ひょうご☆ふるさと~風だより。

グルメもファッションも山も海も豊かな兵庫・神戸の魅力を、里山から毎日発信します。ようこそ神戸へ!

神戸の産業振興と経済活性化に40年以上尽くした経験を活かし、
里山歩樹が兵庫の里山から元気に発信します。
兵庫いいとこ何度もおいで♪

【日常通信】ー「秋の稲刈りの思い出」

今年も、はや9月になりますね。

早いもので、明日から9月が始まります。最近は窓を開けると、涼しい風が入ってきます。今年も秋になったと感じます。

 

秋といえば、私の子供の頃は、田んぼでは稲刈りの季節です。私は、子供の頃は秋の稲刈りのときになると、よく親せきの農家の稲刈りの手伝いに行きました。我が家は農家をしていませんが、親せきの家はほとんどが農家をしていました。

 

そのため、稲刈りのシーズンになると、親せきの人が総出で稲刈りの手伝いに行きました。私は子供ながら、田んぼの中に入ってカマを持って、稲刈りの手伝いをしました。カマで稲を刈ると「サクサクサク」という音がしました。

 

刈った稲の先には黄色い稲穂がたわわになっていました。その稲を切るときは、腰をかがめてやりますので、しばらくすると腰が痛くなって、ときどきは立ち上がって、腰を伸ばしながら稲刈りをした思い出があります。

 

稲刈りをしていると、たくさんのすずめがやってきて、落穂ひろいをしている姿がありました。すずめは、稲刈りをした後に落ちた稲穂を食べようとして、私達のすぐ後をついてきました。

 

真っ青の秋空の下での稲刈りは、まだ日差しが強くて、稲刈りをしていると汗が吹き出してきました。みんなは、大きな麦わら帽子を着て、日焼けをしないようにしていました。

 

私の子供の頃は稲刈りは大変な作業でした。親せきの人が総出で稲刈りをしました。昔は、稲刈りはすべて手作業でした。

 

白い米にするまでには、いくつかの工程があって時間がかかりました。稲を刈ると、しばらく天日干しをしてから、家に持ち帰って、脱穀や、精米をしました。

 

ところが今ではすべて機械化されて、稲刈りは1日で終わってしまいます。本当に便利な時代になりました。今ではその日のうちに白い米ができます。便利になりましたが、昔の稲刈りのことがなつかしく思い出されます。

 

私が覚えているのは、稲刈りのときにみんなで食べた、おにぎりの味ですね。大きなおにぎりを、おいしいタクワンと一緒に食べた味は、最高でした。

 

おにぎりの中には、梅干しが入っていました。その梅干しの入ったおにぎりの味は最高でした。なつかしい思い出です。

 

今年も、秋になって、稲刈りも各地で始まっているでしょう。

私の子供の頃の稲刈りがなつかしく思い出されます。

 

 

2020.8.31.(月曜日)午前11時45分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

【神戸通信】ー「そごう百貨店が神戸から消える!」

今日は8月30日。

明日で神戸の西区で長年百貨店として親しまれてきたそごう西神店が退店する。

 

これで神戸からは、そごう百貨店がなくなります。そごうの中核店舗であったそごう神戸店は昨年、阪急百貨店に買収されていますので、西神店が閉店されると、そごう百貨店が神戸から消えることになります。

 

私は長く神戸で仕事をしてきましたが、その当時は、百貨店といえばそごう百貨店のことでした。私は現役のときいつも神戸店の前を通って仕事場まで通っていました。通勤の行き帰りにそごうに寄って買い物を楽しんだ思い出があります。

 

そのそごうが神戸からなくなるなど当時は思いもしませんでした。25年前の大震災でそごう百貨店が大きな被害を受けてから、そごうの経営がおかしくなりました。

 

そごうの動向は、神戸の都心の商業に大きな影響を与えてきました。そごうが不況になってから、三宮の都心の商業もかつての元気がなくなりました。

 

明日でそごう西神店がなくなることを考えると、近年の百貨店を取り巻く環境の激変を感じざるをえません。私は現役のときは何回か西神店に行ったことがありますが、明るい店舗で地元の市民で大変にぎわっていました。

 

そごう西神店は西区の拠点の施設として大きな役割を果たしてきました。その西神店が明日をもって閉店すると思うと、時代の流れを感じますね。残念でなりません。

 

そごう西神店に加えて、長年三宮にあった東急ハンズが今年末をもって閉店するとのニュースが飛び込んできました。

 

驚きました。東急ハンズ三宮店は三宮のランドマークになって、私はよく買い物に行った思い出もあります。

 

