神戸の観光地「北野」の街では、クリスマスが近づいて、クリスマスの装飾がきれいに輝いているようです。
私は北野の街づくりには、特別の思い出があります。北野地区は、NHKの朝ドラ「風見鶏」の舞台になったことから、いちやく神戸の代表的な一大観光地となり、全国から異人館目当てに多くの人が訪れるようになりました。
北野は神戸港の開港により、海外から神戸に来た外国人が住む街として整備されたようです。街の中にはたくさんの異人館が建てられ、映画の放映がされる頃でもレトロな異人館が残っていました。
また、その異人館には当時、まだ外国人が住んでいました。そのため、北野地区は外国の人がたくさん生活している街でした。国際色豊かなエキゾチックな街の雰囲気が残っていました。北野が観光地として注目されるようになってから、行政も北野の街の整備に取り組むことになりました。
このため、北野の若いリーダーが集まって、これからの北野の街づくりのあり方を検討する研究会を立ち上げました。私は北野の若いリーダーから是非にと誘われ、その研究会に参加することになりました。
研究会に行くと、20人位の人が参加していました。このメンバーの中に、建築家の安藤忠雄さんがいました。安藤さんは、当時はまだ今のように有名ではありませんでした。
研究会に参加して、研究会の座長から意見を求められた私は、北野の街は観光地ではなくて、神戸らしいブティック、カフェ、レストランが軒を連ねる商業地として整備すべきという提案をしました。さらに、神戸はファッション都市だがおしゃれを楽しむ場がないので、北野はおしゃれを楽しむ社交の場として整備すべきとの意見を述べました。
さらに、その上に神戸の街は夜が早く、社交の場がないので、北野を夜の社交の場としてはどうかと主張しました。私の意見の中心は、北野を単に観光の地ではなく、商業・文化の情報発信拠点として整備すべきとの意見でした。
北野には北野倶楽部という有名な社交クラブがあり、映画の撮影の場としてよく知られていました。私は北野の街全体を、北野倶楽部のような社交場として整備したいと考えていました。北野倶楽部は、今もファッションショー等が開催される場として多くの人が訪れています。
今考えると、後に世界的な建築家になる安藤さんの前でよく言いたいことを言ったものだと、今更ながら恥ずかしく思います。安藤さんは私の意見に賛同して、北野の街を商業・文化の夜の情報発信の場として整備するというのはいい案です、と言ってくれたと思います。
残念なことですが、一時は異人館目当てに神戸にも大勢訪れていましたが、その後は市内の人もあまり北野に行きません。また、インバウンドの人はあまり興味がないので、訪問者が少なくなっています。
北野に内外の人が集まる方策を検討して、かつての賑わいを取り戻してもらいたいものです。
皆様、どうぞ北野を訪問してください。
2019.12.8(日曜日)午後4時 里山 歩樹(藪野 正昭)