ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】ー「キャンプイン」

今年も、プロ野球のキャンプインが始まりました。

プロ野球の各球団は気候があたたかい沖縄や九州で、キャンプを始めています。

 

連日、新聞やテレビなどで、キャンプでの各球団の監督や選手の様子が報道されています。キャンプが始まると、また、毎日野球を観て、楽しむことができます。なんとなく心がうきうきしますね。

 

私は子供の頃から、野球が大好きで、プロ野球のテレビ中継を毎日のように観て楽しんでいました。私の子供の頃は、テレビで野球と相撲を観るのが最大の楽しみでした。

 

私は「大鵬、巨人、卵焼き」の時代に育ちました。プロ野球といえば、巨人でした。中でも、長嶋選手の大ファンでした。

 

私は、長嶋選手にあこがれていました。テレビで野球を観ているときも、長嶋選手のプレーだけを観ていました。巨人が負けても、長嶋選手が活躍すれば、それで満足でした。

 

私は長嶋選手にあこがれ、自分もプロ野球の選手になりたいと考えている時期がありました。そのため、私はよく、バットを持って、素振りの練習をくり返していまいた。1日に200回~300回バットの素振りをしていたことがあります。

 

私の子供の頃の遊びといえば草野球でした。自宅の近くの広場で、友達とよく草野球をして遊びました。友達もみんな長嶋選手のファンでした。そのため、友達はみんな、三塁を守りたがりました。

 

当時はグラブもない時代でしたが、みんな手でボールを受けて、遊んでいました。広場でキャッチボールをすると、よく、暴投をして、ボールを草むらの中に入れてしまって、ボールを探すのに苦労した記憶があります。

 

プロ野球のテレビ放映があるときは、かならずテレビの前に集まって巨人と長嶋選手を応援しました。

 

今年も、キャンプが終わるとすぐに、プロ野球のテレビ放映が始まります。これから秋までは、毎日テレビで野球を観ることができると思うと、うきうきしますね。

 

私は子供の頃は巨人のファンでしたが、長嶋さんが引退してからは、パリーグや、地方に拠点を置くチームを応援するようになりました。

 

残念なのは、かつてのONのようなスーパースターがいないことですね。近年は野球を観戦しても、名前もよく知らない選手ばかりです。以前のようにうきうきした気分で野球のテレビ放送を観ることがなくなりました。

 

私の子供の頃にくらべると、間違いなくプロ野球のレベルは向上していると思います。プロ野球の選手はみんな体格がよくなって、パワーもスピードもあります。

 

聞くところによると日本の野球のレベルは、世界一だとのこと。アメリカを抜いて、日本の野球がNO1だと聞くと、うれしくなりますね。今年の東京オリンピックでも、金メダルが期待されているようです。

 

私がプロ野球で今も忘れられないのは、25年前の大震災のときにオリックスが「がんばろうKOBE」のマークをつけてプレーして、優勝したことです。

 

震災で、神戸全体が沈んでいたときに、神戸市民に勇気を与えてくれました。あのときは本当にうれしかったです。神戸では、優勝パレードを行いました。

 

仰木監督イチロー選手がオープンカーに乗って、神戸のフラワーロードや、都心のメインロードをパレードしてもらいました。このときには、神戸市民が大勢集まってきて、神戸がひさびさに盛り上がりました。

 

オリックスは残念ながら本拠地を大阪に移しましたが、また、オリックスが優勝して、阪神と日本一のシリーズ決戦をしてもらいたいと考えます。

 

キャンプインのときは、夢がどんどんふくらみますね。

オリックス阪神、ガンバレー!!

