ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「タケノコとエンドウ豆」

昨日の夕食でなつかしいものを食べました。

私が子供の頃から大好きな食べ物でした。毎年、春になると、よく母が作ってくれたものです。

 

昨日、家内が「タケノコごはん」と「エンドウ豆と高野豆腐を卵でとじたもの」を作ってくれました。私は子供の頃から母が作ってくれる「タケノコごはん」が大好きでした。

 

タケノコは、自宅から30分ほど行った里山の中の竹やぶに生えたタケノコです。我が家の里山のそばに竹やぶがありました。そこでは、春になると、太い立派なタケノコがたくさんとれました。

 

我が家の竹やぶは、谷川のそばの砂地にありましたので、春になると、竹やぶのあちこちにたくさんのタケノコが芽を出しました。タケノコはしばらくほっておくと、すぐに竹になってしまいます。

 

そのままほっておくと、竹やぶには新しい竹がいっぱい育って、太い竹だらけになってしまいます。そのため、私は5月近くになると2~3日に一回は竹やぶに、タケノコをとりにいきました。

 

タケノコは竹やぶのあちこちにたくさんありました。全部とると25本以上にもなります。タケノコは重たいので、そんなにたくさんは持って帰れません。

 

そのため、私は竹やぶの中で、タケノコの皮をむいて、タケノコの中身だけにして、リュックに入れて持って帰りました。タケノコは皮をむくと、小さくなって、たくさんリュックに入れることができました。

 

我が家の竹やぶでとれたタケノコは太くて、やわらかなおいしいタケノコでした。私は家に持って帰ると、母がすぐにゆでてくれました。あまりにたくさんとれたので、私は、近所の人にもおすそわけしました。

 

我が家でとれたたけのこは、大変やわらかいタケノコでした。そのタケノコを使って、タケノコごはんを作ったり、ワカメと一緒に炊いて、おかずにして食べました。

 

私がとってきたタケノコは大きく、やわらかなので、ステーキのようにして食べることもありました。子供の頃は、旬のタケノコを食べると元気になると言われていました。

 

タケノコごはんを食べたのは本当に久しぶりでした。家内が私が以前からタケノコごはんのことをブログで書いていたのを思い出して、わざわざタケノコごはんを作ってくれました。

 

久しぶりのタケノコごはんの味は、子供の頃に食べたなつかしい味がしました。私は子供の頃にタケノコとりによく我が家の近くの里山に行ったことを思い出しました。

 

昨夜はタケノコごはんに加えて、私の大好きな「エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ」をつくってくれました。これも、私が子供の頃から大好きな食べ物でした。

 

私は子供の頃に、自宅の畑でエンドウ豆をとってきて、エンドウ豆のごはんと「エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ」をよくつくってもらいました。私はこの「エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ」が大好きでした。

 

私が子供の頃は、よく畑に行って、エンドウ豆をとってきて母に頼んで「エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ」をつくってもらいました。エンドウ豆と高野豆腐、そして卵がよく合って、大変おいしいおかずになりました。

 

我が家の畑には、いろいろな野菜をつくっていました。豆類では、エンドウ豆とそら豆も作っていました。畑では、いろいろな季節の野菜をつくっていました。イチゴもつくっていました。

 

エンドウ豆はつるを伸ばしますので、竹さおで支えていました。エンドウ豆には、白いかわいい花が咲きました。

 

私は、エンドウ豆のつるに、たくさんの豆ができるのを探すのが楽しみでした。毎日のように畑に行って、エンドウ豆をとりに行きました。

 

私は畑からとってきたエンドウ豆は、すべて皮をむいて、黄緑のエンドウ豆をいっぱいかごに入れて、おかずにしてくれるように祖母や母に頼みました。

 

エンドウ豆のごはんをよく食べました。あつあつのごはんとエンドウ豆はよく合っておいしく食べました。

 

タケノコごはんと「エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ」。昨日の夕食はなつかしいものが二つもあって、楽しい夕食でした。

 

忙しい中、つくってくれた家内に感謝ですね。

ありがとう。

 

感謝、感謝!!

 

 

2020.4.25.(土曜日)午後12時25分

里山 歩樹 (藪野 正昭)