや綺麗さに驚いたものです。

 

私が就職した団体が入居していたビルは、当時では、日本で2番目にできた超高層ビルでした。確か、東京の世界貿易センタービルの次に、関西で初めての26階建ての超高層ビルでした。

 

私はそんな高いビルには行ったことがなかったので、初めて行ったときには、その大きさと綺麗さに感動しました。こんなところで仕事ができるなんて幸せだと思ったものです。

 

神戸には、日本でも有名な大企業がたくさんありました。川崎重工業川崎製鉄神戸製鋼所住友ゴムなど、神戸は日本有数の大都市でした。特に、神戸港は世界でも有数の港で、コンテナ数量では、世界第2位を誇る大きな港でした。

 

神戸の街を歩いていると、外国人がたくさん歩いている国際都市でした。兵庫の川西の田舎出の私には、神戸はすべてが、輝いて見えました。

 

私は、神戸で働くことができるのが自慢でした。全国どこの都市に行っても、「神戸から来ました!」と言えば、どこでも「神戸はいいですね。」と言われたものです。私はその神戸で40年以上も働きました。

 

結婚してから数年間は阪急六甲の近くで住んでいました。よく家族と六甲山や、近くの王子公園などに遊びに行きました。従って、神戸は私の第二のふるさとです。

 

今でも私は神戸の街のことが大好きです。神戸の街のことが気になって仕方がありません。私はすぐに、神戸を大阪、京都や、福岡、札幌などの他の街と比べてしまいます。

 

私は毎日、3紙の新聞を読んでいますが、まずは、神戸の記事を探します。新聞を読んでいて、近年、一番気になるのは、神戸の記事が少ないことです。

 

それに対して、京都や大阪等の記事は、毎日出ています。特に、京都の記事が大変多いのが注目されます。京都では、世界的に有名な企業がたくさん立地しています。

 

また、優れた大学もたくさん立地しています。そのため、経済面では、毎日、京都の企業の話題がよく伝えられています。

 

それに対し、神戸は新しい企業や産業が生まれていないように感じます。今も、神戸製鋼川崎重工が中心の重厚長大型産業構造が続いています。

 

それに対し、京都では、電子部品に、IT関係、医療関係などの企業がたくさん育ってきて、京都経済を支えています。京都は観光客も、神戸の10倍以上も多くて、観光公害が大きな問題になるほどです。

 

神戸は、新しい産業が育っていないため、若い人が東京などに流出しています。このため、人口は、福岡や川崎に抜かれてしまいました。このままいくと、いつかは京都や札幌にも、人口で抜かれることになりそうです。

 

人口が多ければよいとは思いませんが、人口は都市の活力のバロメーターです。人口が減るということは、神戸の街が、それだけ魅力と、活力がないことを表しています。

 

神戸は、新しい産業を育てることが最大の課題です。そして、これからの産業として、ベンチャー企業を育てていくことが重要です。

 

そして、観光業についても、これからの戦略産業として、育成していくことが求められます。神戸には、コロナ後の新しい都市像と産業振興策を、官民の総力をあげて、議論して、推進していくことが求められます。

 

神戸には、素晴らしい資源や綺麗な街があります。これらを活かしていけば、必ず、神戸は再び活力を取り戻すことができると考えます。そこで、最も重要なのは、神戸で働き、生活する人の神戸の街に対する強い熱意と、想いです。

 

神戸には、かつては素晴らしい経営者や人物がいました。それらの人が神戸の経済や街を支えてきました。神戸には、かつてのような、神戸の街の発展のため尽力する経営者や人物が出てくることが、最大の課題です。

 

神戸を元気にするのは神戸の経済人や市民です。

 

私はコロナ後の神戸のことについて、大きな期待を持っています。

 

神戸の街に、以前のような、優れた人物が出てくることを心から願っています。

 

 

