ひょうご☆ふるさと~風だより。

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【日常通信】ー「秋の味覚柿の思い出」

いよいよ秋が深まってきました。

今日久しぶりに我が家の庭をながめていると、バラが大きなオレンジの花を咲かせていました。バラは亡き母が植えたものです。

 

バラは季節になると毎年オレンジや赤の花を咲かせて、私達の目を楽しませてくれます。私は子供の頃は川西の田舎で過ごしてきましたが、秋になると我が家の裏にあった畑でよく柿をとったことを思い出します。

 

我が家の裏には広い畑がありました。その畑には大きな柿の木がたくさんありました。私は秋になると、畑に出かけて、庭の柿の木に登って柿の実をとるのが大好きでした。

 

柿の多くは、富有柿でした。富有柿は木が比較的低いので子供の私でも木に登ってとることができました。富有柿の木は畑の中に7~8本もありましたので、秋になると富有柿にたわわになりました。

 

とってもとってもとりきれないほどたくさんの富有柿がとれました。秋になると私はその富有柿をとってはとっては、近所の方々におすそわけをして大変喜ばれました。

 

秋も深まってくると柿の実をすべてとって冬に食べるために保存していました。大きなミカン箱に10箱以上も富有柿をとって、冬の間にその柿を食べるのが、我が家の習慣でした。

 

我が家の富有柿は大きく、甘いおいしい柿でした。母は、富有柿の熟した柿が大好きでした。我が家は富有柿には種がいっぱい入っていました。

 

私はその柿の種を取りながら柿を食べました。取った柿の種を裏の畑の方に投げて遊んだものです。あるときは、その種から小さな芽が出てきて驚きました。

 

我が家の畑には久保柿の木も3本ありましたが、久保柿の木は大きく、登ることができません。そのため、長い竹ざおでとりましたが竹ざおでは届かなくて、ほとんどの柿の実をとれずに悔しい思い出があります。

 

久保柿の木は大きく、高くて、家の屋根の上までありました。私は久保柿の甘い味が大好きでした。

 

庭には大きな実をつける渋柿もありました。その渋柿は、祖母が皮をむいて、干し柿にしてくれました。秋になると我が家の縁側の軒下にいつも、串に刺した干し柿がつるしてありました。

 

干し柿にすると、渋い渋柿も甘い干し柿になりました。母は甘い干し柿が大好きでした。家でつくった干し柿は、お正月には丸いおもちを一緒に飾ってありました。

 

私が子供の頃に食べた柿はどれも、種がたくさんありましたが、最近は富有柿でも種がない柿が出てきました。種をとる必要がないので便利ですが、子供の頃に、柿の種をとりながら食べたことがなつかしく思い出されますね。

 

柿で思い出すのは、我が家の持ち山で自然の柿からとってきた小さな渋柿のことです。おじが山からとってきてくれた渋柿は、小さい柿でしたが、枝にぎっしりと小さな柿がなっていました。

 

渋柿なのでそのままでは食べられませんが、祖母が渋を抜いて、食べさせてくれたことがありました。どうして渋を抜いたのかわかりませんが、祖母のくれた小さな柿も渋が抜けて、やわらかく、おいしい柿でした。

 

私は秋になると、畑で柿の実をとってきたことが思い出されます。私は柿が大好きですので、今年も家内が富有柿を買ってきてくれて、食後に食べさせてくれます。種のない少し熟した柿の味は、子供の頃に食べた柿のなつかしい味がしました。

 

家内に感謝ですね。

「ありがとう!」

 

「柿くえば鐘がなるなり法隆寺

 

 

2020.10.28.(水曜日)

里山 歩樹 (藪野 正昭)