 

 

2020.2.4.(火曜日)午後2時56分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「豆まき」

今日は節分の日。

各地では、豆まきの行事が行われて多くの人が訪れているようです。豆まきは、鬼を払って無病息災を願う行事です。

 

私はなぜ豆をまくのか、子供の頃からわからずにおりましたが、今日の新聞の記事を読んでやっとわかりました。豆まきは種まきのことのようです。

 

昔は、農業をする場合、いつの時期に種をまくかが大きな問題だったようで、そして、その種まきの時期を、人々に知らせるために、豆まきをしたようです。

 

豆まきが始まると、畑に種をまく時期だと、農家の人々に知らせる役割があったようですが、豆をまく節分の時期がくると、もうすぐ春がやってきます。春が近いことを知らせるのが節分だったようですね。今頃はじめて知りました。

 

それともうひとつ、はじめて知ったのは豆をまくとき一般には、「鬼は外、福は内」と呼びますが、地域によっては「鬼も内、福も内」と言うところがあるようですね。

 

鬼とも仲よくして、健康に暮らしましょうということのようです。いかにも日本人らしい発想ですね。

 

今、よくわからないのは、なぜイワシを食べるかです。なぜ節分の時期になるとイワシを食べるか、いまだによくわかりません。私はイワシが好きなので、節分のとき食べるイワシがおいしかったことを思い出します。

 

近年は、恵方巻を食べるようになっていますが、これも、どういう意味があるのかよくわかりません。恵方巻を、その年の恵方を向いて食べるとよいことがあると言われていますが、意味がよくわかりませんね。

 

一般では、すし業界のセールスプロモーションとして、恵方巻を節分の日に食べることを始めたようです。すし業界の思惑がわかっていても、恵方巻を食べるとよいことがあると言われると、気になって、恵方巻を食べたくなるのが日本人の人情ですね。

 

私は現役のとき、事務所にあった料理店が節分の時期になると、恵方巻の注文を取りにきたときに、仕事上のつきあいから、いつも恵方巻を何本か買って帰りました。その料理店は東京の「つきぢ田村」です。東京では有名な老舗の料理店でした。

 

さすがに有名な料理店がつくる巻きずしは、豪華でした。巻きずしは太くて重かった記憶があります。巻きずしの中には、豪華な材料が入っていました。あまり豪華なので、一人でまる1本食べることはできませんでした。

 

一本の値段もけっこう高かった記憶があります。家に持って帰ると、家族全員で、半分に切って食べました。

 

近年は、恵方巻の時は食品ロスが大きな問題になっていると聞きます。節分を祝うのはいいですが、やりすぎはよくありませんね。

 

これからは節分の意味を思い出して、静かに、豆を巻いて、いわしを食べましょう。

恵方巻も、残さないように頂きましょう。

 

 

2020.2.3.(月曜日) 午後12時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【神戸通信】ー「東京一極集中」

昨日の新聞を読むと、兵庫県の人口がまた、大幅に減少したと伝えていました。

兵庫県の人口減少はここ数年続いています。約7000人もの人口が1年間で減ったとのこと。

 

その多くは、隣の大阪に移動した人が多いと伝えられています。兵庫県・神戸の人口減は毎年のことで、今では驚かなくなりましたが、このままいくと、一体どこまで人口が減るのか不安になりますね。

 

おそらく兵庫県の人口減の多くは、兵庫県最大の都市・神戸の人口減が大きく影響していると考えます。県の中でも、尼崎市伊丹市などの大阪に近いところは人口がわずかながら増えています。

 

私は、兵庫県の人がなぜ大阪に流れるのかよくわかりません。兵庫県は関西で最大の面積を有し、自然に恵まれた、豊かな県です。それが、なぜか大阪に人が流れています。

 

その最大の要因は、大阪には働く場所がたくさんあるからだと思われます。兵庫・神戸は25年前の大震災の後遺症で、経済が停滞しています。

 

このため、すぐれた企業が、大阪や東京に出ていき、働く場が少なくなったので、若い人が、働く場所を求めて、大阪や東京に出ているようです。

 

昨日の記事で、私がもっとも驚いたのは、東京を中心とする首都圏の人口が1年間で14万人以上も増えたことです。

 