2020.6.17.(水曜日)午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「夏まつりの思い出」

今日も暑い日になりました。

新聞によると、各地では早くも夏まつりが開催されていると記事に出ていました。早いものですね。今年も夏まつりが開催される時期になりました。

 

私が暮らしている川西では、昔は7月になると、近くの神社で夏まつりが開催されました。私の子供の頃は、何か楽しいイベントと言えば、神社で開催される夏まつりだったように思います。

 

私は子供の頃、夏まつりには、母が作ってくれた浴衣を着て近くの神社に行きました。浴衣と下駄が、夏まつりのときの習慣でした。そして、うちわを必ず持って行きました。

 

神社に行くと、夜になると、夜店がたくさん出ていました。私は子供心に、神社の夏まつりに行くとわくわくしたものです。夜店では「金魚すくい」、「輪投げ」などを楽しみました。「ヨーヨー釣り」もありました。

 

夜店の中には、私の大好きな「綿菓子」などがありました。私は、必ず「たい焼き」、「綿菓子」を買って帰りました。金魚すくい」も必ずしました。当時は、自分ですくった金魚は持って帰ることができました。

 

私は自分ですくった赤い金魚をビニールの袋に入れて、家に持って帰って、ガラスの水槽に入れて飼っていました。水槽には水草を入れてやりました。夜店でもらった金魚は、何カ月も生きて、どんどん大きくなっていくのが楽しみでした。

 

私は輪投げが好きでした。輪投げでうまく賞品を取ると、持って帰ることができました。夜店で人気があったのは、射撃ですね。コルクの玉が的に当たると賞品として持って帰ることができました。

 

食べものとしては、綿菓子の他にも、ポップコーンも売っていました。リンゴアメも売っていました。私は、甘いリンゴアメが好きでした。食べながら、家に帰りました。

 

夜店の中には風鈴や、お面を売っているところもありました。私が子供の頃は、夏まつりの夜店は、楽しい広場でした。夏まつりのちょうちんには、ロウソクの灯がつけられていました。

 

夏まつりに行くと、友達もたくさん来ていました。みんなかわいい浴衣を着て、下駄をはいていました。女の子はかわいい浴衣を着て大変楽しそうでした。

 

友達も金魚すくいにヨーヨー釣りに夢中になっていました。私は、自分で釣ったヨーヨーを家に持って帰りました。子供の時はヨーヨーがカラフルできれいと思いました。

 

夏まつりに近くの神社に行くと、夜遅くまで友達と遊びました。暑い夏でも神社の境内に入ると涼しい風が吹いてきて、ちょうどよい夕涼みになりました。神社の境内からはセミの鳴き声が聞こえてきました。

 

夏まつりのときは、神社の周りだけがちょうちんで明るくなっていました。夏まつりには村の人がたくさん来ていました。みんな楽しそうな顔をしていました。大人の人は、お酒を飲んで、赤い顔をしている人もしました。

 

夏まつりの日には、どの家も、ごちそうを作ってくれました。我が家でも、親がごちそうを作ってくれました。そして、必ず、よく冷えたスイカを食べました。

 

今は昔のような夏まつりをすることは少なくなりました。夏まつりを開催しても、私の子どものときのように、いろいろな夜店が出ることはなくなりました。

 

夏の楽しい夜も、今では、なくなってきました。私の子供の頃のような夏まつりが懐かしく思います。夏まつりは夏の風物詩でした。

 

今は昔のようににぎやかな夏まつりが少なくなって、風情がなくなりました。

寂しいですね。

 

以前のようなにぎやかな夏まつりに、もう一度行きたいものですね。

 

 

2020.6.16.(火曜日)午後2時

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【兵庫通信】ー「コロナ後の兵庫の観光振興」

兵庫県でのコロナ感染者は約1カ月もゼロが続いています。

まだまだ第2波、第3波のコロナリスクがあるので決して油断はできませんが、ひとまずは、危機を脱することができました。

 

