ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「東北の復興」

東北大震災から9年が経ちます。

3月11日にはちょうど9年目にあたります。ついこの間の出来事と思っていたら、もう9年も経ちました。

 

東北の現状は、復興は進んでいるようですが、まだまだ完全復興には遠いようです。いまだに多くの人が行方不明になっていると聞きます。

 

9年前の大震災のときは、私は自宅にいました。テレビで大津波の映像を見て、驚きました。あんなおそろしい映像を見るのは初めてでした。

 

テレビで見ていても、あまりにすごい状況を見て、体が震えました。あのとき息子が仙台の大学にいましたので心配で心配で、いても立ってもいられませんでした。

 

携帯電話をかけても、連絡が取れません。パソコンのメールでも連絡が取れません。私はてっきり震災に巻き込まれたのではないかと、悪いことばかりを考えて一日を過ごしていました。

 

私は、25年前の阪神淡路大震災で大震災の怖さを体験していましたので、東北のことが心配でなりませんでした。東北大震災は地震津波に加えて、原発事故が重なり、日本初めての国難でした。

 

幸い息子は、なんとか無事に自宅に帰ってきましたが、大学の研究所が壊れて、研究していたすべてのデータが使えなくなったと嘆いていました。

 

それでもなんとか無事に帰ってきてくれたので、ほっとしました。東北の人は、聞くところによると、神戸の復興への取り組みを参考にしているとのことです。

 

東北の人が神戸を目標にされる気持ちは理解できますが、震災当時から、神戸に勤めていて、復興の推移を見てきた私としては、東北もこれからが大変だと思います。

 

神戸も、大震災直度から3年ぐらいまでは、全国からの支援と復興需要で、経済の復旧復興は、急ピッチで進みましたが、3年目ごろからは復旧復興需要も減少して、経済の停滞が続きました。

 

ハード面では復旧復興は進みましたが、産業経済力の衰退が長く続きました。神戸は震災後の25年間で時代の変化から完全に取り残されました。震災後の25年間は、産業経済面から見ると、失われた25年でした。

 

この間、時代は情報化とグローバル化が急速に進みました。しかし、残念ながら、神戸はハードの復旧復興で精一杯で、産業の復旧復興・活性化は、できませんでした。

 

神戸の産業経済構造は、古い産業構造のままでした。そのため、神戸経済は、全国の都市の経済発展から大きく後れを取りました。

 

神戸の経済力は、震災前と比べると著しく低下しました。このため、人口も、福岡、川崎に抜かれました。

 

私は神戸の経験から言いたいのは、東北では、神戸の経済状況をよく踏まえて、ハードだけでなく、産業の復興、活性化に官民挙げて全力で取り組むべきです。

 

東北復興はこれから、どのようにして産業・経済の復興、活性化に取り組んでいくかにかかっていると考えます。ハードが完全復旧しても、産業の振興、発展ができないと東北の復興は、できません。

 

東北が完全に復興できるかどうかは、これからの時代に適応した産業を育てることができるかどうかにかかっていると思います。

 

それと東北は、原発依存からいち早く完全に抜け出して、再生エネルギーの開発を進め、新しい産業の創造に取り組んでほしいですね。

 

東北大震災で、私たちは原発のおそろしさを実感しました。日本が東北の経験を踏まえて一刻も早く、原発を全廃すべきだと考えます。

 

東北で、原発に依存しない経済社会の実現を図ってほしいと考えます。東北でこれからの日本の国づくりの見本になるような取り組みが行われることを心から望みます。

 

日本は一刻も早く原発全廃を図るべきです。

その先頭を東北が走ってくれることを、心から期待します。

 

 

東北ガンバレー!!

 

2020.3.5.(木曜日)午後2時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)