ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【兵庫通信】―大震災の記憶

今日は、寒い日です。

 

あの日も寒い日でした。予想もしなかった大震災が発生した日でし

た。兵庫県地震が起こるなんて夢にも考えませんでした。このブ

ログでも何度か書きましたが、あれから21年も経ったことが信じ

られません。当時の事が走馬灯のように思い出されます。つらい日

でした。

 

その日は、私は、交通手段が全て止まって家から出る事が出来ませ

んでした。神戸の事務所には、歩いて二日目に行きました。電車が

止まって仕方がなかったとは言え、震災の直後に直ぐに神戸に行け

なかった事がいつまでも私の心に引っかかっています。

 

神戸に行くのが一日、遅れたことが悔やまれてなりません。今でも

すぐに神戸に駆けつける方法がなかったのかと自問する事がありま

す。その日に事務所に駆けつけた職員の皆さんに申し訳ない気持ち

で一杯です。

 

私は震災の翌日に事務所に行くと、まず、職員の安否確認を始めま

した。職員一人一人に電話をかけようとしましたが、事務所の電話

は不通でした。当時は、携帯電話は普及していません。公衆電話だ

けが通じました。事務所の近くの公衆電話でコインを入れながら、

コインが続く限り、電話をかけつづけました。幸い職員は全員無事

でしたが、家族を亡くしたり、家が倒壊したりした職員がいました。

 

事務所にいても電気、水などのライフラインは全部止まっています。

電気も空調も水道もトイレも使えません。勿論、エレベーター、パ

ソコン等全部使えません。近代的なビルも完全に機能マヒです。私

は慌てました。どうしたらよいか分かりませんでした。あんなに快

適で便利なビルも電気が止まると、完全に機能がストップしてしま

います。

 

近代的なビルがこんなにもろいものとは予想もしませんでした。い

くら建物が立派でも電気がないと何も出来ません。この時、初めて、

私達は沙上の楼閣にいるのだと気がつきましたと。いくら頑丈なビ

ルやマンションでもひとたび電気が止まれば動きとれません。陸の

孤島にいるのと同じです。近代的な建物や都市が災害にいかに弱い

か身に染みて思い知らされました。

 

便利で効率的な装置や機器もライフラインがひとたび止まると何も

役にも立ちません。効率で便利な現代社会は砂の上に建った建物の

ような者です。ひとたび災害の波が押し寄せるとたちまち流されて

しまうもろい社会です。私達は21年前の震災で現代社会の脆弱性

を目の当たりにしました。私は、その時から高層の建物やマンショ

ンが怖くなりました。エレベーターが止まれば孤立してしまいます。

 

震災2日目の夜は帰ることが出来ないので、仕方なく、事務所に併

設したホテルに泊まることにしました。ホテルも電気も空調も止まっ

て休業しています。私は開いている部屋で泊めてもらう事にしまし

た。エレベーターが使えないので8階の部屋まで非常階段で上がっ

ていきました。ドアが開く部屋に泊まることにしました。

 

電気がないので部屋は夜になると真っ暗です。トイレもバスも使え

ません。空調のないので寒くてたまりません。それでもベッドだけ

は使えます。布団もありました。部屋はいつでも逃げ出せるように

ドアを開けて寝ました。

 

余震が絶えずやってきました。ミシミシと建物がきしむ音がします。

8階はよく揺れました。外からは救急車や消防車のサイレンの音が

聞こえてきました。サイレンが鳴り響いて気になって仕方ありませ

ん。当日は川西の自宅から重い荷物を背負って長時間歩いてきたの

で、疲れ切っていました。防寒具を着たままに布団を被ってベッド

に横になると寒い事も忘れて寝込んでしまいました。目が覚めたら

朝でした。

 

目が覚めたら寒くて震えました。朝の食事は家から持ってきたおに

ぎりでした。冷たくなっていましたが美味しかったです。家内が作っ

てくれたおにぎりでした。おにぎりがこんなにおいしいとは思いま

せんでした。家内に感謝です。暑いお茶が欲しいと思いました。水

道の水が出ないので、昨日買っておいた缶コーヒーを飲みました。

 

毎年、1月17日になるとあの日の事を思い出します。

 

つらい記憶です。

 

「震災 忘れることなく 伝えよう 歩樹」

 

2016.1.17. 里山 歩樹