東京ではまだ多くの感染者がいるので、関西でも再びコロナの第2波がやってくるかもしれません。しかし、各地では、感染者が減ってきたことを踏まえて、コロナ後の経済振興について色々議論されています。

 

その中心となるのは、観光振興です。今回のコロナ危機で、全国の観光客は激減して、地域経済を大変な状況に追い込んでいます。

 

コロナ危機の前までは、インバウンドの増加が、地域経済を支えてきました。インバウンドバブルと言われるほど観光客が増えて、地域経済は潤ってきました。特に大阪、京都はインバウンド客のおかげで大変な効果を上げてきました。

 

ところが、コロナ危機でインバウンド客が激減して、関西の観光業は今大変な不況に追い込まれてしまいました。これからの関西を始めとする地方経済の活性化のためには、やはり観光業をどう立て直すかが最大の課題となります。

 

そこで、コロナ後の観光振興の在り方が今議論されています。いろいろな人の意見を聞いていると、コロナ後の観光振興のカギは、近郊の観光客をどう誘致するかにあるようです。

 

インバウンド客が増えるのはあと2~3年はかかりそうですので、当面は近くの観光客、国内の観光客をどのように誘致していくかがカギを握ると言われています。

 

私はその意見と同じです。日本の観光業は、これまでのインバウンド誘致から、国内観光客誘致に重点を移していくべきだと感じています。

 

特に我が兵庫県の観光振興を考えると、関西周辺の国内の観光客をどのように兵庫県に誘致するかが最大の課題だと思います。

 

兵庫県はインバウンドの誘致では京都、大阪に大きく後れを取りました。インバウンド客の数は、京都、大阪の10分の1ほどしかありませんでした。

 

コロナ問題でインバウンド客が大きく減っていますが、兵庫県は観光面での遅れを取り戻すチャンスだと思います。

 

兵庫県内には多様な観光資源があります。これらの優れた観光資源をうまくPRしていけば、関西から多数の観光客を県内に誘致することができます。

 

大阪や京都と近いというメリットもあります。京都、大阪を訪れた観光客を兵庫県内に誘致すれば、兵庫県は国内有数の観光立県になることができると考えます。

 

兵庫県では5つの国があると言われています。5つの国それぞれに、多様な観光施設や観光資源があります。県内には、国内の観光客を誘致できる可能性が高いものがあると考えます。

 

兵庫県は、コロナ危機を機会に、もう一度「観光立県・兵庫」を目指して官民が一体となって観光振興に取り組んでいくべきだと考えます。

 

今がこれからの観光振興のあり方を考え直すチャンスです。

 

官民の知識と力を合わせて、コロナ後の兵庫県の観光振興に取り組んでいってほしいです。

 

皆さん、「観光立県・兵庫」を目指して頑張りましょう!

 

 

2020.6.15.(月曜日)午前11時45分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【兵庫通信】ー「夏の思い出ー兵庫の風鈴」

今日は、早くも6月中旬です。

暑い日が続いていますが、これからが夏本番ですね。梅雨に入ってこのところ激しい雨が降る日が多くなりました。

 

昨夜も、すごい雨の音がして、目が覚めました。私が子供の頃は、梅雨の雨といえば、しとしとと、糸のような雨が長く続くのが特徴でした。

 

近年は、雨が降ると、バケツをひっくり返したような大雨になります。そのため、各地で洪水が発生しています。洪水は困りますので、雨はざっと降ってすぐにやむのが良いですね。

 

私が子供の頃は、祖母や母はよく、雨が降ると良いねと言っていました。雨が降ると、暑い気温も下がって、過ごしやすくなります。そのため、祖母や母は、梅雨の季節は、雨が降ることを期待していました。

 

夏になると、縁側でよく、夕涼みをしました。雨が降るときも、昔はしとしとした雨だったので、家の中まで雨が入ってくることはありませんでした。

 