東急ハンズ三宮店は三宮で人と待ち合わせをする絶好の場所でした。私はよく三宮に友達と飲みに行くときは、いつも東急ハンズ三宮店の前で待ち合わせをしました。

 

東急ハンズ三宮店に行くといろいろなユニークな生活雑貨が並んでいて、買い物を楽しむのには最適の場所でした。私もよく東急ハンズ三宮店でいろいろな文具などを買った思い出があります。

 

そのなつかしい東急ハンズ三宮店が今年でなくなるとは本当に残念でなりません。そごうのことといい、東急ハンズのことといい、かつての神戸では考えられないことが今起こっています。つくづく、神戸の経済力の低下を思わざるを得ません。

 

コロナ時代を迎えて、神戸には、そごう、東急ハンズに代わる新しい商業施設を誘致する必要がありますね。

 

「神戸の商業ガンバレー!」

 

 

2020.8.30.(日曜日)午前11時35分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「安倍首相辞任」

昨日のテレビを見て驚きました。

午後5時から安倍総理の記者会見があるというのでテレビを見ていると、安倍総理が突然辞意の意向を表明しました。

 

まさかの辞任表明でびっくりです。安倍首相の体調がよくないと聞いていましたが、まさかそこまで病状が悪化しているとは考えていませんでした。

 

私の友人に、首相と同じ病気で長く苦しんでいる友人がいましたが、彼もいつも辛そうな顔をして仕事をしていました。難病で治療薬がないとのことでした。この病気は他人にはその辛さがなかなかわからないようでした。

 

安倍総理はついこのあいだ佐藤元総理の歴任期間を上回って史上最長の在任期間を首相として務めてこられました。約8年と言いますが、首相というストレスのある重い職務での8年は想像を超える大変さがあったと思いますね。

 

安倍首相は若く総理になられまして、私は安倍総理が誕生したときは大変期待していました。安倍さんは、一時、神戸の神戸製鋼所加古川製鉄所に勤めていたことがあるので、私は安倍首相は大変親近感を覚えていました。

 

安倍首相のレガシーについては、いろいろな評価がありますが、私は、安倍首相の最大の貢献は、8年間の長きにわたって、政権を維持したことです。

 

安倍総理が誕生するまでは、毎年のように首相が交代して、日本の政治は極めて不安定な状況にありました。それが安倍さんが首相になってから、8年間も政治が安定したことで、日本の経済社会も安定するようになりました。

 

そのため、外国からの日本の政治、経済に対する評価も高まりました。約8年間の政治を維持したことが安倍さんの最大の功績だと考えます。

 

安倍総理には心から、8年間お疲れさまでしたと言いたいですね。次の首相が誰になるかわかりませんが、誰になろうとかつてのように、首相が短期間でころころ変わるようなことにならないようにしてもらいたいですね。

 

そのためにも次の首相には、若くて元気のある人になってもらいたいと思っています。安倍首相には、しばらくは病気治療に専念して頂き、一日も早く元気になられることを心からお祈りします。

 

それにしても次の首相が誰になるか大変気になりますね。諸外国では近年30代や40才台の若い首相が誕生しています。日本でも、そろそろ、30代、40代の人が首相になってもおかしくないと考えます。

 

私はこのブログで安倍さんの政策についていろいろ批判しましたが、お許しください。私は、安倍首相を応援するために、いろいろ書きました。

 

安倍首相、本当にお疲れさまでした。

8年間ありがとうございました。

 

 

2020.8.29.(土曜日)午後12時

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「秋の里山歩き」

今年もはや夏が終わり、秋がやってくる季節になりました。

このところめっきり秋らしくなりました。秋といえばスポーツの秋ですね。私は秋になると近くの里山によくハイキングに出かけました。

 

私が暮らしている川西は、周りは野山ばかりで他には、何もありません。遊ぶといえば野山に出かけて、里山の中を歩いて楽しむぐらいでした。私は、子供の頃から、里山の山歩きが大好きでした。

 

そのため私は近くの里山については、どこに何があるかよくわかっていました。秋にはよくリュックをかついでハイキングに行きました。吹いてくる風がつめたく感じました。木々の間からは、小鳥のさえずりが聞こえてきました。

 

そのような小鳥のさえずりを聞いていると、心がいやされるように感じました。小鳥を探しても、姿は見えませんが、おそらくメジロの仲間ではないかと思います。

 

小鳥の鳴き声の中にはきつつきの仲間なのか、木をつつく音が聞こえてくることもありました。「トントントン」というここちよい音が聞こえてきました。

 