新聞の記事を読むと、首都圏では、昨年の1年間で、14万人以上も人口が増えています。一方、関西圏をはじめ中部圏、九州圏など全国の都市の人口は減って、東京一極集中がますます進んでいることが明確になっています。

 

このまま進めば、日本は東京圏だけが肥大化した、いびつな国土構造となってしまいます。単純に計算すると、10年間で140万人以上の人口が、首都圏で増加することになります。140万人といえば、今の神戸市の人口に匹敵します。

 

わずか10年で、神戸市と同じ規模の都市が首都圏に新たに誕生することにななります。逆にこれだけの人口が地方から、減っていくことになります。

 

東京一極集中阻止が叫ばれてから、久しいですが、現実は一極集中がますます加速しているようです。このままいけば東京の肥大化が進み、東京で何か大災害があれば、何もかも東京に集中した日本は壊滅してしまうおそれがあります。

 

政治家や関係者の人はこの現実をどのように考えているのでしょうか。今大きな問題になっている新型肺炎でも、もし、東京で発生したら、どうするつもりですか。

 

日本では東京大地震の経験もあります。いつまた東京圏で大震災が発生するかわかりません。そのときのことを考えると、国の中枢機能を全国に分散しておくべきでしょう。

 

日本の人口は全国的には減っていき、いずれは人口が1億人を切ることが明らかになっています。そのような傾向の中で、さらに東京一極集中を進める。何かことがあると大変なことになります。

 

時代は、都市化の時代から、地方や自然ゆたかな地域に重点を置く時代に移っています。もうこれ以上、大企業などの東京集中を進めるべきではありません。

 

日本は高度成長期のときに日本列島改造論が叫ばれ、工場などを地方に移転する対策が実施されたことがあります。

 

もう一度、大企業や大学などの機能を全国に誘導する政策を進めるべきではないでしょうか。そうすることが日本の安全保障上かからも必要なことだと考えます。

 

それにしても、兵庫県がなぜこんなに多くの人が減るのかよく理解できません。そこで、思い出すのは、先般の新聞で、神戸では事業所数がピークのときにくらべると約2割も減少しているとのことです。びっくりしました。

 

大震災があったとはいえ、2割もの減少とはただごとではありません。2割といえば1万以上事業所が減ったことになります。

 

事業所の減少数は人口の減少数より大きいものがあります。これでは、経済力が低下するのも当然です。兵庫・神戸の人口減の最大の要因は経済力の低下にあります。

 

兵庫県では、ベンチャー企業、スタートアップ企業を誘致し、新産業を創出して、経済の活性化に全力で取り組む必要があります。

 

兵庫・神戸、ガンバレー!!

 

2020.2.2.午後12時10分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「さっぽろ雪まつり」

北海道札幌では、恒例の雪まつりが始まりました。

今年は、温暖化の影響で、北海道でも雪が少なくて、開催が危ぶまれていましたが、なんとか北海道全道から雪をかき集めて、開催することができるようです。

 

私は、現役のときはよく、札幌に会議があるときに、雪まつりを見学に行ったことがあります。私は、雪まつりが開催される時期に札幌で仕事ができると、喜んで出掛けたものです。

 

私は寒がりで、雪はすべるのが怖くて、あまり雪の多いところには行きたくなかったものですが、札幌の雪まつりのときだけは、札幌に出かけるのが楽しみでした。私がはじめて、雪まつりを見たときは、そのスケールの大きさに驚きました。

 

びっくりするような大きな雪像が、札幌の市の中に、たくさんつくられていました。その見事さと大きさに私は圧倒されました。寒いのを忘れて、いつまでも雪像の周りを歩いて、見物していました。

 

あまりの見事さに、私は寒いのを忘れていました。こんな大きな像が雪でつくれるとは、びっくりです。まるで芸術品でした。雪像の多くは、自衛隊の人が、雪を集めてきてつくったとも聞いて、びっくりしました。

 

雪まつりのときに国内ももちろん、海外からも多くの観光客が訪れていました。海外の観光客の人は、雪像のあまりの大きさと、見事さに、驚いていました。

 