そのため、雨の日でも、戸を開きっぱなしにして、外の空気を入れて、夕涼みを楽しんでいました。私の子供の頃は、梅雨の雨はやさしくて、風情があったように思いますね。

 

近年は、日本の気候が激しくなりました。たまに雨が降ると、何十年に一度のような大雨が降って、各地に大きな被害をもたらしています。かつてのような、優しい梅雨の雨はなくなりましたね。

 

私は子供の頃は、雨で外に出ていくことができないときは、縁側に行って遊んでいました。そのときは、縁側の上につるしてあった風鈴の「リーンリーン」という涼しげな音色を聞いて過ごしました。夏になって思い出すのは、風鈴の音色ですね。

 

私が子供の頃は、夏祭りの夜店に行くと必ずカラフルな風鈴が売ってありました。私はよくカラフルな風鈴を買って帰りました。しかし、ガラスの風鈴はあまり音が良くないので、私は風鈴を買うときは必ず青銅の風鈴を買って帰りました。

 

風鈴といえば、兵庫県には有名な風鈴があります。兵庫県の姫路で生産されている「明珍風鈴」です。

 

明珍風鈴は、鉄の火箸で作った風鈴です。その音色があまりにも素晴らしいので有名です。かつてはアメリカの映画にもその風鈴が使われたことがあります。明珍風鈴は作る人が少なくなって、今では親子二人で作っていると聞いています。

 

我が家でも、今も私が買ってきた明珍風鈴がつるしてあります。その音色を聞くと「リーンリーン」と澄んだ音を出して心が癒されます。

 

明珍風鈴は、ネットで買えるようですが、販売するとすぐ完売してしまうようです。価格は火箸の大きさによって変わってきます。安いものでも5000円以上します。

 

大きなものでは1万円以上もします。火箸が大きくなるほど、綺麗な音色がします。

 

姫路で作られる「明珍風鈴」は、兵庫県地場産業として、よく知られています。もともとは、侍の刀を作っていた職人が、武士がいなくなって、代わりに火箸を作るようになったのが始まりと言われています。

 

一本一本昔ながらのやり方で手作りで作っていくため、あまりたくさんは作ることができません。

 

そのため、ネットだけで販売していますが、すぐに売れてしまって、地元の人でもなかなか手に入らないと言われています。

 

私は以前、遠くの知人に、明珍風鈴を贈ったことがあります。そのとき友人から、あまりに綺麗な音色に感動したという連絡がありました。夏といえば、日本では風鈴の音色を楽しむのが昔からの習慣ですね。

 

涼しげな風鈴の音尾を聞くだけで、暑さも吹っ飛ぶように感じます。縁側で、風鈴の音を聞きながら、大きなうちわで風を起こして、暑い夏を過ごすのが日本の夏の過ごし方です。日本人の古い知恵から生まれた文化ですね。

 

今考えても、日本人の知恵と感性はすごいと思いますね。風鈴の音色を聞くだけで、涼しくなりました。必要なのは少しの風だけで、電気も何もいりません。省エネの最たるものですね。

 

最近は若い人は風鈴を見たことがない人が多いと聞きます。風鈴の音色を聞いても、涼しく感じることはないようです。昔のような風情がなくなって、少し寂しく思います。

 

今日は、兵庫の地場産業で有名な明珍風鈴の話をしました。

皆様もぜひ、明珍風鈴の涼しい音色を聞いてください。

 

「リーンリーン」と懐かしい音色を聞くと、熱い体が癒されますよ。

 

明珍風鈴はネットで買うことができます。ぜひ買ってください。

 

 

2020.6.14.(日曜日)午前11時50分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

【兵庫通信】ー「ホタルが飛ぶ季節になりました!」

先日、新聞を読んでいると、我が川西地区で、ゲンジボタルが飛んでいると記事に出ていました。

 

今年も、ホタルが飛び交う季節になりました。早いものですね。暑い夏と言えば、ホタルのことを思い出します。

 