秋の里山に行くといろいろな野生の食物がありました。私はよく、野イチゴを探して食べました。野イチゴは小さい実です。食べると甘くておいしく感じました。

 

またアケビもよく食べました。アケビはものすごく甘くて、思わず持っていた水を飲みました。秋の里山の中は、静かで空気がおいしく感じました。

 

私は秋の里山の奥に入って行って、一番怖かったのは、ときどき看板が出ていて、「この周辺でクマが出ました。気を付けて下さい」と書いてあります。

 

川西の里山でもときどきツキノワグマが出没します。「クマに気をつけて下さい」と言われても、どうしたらよいかわかりませんので、私は怖くなって、しばらくして、山から帰りました。

 

里山の中の谷川に行くと清らかな水が流れています。水に触れるとつめたい水でした。夏の水とは全く違いました。私は谷川のそばに下りて行って、岩場に腰をかけてひと休みしました。

 

谷川のそばではよく持って行ったおにぎりなどを食べました。秋も深まって来ると、紅葉のシーズンになります。紅葉のシーズンになると、山が紅葉で赤くなります。紅葉の里山は素晴らしい光景でした。

 

今年も、はや秋がやってくる時期になりました。秋の里山のハイキング、山あるきは気持ちをリフレッシュするのに絶好の機会になります。

 

秋の里山で食べた野イチゴの味がなつかしく思い出されます。

 

アケビのあの甘い味もなつかしいですね。

 

 

2020.8.28.(金曜日)午前11時50分

里山 歩樹(藪野 正昭)

 

【日常通信】ー「あさがおの思い出」

今日は、パワーリハビリの日です。

私はいつもの通り朝6時に起きて、出かける準備をしました。このところ朝、夕は少し涼しくなってきたように感じますね。

 

今年もはや8月下旬ですので、そろそろ涼しくなってもおかしくありません。今年の猛暑にはまいりましたが、私は子供の頃から暑い夏が一番好きでした。人によっては秋が好きな人がいますが、私は秋はあまり好きではありません。

 

秋の次には寒い冬がやってきます。私は雪が降る冬が苦手ですので、秋になってもうすぐ冬が来ると思うと憂鬱になります。秋は何か物悲しく感じますね。

 

今日もリハビリに行く道中、車窓から外の景色をながめていると、団地にある家の庭の垣根に、きれいなあさがおの花が咲いていました。私は夏のあさがおの花が好きで、自宅でも、あさがおを毎年育てていました。

 

母もあさがおの花が好きで、毎年前年にとったあさがおの種をまいて、あちこちに育てていました。あさがおの種をまくと、しばらくすると、かわいい芽が出てきます。

 

母は庭に出てはあさがおの花を育てるため、暑い夏でも、毎日水をやっていました。かわいい芽が出ると、細い竹を立ててあさがおがつるをまくようにしていました。

 

あさがおは植木鉢のほかに、隣の家との間にあるフェンスのそばにあさがおの種を植えて、フェンスに沿って育つようにしていました。

 

我が家と隣の家との間にある金網のフェンスにあさがおがつるを伸ばして、フェンス一面にあさがおの花が咲きました。そのためフェンスには色とりどりの花が一面に咲いていました。母はこのあさがおの花をながめて、満足そうでした。

 

私は毎年、あさがおの花が散ってしまった後にできた種を大事に集めて、保存していました。我が家のあさがおの種は黒くて、大きな種でした。夏になると、庭に出て、あさがおの世話をするのが私の仕事でした。

 

そのとき困ったのは、庭に長くいると、やぶ蚊がやってきて、手足のあちこちを刺されたことですね。それも、今となってはなつかしい思い出です。あさがおは夏の花としては一番思い出がありますね。

 

もうひとつ夏で思い出す花はダリヤの花ですね。

今日の道中では外をながめていると大きなダリヤの花が咲いているのが見えました。

 

私は、夏も終わりが近づくと、あさがおの種をとったことがなつかしく思い出されます。

 

 

2020.8.27.(木曜日)午後2時20分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

 

【日常通信】ー「夕焼けとアカトンボ」

今年もはや8月下旬になりました。

まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、少しずつ秋の気配も感じられるようになりました。

 

9月も近づくと、私は子供の頃によく田舎の里山で過ごしたときのことを思い出します。特に印象的だったのは、秋になると、西の空が真っ赤に赤くなって夕焼けがきれいなことでした。

 

その夕焼けの空の中を、アカトンボが群れをなして飛んでいました。夕方になるとどこかから飛んできて、夕焼けで赤く染まった空の中に、無数のアカトンボが飛んでいました。

 