この時期、札幌では、観光客がたくさん訪れて、どこのホテルも満室でした。なかなかホテルが取れなくて、困った記憶があります。雪まつりの時期には、札幌市内ではいろいろな催しが開催されていました。

 

私が特に驚いたのは、市内のあちこちに、氷の彫刻が飾られていることでした。大きな氷のかたまりの中に、きれいな魚が入れられていました。魚はまるで、生きているようで、今にも動き出しそうでした。

 

その時期、札幌以外でも、雪を使ったいろいろなイベントが開催されていました。特に、真駒内では、びっくりするような大きなすべり台が、雪でつくられていて、大勢の子供たちがそのすべり台で喜んで遊んでいました。

 

北海道はすべてがスケールが大きく感じました。やはり、北海道は雄大でした。札幌の街も、若い人があふれてにぎやかでした。

 

札幌は食べるものもおいしい街です。私は、カニ料理の有名なレストランにカニを食べに行きましたが、出てきたカニの大きさに驚きました。タラバガニでは、太くて、長いタラバガニの味は、私がときどき神戸で食べるカニの味とは違っていました。

 

私はそのボリュームの大きさにびっくりしました。カニだけで、お腹がいっぱいになりました。北海道は何でもスケールが大きいと感心しました。

 

札幌の雪まつりは、世界でもまねできない、素晴らしい雪まつりだと感じました。私は、札幌の街は、これからどんどんと世界から観光客が集まって、発展すると実感しました。

 

その通り、近年は、日本の都市の中では、札幌と、福岡が世界からインバウンドが集まって、元気な都市として、注目されているとある記事に書いてありました。

 

これを読むと、人口減と観光客の伸び悩みが大きな問題となっている兵庫・神戸のことが、心配になります。神戸でも、六甲山で冬の時期は氷の彫刻の像の祭典が開催されていますが、あまり知られていません。

 

もっともっと大きなイベントに発展させて、内外にアピールしてほしいですね。

六甲山で雪と氷を使ったイベントがもっと可能なように考えます。

 

皆様は、どのようにお考えですか。

 

 

2020.2.1.(土曜日) 午後12時25分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

 

【神戸通信】ー「蔵開き」

今年も、日本酒の蔵開きの時期になりました。

各地の日本酒の酒蔵では、新酒の出荷を始める蔵開きが行われていると、新聞で伝えています。神戸は日本一の酒どころです。

 

日本酒の約3割は神戸と西宮の間にある、灘五郷で生産されています。この時期になると、どこの酒蔵でも、蔵開きが行われて、来訪客にはその日しぼった、しぼりたての日本酒を振る舞ってくれます。

 

朝採りの酒は、加熱していないお酒なので味わいがまろやかで、普段のお酒とは違ったおいしさがあります。しぼりたてのお酒は飲みやすいので、いくらでも飲むことができるように感じます。

 

しかし、飲み過ぎると、思った以上にアルコール度数があるので、ふらふらと千鳥足になることがあるので、気をつける必要があります。

 

私は仕事で以前は灘の酒造会社によく行きました。そこで、しぼりたての日本酒を頂いたことがありますが、あまりアルコールに強くない私でも、しぼりたての日本酒はおいしいので、思わずおかわりをお願いしてしまいました。

 

日本酒は、これまで、酒離れやワインなどのアルコールに押されて、減少が続いてきました。しかし近年は、和食ブームで、海外でも日本酒を飲む人が増えてきています。

 

このため、日本酒の輸出が増えてきて、日本酒の減少に歯止めがかかってきたと聞きます。また、酒造メーカーも経営者の代替わりが進み、若い人が社長になって、新しい感覚で経営をやり、日本酒の新しい飲み方や楽しみ方を提案しています。

 

このため、日本酒に対する意識も、ワインのように、日本酒を楽しむ文化がじわじわ生まれてきているようです。日本酒のボトルのラベルのデザインもきれいなものが増えてきました。