私が子供の頃は、自宅の周囲は田畑や川、野山ばかりでした。夏になると、その田畑や川にホタルを見に行くのが夏の夜の楽しみでした。

 

子供の頃はよくホタル狩りに出かけました。ホタルには、大きなゲンジボタルと、小さなヘイケボタルがいました。私達はゲンジボタルを選んで、とりました。当時は、竹のほうきでホタルをとりました。

 

我が家の近くには、塩川というきれいな川が流れていました。夏になるとその塩川の周辺に、たくさんのホタルがほのかな光をつけながら、あちこちにいっぱい飛んでいました。

 

塩川のそばの畑ではホタルが乱舞していました。そのときの光景は、子供の目にも、きれいで感動しました。

 

私は、竹ぼうきでゲンジボタルをとって、虫かごに入れて、家に持って帰りました。家に持って帰ると、家の中につった蚊帳の中にホタルを離しました。

 

電気を消していると、ホタルが蚊帳の中で飛び回る光景が見えました。私はホタルがほのかな光をともすのを見ながら、横になって眠っていました。

 

当時は、テレビも何もありませんので、夜になっても何もすることがありませんでした。そのため、夏になると、暗くなるのを待って、ホタル狩りに出かけるのが唯一の楽しみでした。

 

ホタルがよく出る塩川や畑の近くに行くと、近所の人がたくさんホタル狩りに来ていました。ホタルの数はいっぱいいるので、ホタルは何の苦労もなくたくさんとれました。

 

私は小さいヘイケボタルは、逃がしてやり、ゲンジボタルだけを虫かごに入れて、家に持って帰りました。

 

虫かごに入れたホタルには、畑でとってきた水草を入れて、そして少し、水をかけてやりました。ホタルは虫かごの中でも、「チカチカチカ」とお尻で光を飛ばしていました。

 

私の子供の頃は、外に出かければどこでもホタルを見ることができました。田畑や、小川の周辺に行けば、ホタルが乱舞している光景が見えました。

 

当時は、自然が豊かで、ホタルもたくさん飛んでいました。しかし、私が社会人になった頃は、ホタルを見なくなりました。それだけ自然環境が悪くなっているせいだと思います。

 

しかし、近年は私の住む川西地区でも、ホタルをたくさん見ることができるようになったようです。以前に比べると、自然環境も改善してきたせいだと言われています。

 

塩川の水は、随分ときれいになりました。そのため、ホタルもまた昔のように見ることができます。

 

そうは言っても、私の子供のときのように、ホタルがあちこちで乱舞するようなことはありません。私の子供の頃は、夏と言えばホテルが本当にたくさん飛んでいました。ホタルの乱舞する光景は夏の風物詩でした。

 

残念ながら、昔は自宅の周辺でも見られたホタルの姿は、今はありません。ホタルを見ようと思うと、川西でも能勢の山奥の方まで行く必要があります。

 

川西の能勢の方に行けば、今も昔のようなホタルの姿を見ることができるようです。能勢に住んでいる私の友人からも、夏になると、ホタルを見に出かけているというメールが届くことがあります。

 

私が住む団地は、昔は山でした。その周りは田畑ばかりでした。そしてたくさんの小川が流れていました。田畑や小川の周りでは、ホタルが夏にはいっぱい飛んでいました。

 

残念ながら、今では自宅の周囲でホタルを見ることはできません。ホタルを見ようと思うと、猪名川や、その支流の塩川の近くまで行く必要があります。

 

私はここ数年はホタルを見たことがありません。また、子どもの頃に見たホタルが飛ぶ光景を見たいものですね。

 

今年もホタルが飛ぶ季節になりました。今年も、夏らしくなってきました。

 

「ホーホーホタルこい。

 こっちの水は甘いぞ。

 ホタルこっちへこいこい!!」

 

 

2020.6.13.(土曜日)午後12時10分

里山 歩樹 (藪野 正昭)