アカトンボは、暑い夏は高い山の上で暮らして、秋になると山里に下りてくると聞きました。空を元気に飛んで行ったと思うとまた帰って、東西に行き帰りをして、悠然と飛んでいました。

 

アカトンボの数は数えることはできないほど多かったと思います。私は網を持って、アカトンボをとろうとして追いかけましたが、アカトンボは空高く飛んでいましたので、とることができませんでした。

 

やむなく、広場の中に草むらに止まっているアカトンボを探して、やっと網でとることができました。子供の頃に見たアカトンボの姿は今でもときどき思い出すことがあります。

 

あんなに多くのアカトンボがどこから飛んできたか、今でも不思議です。アカトンボは夕焼けに染まった秋の空にいっぱい飛んでいました。

 

夕方になると、アカトンボとともに、多くのカラスが西の山の方に向かって、群れをなして飛んでいく姿がありました。夕焼けで染まった秋の空の中を西の山の方に向かって、群れをなしてカラスが飛んでいく姿がありました。

 

カラスは「カーカーカー」とにぎやかに鳴きながら夕焼けの空の中を飛んでいきました。私は秋が近くなると、いつもアカトンボやカラスが群れを成して飛んでいたことを思い出します。

 

アカトンボが飛ぶ姿は、秋のなつかしい風景ですね。秋はいつも「アカトンボ」の唄を歌いながらアカトンボを追いかけていました。

 

最近は子供の頃のようなアカトンボが群れをなして飛ぶ風景は見ることはなくなりましたが、かつて見たカラスの大群が飛ぶ光景も見なくなりました。

 

子供の頃には秋の風景になったものが見ることができなくなったことは大変残念ですね。

 

これも、温暖化のせいでしょうか。

 

 

2020.8.26.(水曜日)午後12時5分

里山 歩樹 (藪野 正昭)

 

【兵庫通信】ー「ふるさとの秋の味覚」

今日も35度を超える暑い日になりました。

しかし、8月も下旬になってきて、朝と夜は少し気温も下がってきたように感じます。かすかではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。

 

今日はリハビリの日でいつもの通り朝早く車で出かけましたが、車窓から外の景色をながめていると、たんぼの稲に黄色い稲穂が見えました。もうすぐすると稲刈りが行われるように感じました。

 

早いもので、今年も夏が終わり、秋がやってくる季節になりました。残暑はまだまだ厳しいですが、外に出ると秋らしい風が吹いているように感じました。

 

秋は食欲の秋です。昨日、新聞を読んでいると、我がふるさと川西では特産のイチジクの出荷が最盛期を迎えていると記事に出ていました。川西のイチジクは大きくて、甘いイチジクとして有名で、高級品として百貨店などで販売されています。

 

私はイチジクが子供のときから大好きでした。子供の頃は、我が家の畑にあったイチジクの木になっているイチジクをよく食べたものです。

 

我が家の畑には4本~5本のイチジクの木がありました。私は秋になると、毎日のように畑に行ってイチジクを食べるのを楽しみにしていました。

 

子供の頃は今のようないろいろな食べ物はありませんので、畑でとれたイチジクは絶好のおやつになりました。我が家の畑でとれたイチジクは大きくて、甘いイチジクでした。

 

とったイチジクの皮をむくと、白い大きなイチジクが出てきました。私はそのイチジクをいつも2~3個食べました。我が家のイチジクは大きいので2~3個食べるとおなかがふくれました。イチジクは祖母や母も大好きでした。

 

先般、義妹が実家の能勢に行って朝採れの大きなイチジクを届けてくれました。冷蔵庫で冷やすと、とてもおいしくて感動しました。川西のイチジクは川西の中の数少ない特産品です。

 

川西の畑に行くとあちこちでイチジクを育てていました。イチジクは我がふるさと川西の秋の味覚です。私は秋が近づくといつもイチジクのことを思い出します。

 

川西では特産のイチジクを活用して、イチジクワインもつくっています。私も一度イチジクワインを飲んだことがありますが、ワインを飲むとほのかにイチジクの香りがして、甘くて子供でも飲めるワインでした。

 

川西は秋になるといろいろな果物がとれますが、イチジクはその代表です。今年も川西の特産イチジクを食べて楽しい秋を過ごしたいと思います。

 

言い忘れましたが、川西にはイチジクのほかにも、ブドウ、モモなどのおいしい果物もあります。川西は秋の味覚の宝庫です。

 

皆様も一度川西にお越しください。

お待ちしています。

 

 

2020.8.25.(火曜日)午後2時15分

里山 歩樹 (藪野 正昭)