 

日本酒を、ワイングラスで飲む人も増えてきています。特に、注目されるのが、日本酒の酒メーカーが、海外に出ていき、海外で日本酒を製造して販売するところが出てきたことです。

 

先般の記事では、ワインの本場のフランスで、兵庫県の酒メーカーが現地で日本酒を生産販売するところが出てきて、フランスで注目されているようです。

 

日本酒をつくる酒米は日本から持って行き、そこの水を使って日本人の蔵人が行って、生産するようです。現地で生産すると関税がかからないので、日本酒の価格を抑えられるので、販売量が増えることが期待されているようです。

 

神戸は日本一の酒どころ。神戸から西宮までの間には、5つの郷があり、その中には全国的に有名な清酒メーカーや、老舗の清酒メーカーが軒を連ねています。

 

「灘五郷」と言われている地域では、六甲山からのわき水宮水」と、兵庫県でつくられた最高の酒米山田錦」を使って、おいしい灘の清酒を生産して、販売しています。

 

もっとも古い酒蔵は、「剣菱」です。創業500年以上と言われています。剣菱は、全国の日本酒通の人に飲まれています。また、白鶴、菊正宗、沢の鶴も、よく知られています。

 

この間、新聞を見ていると、沢の鶴では、25年前の大震災のときに仕込んだ日本酒を、25年間、保存していた「古酒」を、限定販売すると出ていました。

 

日本酒はつくりたての新酒がおいしいと言われますが、日本酒には何年も寝かした「古酒」もあります。「古酒」はブランデーのような琥珀色をしています。飲むとこくがあり、まるでブランデーを飲んだように感じます。

 

日本酒は様々な楽しみ方ができます。

ワインのように世界に輸出されて、日本の清酒文化を世界に知らせてもらいたいですね。

 

 

2020.1.31.(金曜日)12時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

【日常通信】ー「定期健診」

今日は、2カ月に1回の定期健診の日でした。

病院に出かけるために玄関を出ると、玄関の庭の隅の鉢植えに植えている小さな梅の木に白い花のつぼみが3つほど出て見えました。

 

この梅の木は10数年前に、正月の松竹梅の盆栽にあった小さな梅の木を庭の植木鉢に植え替えしたものでした。私は植木鉢に植え直したとき、その梅の木は10cm程度の小さな木でした。

 

その小さな梅の木がいつのまにか大きくなって、近年は梅が実をつけることもあります。今日、ひさしぶりにその梅の木を見ると、白い小さな花が咲いていました。今年も梅の花が咲くような季節になったと感じました。

 

今年は温暖化の影響でいたるところで異変が発生していると聞きます。東京では4月並みにあたたかくなっているとのこと。

 

沖縄では、桜がはやくも開花しているとのことです。温暖化で、野菜が育ちすぎて、安くなって農家の人は困っているようです。農家の人は「豊作貧乏」と言っています。

 

病院に行くと、病院の入り口から中に入ると、消毒液が置いてありました。マスクも、置いてありました。新型肺炎対策です。病院に来た患者さんは、みんな消毒液で手を洗い、マスクをつけていました。

 

私も消毒液をたっぷり手につけて、マスクをかけました。いつもより、患者さんの人数も少ないように感じました。そのためか、今日は、あまり待つこともなく、主治医の診察を受けることができました。

 

2カ月ぶりの定期健診でした。血圧なども、異常ありませんでした。主治医の先生の話では、今は新型肺炎に加えて、インフルエンザも流行っているので、気をつけてくださいとのことでした。

 

病院の入り口のカウンターの上には、きれいな花が植えられてありました。赤い花と白い花がきれいでした。白い花は、シクラメンだと家内が言っていました。今年はあたたかいので、春に咲く花も大きく育っているようですね。

 

車で帰る途中、団地の住宅の垣根を見ると、サザンカの赤い花が、あちこちで咲いていました。これから、さらにあたたかくなると、いろいろな春の花がきれいな花を咲かせることでしょう。楽しみです。

 

今日の健康診断が終わると、薬局店に行って、薬を注文してきました。薬は2か月分ですので、けっこうな量になります。

 

次回の健診の日は、3月26日の木曜日です。

それまでには、新型肺炎が収まっていることを期待します。

 

2020.1.30.(木曜日)午後12時25分

里山 歩樹

 

【日常通信】ー「ふるさとの電車」

私は、川西の田舎で育ちました。

あるのは野山と田畑ばかりです。このため、電車は、川西能勢口から妙見山に行く能勢電車でした。

 

能勢電鉄は、妙見山にお参りに行く人のためにつくられた電車でした。このため、電車が走るのは1時間に1本か2本です。車両は一両で単線でした。

 

私の自宅の近くには平野駅がありましたが、駅に立っているのは、ほったて小屋のような建物だけ。改札口はありませんでした。切符も、車両に入ってから、車掌が来て切符を買いました。

 

車掌は大きながま口のカバンを首からかけて、そのカバンの中から切符を出して、売ってくれました。切符を売った代金をカバンの中に入れていました。

 

その頃の電車はすべて手動でした。電車のドアを開けたり閉めたりするのも、乗客が手で開閉していました。もちろん車両には、今のような空調なんかありません。このため、冬は寒くて困りました。夏は窓を開けっぱなしにしていました。

 

電車は、田畑の中を走っていました。線路の中には誰でも入ることができました。私は学校の行き帰りには能勢電鉄の線路の中を歩いていました。誰も文句は言いません。その頃はほんとに、おおらかな時代でした。

 

私は、すぐそばを電車が通るのを見るのが楽しみでした。私が線路のそばから手を振ると、乗客の中には手を振ってくれる人がいました。

 

能勢電車は田畑の中を通っていくと山のあいだを通るようになります。山あいの林の中を、電車は妙見山を目指して走っていきます。電車の窓から手を出すと、林の木の枝に手が届きそうでした。

 

その山を抜けると、能勢の里山が見えてきました。妙見山に近づくとどんどん山が深くなっていきました。その山を抜けると、能勢の里山が見えてきました。妙見山に近づくと、また、田畑が広がってきました。棚田が広がって、心休まる風景です。

 

棚田が広がる景色を見ると、子供の頃のなつかしい風景が広がっていました。能勢電車は、昔の時代に私を連れて行ってくれるタイムマシーンのようでした。

 

能勢電車は私の自宅のすぐそばを走っていました。電車が近づくと音がして、電車が来ることがわかります。私は電車の音を聞いてから、急いで家を出て、駅へ走っていきました。

 

乗り過ごすと、しばらくは電車が来ないので大変です。私は手を挙げながら、「待って!」とさけびながら駅まで走っていきました。

 

運転手は、私の姿を見つけると、私が来るまで待ってくれました。誠にのどかな時代でした。運転手も、車掌も、みんな顔なじみでした。

 

能勢電車は今は阪急電車の子会社となっています。このため、今の能勢電鉄の車両は阪急電車の車両と同じ。今は5両か6両編成となり、便利になりました。

 

今は5分~10分ごとに電車が来ます。駅もずいぶん立派になりました。私が子供の頃の駅とは大違いです。エレベーターもついています。便利になりました。

 

今では周辺の地域で大規模な団地が開発されて、乗客はどんどん増えています。朝は、ラッシュアワー時には、人がいっぱいです。能勢電鉄は、団地の住民の足として、なくてはならない電車となっています。

 

川西も、ずいぶんと大きな町になりました。街が発展するのはうれしいことですが、私はときどき子供の頃の能勢電車のことをなつかしく思い出します。

 

本当に、あの頃は、時間がゆったりと流れている時代で、おおらかな時代でした。

なつかしい思い出です。

 

2020.1.29.(水曜日)午前11時20分

里山 歩樹 (藪野 正昭)